85 再会と話し合い
毛布に包まったオルトをハンスが抱え、一行は上エーギル村へ向かった。
移動中、ゲルダはひょいひょいと周囲を歩き回り、とにかく落ち着きがなかった。
なるほど誰かを抱えて移動するには不向きだと、オルトを抱え、肩にモクレンを乗せたハンスは心の底から納得する。
「お前は自分で歩いても良いんだぞ?」
《嫌だね、疲れるし》
そんな会話をモクレンと繰り広げつつ、山道を登ること1時間ほど。
特にトラブルもなく、一行は上エーギル村に到着した。
「…お?」
坂を上り切ったところで、ハンスは軽く目を見張る。
入口に立つ木製の看板の下に小柄な人影が佇み、その横に小さな影が浮いている。
「あ、ハンスさん、みなさん!」
小柄な人影──リンが声を上げると、隣に浮かんでいた影がビュッと飛び上がった。
「オルト=リ=オウル!」
必死さの滲む声が斜面に響き、ハンスの腕の中で毛布がもぞりと動く。
「トレ=ド=レント」
小鳥の羽ばたきより小さな声だったが、トレドには届いたらしい。ものすごいスピードで飛んで来るトレドに合わせ、ハンスはそっと毛布をずらし、オルトの顔が見えるようにした。
「ああ…オルト=リ=オウル…!!」
トレドはオルトの目の前で滞空し、その顔を見て感極まったように呟いた。レンゲの蜂蜜のような金色の目がみるみるうちに潤み、震える手が恐る恐る前に出る。
触れたらそのまま消えてしまうのではないか、けれど手を伸ばさずにはいられない──そんな葛藤が透けて見えるその手を、やせ細った手がそっと握り返した。
「トレ=ド=レント…やっと会えた」
「うん……うんっ……!」
握った手を自分の額に当てて、トレドが何度も頷く。溢れた涙が頬を伝い、乾いた石畳に次々と水滴の跡を作っていく。
それと同時に、オルトの顔にも変化があった。涙の滲む目が少しだけ力を取り戻し、頬にほんのりと赤みがさす。
「トレ=ド=レント、ありがとう。ずっと魔力を送ってくれて」
トレドがどんな無茶をしていたか理解しているのだろう。オルトの声は微かに震えていた。強く首を横に振ったトレドは、オルトの目をしっかりと見て無理矢理笑う。
「半身のためなら当たり前だよ、オルト=リ=オウル」
「…ありがとう」
その表情に、オルトもまた、泣きながら微笑んだ。
「モクレンもゲルダも、無事でよかった」
様子を見守っていたリンが、ちょっと目を赤くしながらゲルダとモクレンを順に見遣る。途端、モクレンがハンスの肩の上で胸を張った。
《ま、この俺の能力をもってすれば当然ってやつだ》
「うん。頼りになった」
ゲルダが真顔で頷き、拍手する。
実際ゲルダだけだったら何も考えずにトレドの魔力の気配だけを辿って監禁場所に突撃していたはずで、騒ぎにならずに無事に帰って来れたのはモクレンの功績で間違いない。
(素直に称賛してやるのは癪だけどな)
ハンスは内心で呻く。日頃の行いというやつだ。
その後一行は場所を移し、一旦冒険者ギルドエーギル支部に入った。
「エリー、来たぞ」
「あらハンス、早かったわね」
ハンスが目線でマークを指し示すと、カウンターのエリーが平然と応じた。ハンスがマークを連れて来ることは、エリーにとって予想の範疇なのだ。
「おお、ゲルダ、戻ったか。首尾よくいったか?」
「もち」
ホールのテーブルでは、アルビレオがホットミルクを飲んでいた。片眉を上げて軽い口調で問うアルビレオに、ゲルダがグッと親指を立てて応じる。
ハンスは椅子を引き、その上に毛布ごとオルトをそっと乗せた。同じ座面にトレドが座り、お互いを支えるように身を寄せ合う。
魔力の共有が進んだのか、オルトの顔色はかなり良くなってきていた。ハンスが内心ホッとしていると、トレドがハンスを見上げ、さらに周囲を見渡して、深く頭を下げる。
「ハンスさん、みなさん、この度は本当にありがとうございました…!」
その手はしっかりと、オルトの手を握っていた。
「おかげで、私の半身を失わずにすみました」
トレド曰く、実はオルトとの魔力の繋がりを薬で維持するのももう限界で、いつ途切れてもおかしくなかったのだという。数年間、直接顔を合わせることすらなかったのだから当然だろう。
トレド自身、常に酒精を摂取し続けることで生じる身体的な負担も大きく、オルトとの魔力的な繋がりが途切れるのが先か、トレドの身体が限界を迎えるのが先か──そんな状況まで追い込まれていた。
その綱渡りに近い暗澹たる状況を、ハンスたちがたった1日で引っ繰り返した。
「…近付いて来るオルト=リ=オウルの気配を感じた時、夢ではないかと思いました」
その言葉で、何故上エーギル村の入口でリンとトレドが待っていたのか、ハンスはようやく理解した。
トレドは半身の気配を察知して、待っていたのだ。恐らく山道を駆け下りようとするのをリンが止めたのだろう。
そのリンは、先ほど大通りで一行と分かれ、上エーギル村のアーロン村長に『話し合いのため、下エーギル村のマーク村長が来た』と伝えに行っている。
先に知らせればあちらの準備もできるだろうという配慮である。
「夢じゃなかったな?」
ハンスがにやりと笑って言うと、トレドは泣きそうな顔で、それでも本当に嬉しそうに頷いた。
「はい…!」
ゲルダに抱きつかれたアルビレオが微笑ましそうにトレドとオルトを見守っている。マークとナターシャとエリーも笑みを浮かべている。目下の懸案事項の一つがとりあえず解決できて、ハンスも少しだけ肩の力を抜いた。
とはいえ──
(…オルト=リ=オウルを監禁していた連中が、そのまま見逃すわけないだろうが…)
面倒なのはむしろこれからか。
ハンスが改めて気合いを入れたところで、ギルドの扉が開いた。
「みなさん!」
リンが、若干戸惑いの色を浮かべながら顔を覗かせる。
「えっと…その、アーロン村長が来てくださいました」
「へ」
「えっ」
ぽかんと口を開けるハンスたちの前で、リンに続いて入って来たのは確かにアーロンだった。
ハンスは驚きと共にそれを見詰める。これから向かおうと思っていたのに、まさかあちらから来るとは。
「突然済まぬ」
「いえ! 来てくださってありがとうございます、アーロン村長」
下エーギル村の食材を振る舞った時に続き、またも謝罪を受けて、ハンスは咄嗟に首を横に振った。
背中の曲がったアーロンが急に小さくなったように見えて、驚く前に不安に駆られる。
しかし──アーロンがここに来たのなら、別の場所に移動するよりギルド2階の会議室を借りて話し合いをするのが手っ取り早い。
「エリー、会議室は空いてるか?」
「ええ、勿論。使って頂戴」
ハンスが問うと、エリーは即座に頷いた。
そのままエリーの案内で、全員2階に移動する。
階段を上がって右手側の大きい部屋が会議室だ。資料室を兼ねているので少々手狭だが、掃除は行き届いている。
参加メンバーは、下エーギル村の村長マーク、上エーギル村の村長アーロン、冒険者のハンスとアルビレオ、ゲルダ、リン、ギルド職員のエリー、商人のナターシャ、今回の件のある種の被害者とも言えるトレ=ド=レントとオルト=リ=オウル。
「エリー、受付業務は良いのか?」
「平気よ。不良冒険者2人は今朝早くに依頼を受けて坑道に向かったから、夕方まで帰って来ないわ。受付に『御用の方は2階までお越しください』って札も立ててあるし」
そう言い切って、エリーはメモ帳を構える。議事録を取る気だ。
全員が思い思いの席に座ると、マークの対面に座ったアーロンが、深く頭を下げた。




