82 謝罪と変化
頑固者と名高い上エーギル村の村長の口から出た謝罪の言葉に、ハンスたちはぽかんと口を開けて固まった。
(え、今、謝っ…?)
キャルの呟きに応じたのか、それとも今までのことを思い返しての謝罪か。
ハンスが呆然としていると、アーロンは緩く首を横に振り、
「あれだけ嫌っていたわしらのために、ここまでしてくれるとは思わなんだ」
その言葉に、いやですねえ、と逸早く我に返ったスージーが笑う。
「お隣さんのことですよ? 放っておけるわけないでしょう」
「…そうか…」
アーロンは一瞬きつく目を閉じて小さく呻き、ハンスへと向き直った。
「…ハンス。先程はすまなかった」
「へっ!? い、いや、気にしないでください!」
ハンスは思い切り狼狽える。アーロンが頭を下げるのを初めて見たのだ。
アーロンはその態勢のまま、言葉を繋いだ。
「…可能であれば、下エーギル村のマーク村長と話し合いの場を持ちたい。ハンス、立ち会ってくれんか」
真剣そのものの声に、ハンスたちは目を見開く。今までとは違う──明らかに、流れが変わろうとしている。
「──分かりました」
ごくりと息を呑んで、ハンスは頷いた。
「明日の朝イチで、マークに都合を聞いてきます」
「…助かる。こちらはいつでも大丈夫だ。必要とあらば下エーギル村に出向こう」
そうしてその場は一旦解散となり、アーロンは息子用の食事を手に、トムとキャルと共に帰って行った。
その日の夜は冒険者ギルドエーギル支部の仮眠室に泊まり、翌朝、ハンスはスージーたちと共に下エーギル村へ戻った。
「アン、メアリ、ありがとねぇ」
「なんの、困った時はお互い様だろ?」
「久しぶりにみんなの顔が見られて楽しかったよ! またいつでも声を掛けとくれ!」
アンとメアリはやり切った笑顔でそれぞれの家に帰り、ハンスとスージーも帰宅──する途中で、畑で作業しているポールを見付けた。
「オヤジ!」
ハンスが声を掛けると、黙々と鍬で土を耕していたポールは顔を上げ、わずかに目元を緩める。
「帰ったか」
「ああ、ただいま」
スージーが笑顔で頷いた。ハンスは周囲を見渡し、他の人間が誰も居ないのを確認してからひそひそと言う。
「オヤジ、ありがとな。ヤバかった連中はみんな助かった。食事も全員に食べてもらえたぜ」
「…そうか」
ポールが口元も緩め、『笑顔』と分かる表情になった。仏頂面がデフォルトで寡黙なこの男には珍しい反応である。
ハンスは少しだけ驚いたが、それだけ上エーギル村の仲間のことが心配だったのだろうと納得した。
…無論それもあるが、実のところ、『ハンスに礼を言われたのが嬉しかったから』というのが理由の大半を占めていたりもする。
ともあれ一旦ポールと別れて家に戻ると、スージーはすぐに農作業の支度を始め、ハンスは村長──マークのところへ向かった。
「…お?」
村長の家の庭には、ジェニファーと、その息子のネイトの姿があった。庭のハーブを収穫しているらしく、それぞれ片手にカゴを抱えている。
「おはようさん」
「あ、おはようございます」
とりあえず近くのネイトに声を掛ける。ネイトはパッと顔を上げ、ちょっと恥ずかしそうに立ち上がった。
「家の手伝いか?」
「ええ、まあ」
少々目が泳いでいる。
手伝うのはやぶさかではないが、それを他人に見られるのが恥ずかしいお年頃──ハンスはすぐそう理解して、話題を変えた。
「マーク村長は居るか?」
「はい。けど、今は来客中で」
「あー…」
それもあって、ネイトとジェニファーは外に出ていたのだ。ハンスが呻いていると、ジェニファーがやって来た。
「ハンス、おはよう」
「おはようさん」
ジェニファーが抱えるカゴには、ハーブがぎっしりと入っている。ミント系の爽やかな香りに、ハンスは少しだけ肩の力を抜いた。
ジェニファーがくすりと笑う。
「マークに用事よね?」
「ああ。けど、客が来てるんだろ?」
「ハンスなら大丈夫だと思うわ」
「…?」
どういうことかとハンスが首を傾げたところで、家のドアが開いた。
「ハンス!」
ドアを開けたのはマークだった。
「マーク、おはようさん。来客はいいのか?」
真面目なマークが来客を放ってわざわざ外に出てくるのは少々意外だ。ハンスが問い掛けると、『おはよう』と応じたマークは柔らかく目を細めて苦笑した。
「ちょうど、ハンスの話をしていたところなんだ。よかったら入ってくれないか?」
「…? おう」
ハンスは首を傾げながら、招かれるままドアをくぐる。
そしてすぐ、どういうことか理解した。来客というのは、
「なんだ、ナターシャか」
「なんだとはご挨拶だね」
ソファーに座って紅茶を飲んでいた女性──ユグドラの街の商人、ナターシャがじろりとハンスを見遣る。皮肉たっぷりの口調にわざとらしく顰められた目元。ハンスは目を逸らし、肩を竦める。
「あー、ゴホン。久しぶりだなナターシャ。もう街道を上って来れるようになったのか」
「乗合馬車はまだだがね。ウチの半魔馬なら余裕さ」
「そりゃまた、心強いことで」
ナターシャ率いるラキス商会が保有する半魔馬は、悪路に強く寒さにも暑さにも強い。ハンスは素直に感心したが、ナターシャはフッと疲れたような笑みを浮かべた。
「…というか、秋に下エーギル村の牧草を食べさせたら、味をしめたらしくてね。冬の間、何度も下エーギル村に来たがって困りものだったんだよ」
「そりゃ…また……」
ユグドラの街から隣の町に行く途中、しれっと道を逸れて下エーギル村へ向かうルートを辿ろうとしたことが複数回。
下エーギル村の農産物は、人間だけでなく半魔馬も虜にしたらしい。食べ物の引力とは恐ろしい。
マークが苦笑した。
「そんなわけで、半魔馬用の飼料として、乾燥牧草を提供することになったんだよ」
「飼料というか、ご褒美──おやつ扱いさ。でないと普通の飼料を食べなくなっちまう」
「そこまでかよ」
「そこまでなんだよ」
ナターシャは深刻な顔で頷いた。そして、で、と話を切り替える。
「マーク村長に聞いたんだが、上エーギル村の住民に体調不良者が続出してて、解決策が『下エーギル村の食材を食べること』なんだって?」
「ああ、そうだ。…つっても、あくまで症状が出てない人間に対する『予防策』としてな。しかも1回2回でどうにかなるってわけじゃなくて、継続して食べなきゃいけないらしい」
そこまで言って、ハンスは気付いた。
これから先、継続的に上エーギル村に食材を提供するとなると、必然的にナターシャに渡せる量が減ってしまう。下エーギル村の食材の生産量は、すぐに増やせるものではない。




