84 オルト=リ=オウル
「色々おかしい?」
ナターシャの反応には、何やら含みがあった。ハンスが首を傾げると、ナターシャは溜息交じりに頷く。
「上エーギル村と取引する商人どもの様子がね」
下エーギル村の食材を買い取るようになって以降、ナターシャは上エーギル村へ向かう商人と顔を合わせることが増えた。上エーギル村の魔石を買い取る商人たちの半数程度は下エーギル村の宿に泊まるので、当然と言えば当然だ。
しかし、同じ宿に泊まった彼らがナターシャに話し掛けて来ることはなかった。一応顔を合わせれば申し訳程度に挨拶はするが、それ以上の情報交換が発生しない。活動時間を可能な限りずらし、顔を合わせないようにしている節すらあった。
「曲がりなりにも一流を標榜する商人だ。多少軋轢はあっても、同じ宿に泊まっていたら普通は世間話くらいするもんなんだがね」
その行動を不審に思ったナターシャは、ユグドラの街で様々な伝手を頼り、上エーギル村と取引している商人たちについて調べてみた。
すると、奇妙なことが分かった。
「連中は、魔石の買い取りだけじゃなくて、生活必需品や食材の販売もしてたんだよ」
「…?」
ナターシャも、下エーギル村の食材を買い取り、魔石を村人に販売している。何が奇妙なのか分からなくてハンスが首を傾げていると、ナターシャはスッと目を細めた。
「──連中が本来取り扱うはずのない専門外の商品まで、わざわざ仕入れて上エーギル村まで運んで売る。ウチとか行商を生業にする個人商会ならともかく、王立研究院と直接取引するような仲買専門の大商会がやることじゃない」
ナターシャの商会の場合、魔石も食材も普段から取引している商品で、消費者に直接商品を販売する小売店も持っているから、出先で売買するのはそれほど難しくない。
だが上エーギル村の魔石の取引に関わっているのは、仲買──商品を買い付けそれを別の商会や店に売る、流通の仲介役を担う大商会とその傘下の商会だった。
いずれも仲買系の商会だから、買い付け先で雑貨や食材の販売を求められたら、自分たちで売るのではなく、それに特化した別の商会、つまり自分たちの取引先の小売業者を紹介するのが普通だ、とナターシャは言う。
「商会にも得手不得手があるんだよ。少なくとも私の知る限り、あの連中はユグドラの街では『仲買専門』で、『小売り』には手を出してなかったはずなんだ」
上エーギル村の魔石取引を主導している商会は、ユグドラの街以外でも手広く商取引を行う大商会。その規模はナターシャのラキス商会を軽く上回り、この国でも五指に入る。
だからこそ、わざわざ手間をかけて『上エーギル村に対してのみ』小売業を展開しているのが解せない、とナターシャは言う。
「小売業をしてる取引先なんざいくらでも居る。一声掛ければ恩も売れるし自分たちの手間も掛からないってのに──大商会としては行動がおかしいんだよ」
ナターシャとの接触を避ける現場の商人、敢えて上エーギル村でのみ小売業を行う大商会──なるほど、とハンスは内心呟いた。
そこに、今ハンスの胸中にある『とある仮説』を加味すると──
「──上エーギル村を物理的にも情報的にも外部から隔離するために、そういう行動を取ってるって可能性が高いな」
その後ハンスたちはいくつかの情報交換を済ませ、準備もそこそこにマークの家を出た。
途中、下エーギル村の宿に立ち寄り、ラキス商会の馬車の中を確認する。
ドアを開けると、長椅子型の座席を占拠して、モクレンを腹の上に乗せたゲルダがそれはそれは幸せそうな顔で寝息を立てていた。
目を閉じていても大変な美人なのだが、締まりのない顔でよだれを垂らして寝こけているので色々と台無しである。
「おいゲルダ、起きろ」
「…むにゃ。ベーコン…ジャーキー…ウインにゃー……」
「………ごちそうさん」
「──っ!?!?」
ハンスがぼそりと呟いた途端、ゲルダが真っ青な顔で飛び起きた。
腹の上に乗っていたモクレンが跳ね飛び、ニャッと叫んで宙返りしながら反対側の座面に着地する。
《なんだ、敵襲か!?》
ブワッと尻尾を膨らませるモクレンをよそに、ゲルダは涙目で何度も周囲を見渡している。
「…? ……??」
やがてゲルダは、悲壮感と疑問がないまぜになった表情でハンスを見詰めた。
「……いま、すごい悲劇が起きた」
「気のせいだ」
実際ハンスは『ごちそうさん』と言っただけで、各種加工肉は最初からここにはない。
笑いを堪えているマークとナターシャの気配を背中に感じながら、ハンスは馬車の中を見渡した。
「まあお前らは無事で何よりだ。──で、トレ=ド=レントの半身は…?」
《あ、ここに居るぞ》
モクレンが振り返り、くしゃくしゃに丸まった毛布を示す。
ゲルダが寝ていたのとは反対側、一番奥まった場所に置かれた毛布が、もぞりと動いた。そこから小さな手がのぞき、ぎこちない動きで毛布をかき分ける。
「…あ」
緩やかにウェーブの掛かった黒い髪に碧玉を思わせる青い瞳。顔は青白く、頬はこけて、ひどく痛々しい姿をしている。
それを恥じているのか、黒髪の妖精は一度出した顔を半分戻し、鼻から上だけ出して上目遣いにハンスを見詰めた。
モクレンが気遣うように駆け寄る。
《大丈夫だぞ、オルト=リ=オウル。こんな悪人顔してるけど、ハンスは味方だ》
「悪人顔で悪かったな」
反射的に突っ込むと、妖精が怯えたようにさらに引っ込む。
「あー、スマン」
ハンスは頭をガシガシと掻き、咳払いして表情を改めた。
「冒険者ギルドエーギル支部所属、上級冒険者のハンスだ。ゲルダの同僚だから心配しないでくれ」
《あれ、俺との関係は?》
「ちなみにモクレンはオレに勝手に纏わりついて来るよく分からんケットシーだ」
《とっても頼りになる『困った時のケットシー』様だろ! 訂正を要求するぞ!!》
「あーはいはい、『困った時に頼りになるかもしれないケットシー様』だな」
《そうそう! ──って今なんか余計な単語混ざってたろ》
「気のせいだ」
などと、不毛なやり取りをしていると──
「…ふふ」
小さな笑い声が聞こえた。
毛布から完全に顔を出した黒髪の妖精が、小さな手を口元に当てて可愛らしく笑っている。
ハンスと目が合うと、妖精は一瞬息を呑んだ後、ぎこちない動きでゆっくりと立ち上がった。
毛布が座席の座面に落ち、ボロボロの貫頭衣──布に穴を開けて頭から被る形式の簡素な服に身を包んだ、痩せぎすの身体が現れる。
その背に生える透明な羽根は、根元が青、先端が赤のグラデーションだった。
「初めまして、ハンスさん。トレ=ド=レントの半身、オルト=リ=オウルと申します。どうぞ、『オルト』とお呼びください。この度は助けていただき、ありがとうございました」
真っ直ぐな青色の目。差し出された枯れ枝のように細く小さい手を慎重にそっと握り返し、ハンスは頷いた。
「トレ=ド=レントには色々世話になってるし、こっちにも色々と思惑があるからな。気にするな。──立ってるのもきついだろ? ゲルダに運ばせるから、毛布に包まって寝てるといい」
顔色は悪いし、足が微妙にふらついている。ハンスが提案すると、オルトはちょっと困ったように眉を寄せた。
「ええと…」
「?」
《あー、ゲルダはやめといた方がいいぞ》
モクレンが訳知り顔でアドバイスする。
《全っ然、欠片も、『運んでる相手』に配慮してくれないからな》
飄々とした態度だが、目は完全にマジだった。
ハンスはどういうことか何となく理解して、溜息をつく。
「分かった。野郎で悪いが、オレが運ぶ。オルト=リ=オウル、構わないか?」
「よろしくお願いします」
オルトは即座に頷いた。
 




