88 湧いて出た問題
「商人に…依存させる…?」
アーロンが眉を顰め、エリーが不安そうな顔をする。いきなり『依存』などという不穏な単語が出て来たのだから当然だろう。
だが、そう考えると色々と辻褄が合うのだ。
「最終的な目的までは分からんが──例えば、トレ=ド=レントをこの村に常駐させて、魔素中毒ってモノの存在を隠そうとしてただろ? もし村の外と交流があったら──ユグドラの街の医者に診せていたら、もっと早く原因が分かったかも知れない」
だが、商人が派遣した医者が村に居たから、わざわざ街の医者に診てもらおうと考える者は居なかった。トレドの対処が的確で、一応、全員その都度回復していたのも大きいだろう。
ハンスの指摘に、トレドが暗い表情で視線を落とした。
「…そうですね。ちゃんとした医師なら、魔素中毒の可能性を考えたと思います」
オルトと繋いでいない方の手が、膝の上できつく握られている。オルトが気遣わしげにトレドを見詰め、握り締めた手にそっと自分の手を重ねた。
ハンスはすぐ首を横に振る。
「トレ=ド=レント、自分を責めるな。お前は悪くない。むしろその立場で、出来る限りのことをしてくれてただろ?」
「その通りだ。周辺の魔素濃度を考えるに、本当ならとっくの昔に死人が出ていてもおかしくない。被害が最小限に留まったのは、間違いなくお前さんの対処が的確だったからだ」
「…ありがとうございます」
アルビレオが言い添えると、トレドが少しだけ表情を和らげる。が、今度はアーロンの顔色が変わった。
「……死人が出ていてもおかしくない?」
蚊の鳴くような声だった。
愕然としているアーロンに、アルビレオが真顔で頷く。
「そうだ。個々の体質にもよるし、一概には言えんが──地場産の食材を食べずにこんな環境に居続けたら、たとえ鉱山に入らなくとも体調を崩す。魔素に弱い人間だったら、数年ともたないだろうよ」
「……」
すー…とアーロンの顔から血の気が引いた。
「…では、ヒースは…」
「え?」
ヒース──アーロンの息子、ヒースクリフの愛称である。その名前が何故このタイミングで出て来るのか。
(…そういや…)
昨日、ギルドに食事をしに来た時、アーロンは言った。
息子は、家で、寝ている──と。
(寝てるって、まさか)
それを聞いた時、ハンスは『昼寝をしている』という意味だと思った。
だが、違うのだ。
昼寝をしているだけなら起こせばいい。それが出来なかったということは──
「アーロン村長。もしかしてヒースクリフは──ヒースクリフも、魔素中毒なのか?」
ハンスが訊いた途端、アーロンははっきりと狼狽えた。
「ち、違うはずじゃ。数年前から体調を崩しておるが…」
「えっ?」
トレドが目を見開いた。明らかに、知らなかったという反応だ。
アルビレオが視線を鋭くする。
「医者に診せていないのか?」
「…出入りの商人から買った薬を飲ませておる。医者に診せても治らないだろうと言われて──」
「商人に病の診断が出来るはずなかろう」
美少年じみた容姿からは想像もつかない、ドスの利いた声だった。
リンとエリーが息を呑み、ぼーっとしていたゲルダがビクッと背筋を伸ばす。
「アルビレオ、落ち着け」
「おっと…スマン」
動揺は一瞬だった。ハンスの一声でアルビレオはすぐ我に返り、謝罪を口にしてからアーロンに改めて向き直る。
「アーロン村長、よければ一度、ご子息を診させてくれないか? 今なら、よほど特殊な状態でなければ回復させる手立てがある」
「…!」
アルビレオは昨日、上級回復薬をかなり余分に作成していた。ハンスが持ち込んだ世界樹の葉とエリク草が、想定よりはるかに多かったからだ。
なおその『余った上級回復薬』を、アルビレオは素材の代金としてハンスに渡そうとしたのだが、ハンスに『オレは大したことはしてない。薬を作ったのはお前なんだからお前が持ってろ』と断固拒否された。
よって今、アルビレオの手元には、上級回復薬が複数本、ある。
提案を受けて、アーロンは迷うように視線を彷徨わせた。上エーギル村に出入りする商人たちの信頼度が揺らいだとはいえ、長年信じてきたことを完全に否定するのは難しい。
だが。
「…分かった。よろしく頼む」
「うむ、任された」
アーロンは最終的に、丁寧に頭を下げた。
アルビレオはすぐに立ち上がり、トレドも慌てて腰を浮かせる。
「私も行きます」
「トレ=ド=レントは、今オルト=リ=オウルと離れてはいかんだろう──…いや、待てよ?」
一旦首を横に振ったアルビレオは、ふと表情を改めて空中に視線を走らせた。
「ゲルダ」
「ん」
「この村で一番水の魔素が薄いのはどこだ?」
「ここ」
即答だった。
真顔で床を指差すゲルダに、アルビレオは深く頷く。
「やはりそうか」
「…そうなのか?」
アルビレオやエセルバートと違い、ハンスには魔素を感知する能力がないので、実感がわかない。エリーやリンも同様だ。
首を傾げる面々を見渡し、アルビレオはタペストリーがかかった壁を指差した。
その方角には、魔石鉱山の坑道の入口がある。
「水の魔素は通常、霧や水のように高いところから低いところへ流れる性質があってな」
そのため、岩や建物などの障害物があると流れが変わり、魔素濃度に濃淡が生まれる。
この村の水の魔素の発生源は鉱山だ。
魔素は坑道の入口から溢れ出て来るため、坑道から遠く、少し高台に立地していて、間にいくつもの建物があるギルド周辺は比較的魔素濃度が低い。
アルビレオの説明に、ハンスはふむ、と頭の中に上エーギル村の地図を描いた。
「…つーことは、坑道の中の次に危ないのは、坑道に近い休憩所か。で、次に危ないのは…」
呟きながら、ハンスは気付く。
休憩所に程近い、大通り沿いの大きな家。あれは、
「……アーロン村長の家もヤバい、ってことか?」
「おそらくな」
アルビレオの答えに、アーロンがさらに青くなる。
だからな、とアルビレオが続けた。
「こちらから診に行くのではなく、ここに連れて来るのはどうかと思ってな。そうしたら、トレ=ド=レントもオルト=リ=オウルから離れずに診察できるだろう? ──アーロン村長、エセじい、どうだろうか?」
ギルドの2階には冒険者向けの仮眠室がある。ベッドは確保できるので、あとは関係者の許可が下りるかどうかの問題だ。
アルビレオの問いかけに、年長者2人は即座に頷いた。
「構わんよ。どうせベッドも余っておるしのぅ」
「…そうしてもらえるとありがたい」
「決まりだな」
アルビレオはにやりと笑い、ハンスに視線を転じた。
「──というわけでハンス、患者の搬送を頼む」
「…言うと思ったけどよ」
ここに居る面子の体格的に、成人男性を安全に搬送できそうなのはハンスだけだ。
当然と言えば当然の帰結だが、何となく釈然としないものを感じ、ハンスは半眼で呻いた。
 




