86 ギルド長合流
「──マーク村長、此度の上エーギル村への助力、心から感謝する」
最初に会議室に響いたのは、アーロンの感謝の言葉だった。真剣そのものの響きに、ハンスたちは息を呑む。
深く頭を下げたまま、そして、とアーロンは言葉を続けた。
「今までの数々の非礼と暴言、謝って済む話ではないだろうが、どうか謝罪させてほしい。──本当に済まなかった」
「アーロン村長…」
マークは静かに目を見張り、数秒後、そっと身を乗り出し、アーロンの肩に手を置いた。
「…アーロン村長、どうか顔を上げてください」
その声は驚くほど穏やかだった。アーロンが戸惑いの表情で顔を上げると、マークは席に座り直し、小さく首を横に振る。
「私も、おかしいと思いながら状況を変えることが出来ませんでした。会合の場で、みなさんへの暴言を止めることすら出来ず…申し訳ありません」
ああなるほど、とハンスは内心で呟いた。
上エーギル村と下エーギル村の会合の議事録を見る限り、参加者のほぼ全員がお互いの村や個人に対して罵詈雑言を吐いていた。そういう発言をしていなかったのはマークくらいだ。
自らは暴言を口にしないが、周囲の人間の暴走は止められなかった。その心労は察するに余りある。
「それはマーク村長のせいではない。むしろわしが止めるべきで…」
「いえ、私の統制力不足で──」
「あー、2人ともそこまで」
謝罪合戦に突入しそうなところで、ハンスはパンと手を叩いて2人を止めた。
「お互い非があった、でもこれからは違う──ってことで、な?」
苦笑しながら周囲を見渡す。
ハンスの言葉に、誰も異を唱えなかった。今は過去のことを悔やむより大事なことがあるのだ。
各々頷いたところで、
「おお、ここにおったか」
会議室の扉が開いた。
のっそりと現れたのは、独特の形状の耳と角が特徴の、白髪交じりの老人。あっとエリーが声を上げた。
「ギルド長! どこ行ってたんですか!」
(…そういや昨日、居なかったな)
ワイルドベアの出現に端を発した昨日の一連の騒ぎの中、冒険者ギルドエーギル支部の長を務めるこの老人──エセルバートの姿は影も形もなかった。
秋から冬にかけてはカモシカの姿でエーギル山系の調査をしているとは聞いていたが、既に春である。
本来ならばギルドで陣頭指揮に当たるのはエセルバートのはずだった。
「いや、スマン。ちょいと異常があったんで、調べとったんじゃよ」
「異常…?」
「後で話そう。──今は、上エーギル村と下エーギル村の大事な話があるのじゃろう?」
この場にいる顔ぶれを見ただけでそう判断したらしい。エセルバートは真面目な顔になり、エリーの隣に座った。
「初めて会う者もおるでな、簡単に。わしはこの冒険者ギルドエーギル支部のギルド長をやっとる、カモシカの獣人のエセルバートじゃ。よろしく頼む」
その言葉を受けて、初対面のナターシャとアルビレオとゲルダが名乗る。挨拶を済ませると、エセルバートはエリーに視線を向けた。
「…さて、状況を説明してもらえるかの? エリー」
「あ、はい!」
エリーがパッと姿勢を正し、昨日の出来事を順を追って説明する。
坑道にワイルドベアが出現し、ハンスとリンが対応に出たこと。その討伐後、坑道の奥で倒れていた鉱夫たちを救出し、トレドの診療所に担ぎ込んだこと。
鉱夫たちが重い肺水腫と全身の浮腫の症状を呈しており、その治療に上級回復薬が必要だと診断されたこと。
アルビレオとゲルダの合流、冒険者ギルドでの話し合い、そしてトレドの半身の話とそれぞれが果たした役割──マークとアーロンが居る手前、上級回復薬の素材としてハンスが具体的に『何を』提供したのかは濁されたが。
(こうして聞くと、マジで濃い1日だったな…)
第三者視点で俯瞰するとヤバい──ハンスは半ば呆れながら内心で呻く。
なお他人事のように話を聞いているが、ハンスは紛れもなく当事者であり、もっと言うなら事件の渦中で陣頭指揮を執った張本人である。色々と自覚が足りない。
「──というわけで、アーロン村長と下エーギル村のマーク村長が話し合いの場を持ったのが、今です」
エリーの話が終わると、エセルバートはふうむと呻いて場の全員を見渡した。
「…なるほど。トレ=ド=レントの半身が救出されたのは僥倖じゃったな。──エリー、オルト=リ=オウル救出の件は、わしの名前でゲルダに依頼を出したという形で処理してくれるかの?」
「分かりました」
エーギル支部のギルド長からの依頼という体を取れば、万が一、オルト=リ=オウルを監禁していた商会から難癖をつけられても、ゲルダではなく『冒険者ギルド』が矢面に立つことができる。
世界中に支部を持つ巨大組織である冒険者ギルドを敵に回すことは、商会にとって極めてリスクが高い。名前が出ただけでもかなりの抑止力になる。
「助かる、エセじい」
ハンスが頭を下げると、エセルバートは歯を見せて笑った。
「なーに、若い者のフォローはジジイの腕の見せどころじゃよ」
少し場の空気が和んだところで、さて、とエセルバートは表情を改める。
「さっきも言ったが、わしの方でもここ数日、異常を感知しておってな。──辺り一帯に漂う水の魔素の濃度が、急に上がっておった。鉱夫の皆が一斉に体調を崩したこと、坑道の中にワイルドベアが出たことも、恐らく無関係ではない」
高濃度の魔素に繰り返しさらされることで発症する魔素中毒。そして、魔素から直接出現する魔物。
いずれも、魔素濃度が高い場所で特異的に見られる現象だ。
「けどよ、エセじい。普通、魔素濃度が上がっても発生する魔物の種類自体は変わらないはずだろ? ここの鉱山の中で、ワイルドベアが出現することって前からあったのか?」
「うむ、それなんだがの」
ハンスの問いに、エセルバートは重々しく頷いた。
「少なくともわしがここに着任して以降、坑道の『中』でワイルドベアが出現したことはない。ただ──」
と、横に長い独特の瞳孔でハンスとマークを見遣り、
「下エーギル村周辺では、以前からワイルドベアがよく出現しておったのじゃろ? ならば魔素の流れに繋がりがあるこちらの坑道で同じことが起きてもおかしくはない」
「ああ、なるほど」
アルビレオが顎に手を当てて呟く。
「このエーギル山系の水の魔素は、大元が同一のようだしなあ。魔素濃度が変動したことで、ワイルドベアの発生条件が坑道の中で偶然再現されたと考えれば辻褄は合うか」
カモシカの獣人であるエセルバートと、エルフの血を引くアルビレオには、魔素を感じ取る独特の知覚がある。それぞれの言葉を、皆は真剣な表情で聞いていた。
「今後も同じことが起きる可能性があると考えると…厄介ね」
エリーが呻くと、即座にリンがグッと親指を立てる。
「大丈夫ですよ! そしたら、ハンスさんが何とかしてくれます!」
「オイ」
ハンスは半眼で突っ込んだ。
全幅の信頼を寄せてくれるのはいいが、信頼の仕方が少々おかしい。いくらハンスでも、ワイルドベアを狩るのが日常になるのは勘弁願いたい。
(…いや、下エーギル村で農業してたら否応なく遭遇する確率が高いけどよ)
それはそれ、これはこれである。
「──ところで、ハンス」
「?」
エセルバートが改めてハンスに視線を向けた。
きらりと目を輝かせ、
「お主、上エーギル村と下エーギル村の確執について、こっそり調査しておったじゃろ?」
「え」
「あ」
「む?」
ハンスは固まり、リンは挙動不審になり、アーロンは首を傾げる。
数秒後、ハンスはガシガシと頭を掻いた。軽く事情を話したマークとナターシャ、最初から知っているリンはともかく、エセルバートに知られているとは思っていなかったのだ。
「どこで知ったんだ? エセじい」
「なーに、わしは少々耳が良いのでな」
エセルバートは老獪に笑った。




