80 特別な料理
ハンスとリンが連れ立って足早にギルドに戻ると、
「ああハンス、おかえり」
「…って、どうやって持って来たんだその鍋!?」
キッチンにあったはずの巨大鍋が、何故か受付ホールのテーブルの上にデン!と置かれていた。
空っぽならともかく、野菜スープがなみなみと入った状態で、である。
ハンスが叫ぶと、スージーはきょとんとして首を傾げた。
「どうやってって…そりゃ、みんなで協力して持って来たに決まってるだろ?」
「…」
その言葉に、ハンスは瞬時に悟る──聞いたオレが馬鹿だった。
「あーうん、そうか。火傷しなくてなによりだ。──上エーギル村の連中は、食器を持って順次ここに来てくれるらしい。鍋は持って行かなくていいってよ」
「ああ、そりゃあ助かるね」
スージーたちが破顔した。流石に、外まで持って行くのはきついだろう。
(…だよな? せめてそれくらいの感覚でいてくれよ…!?)
ハンスが心から願っていると、ギルドの扉が開く。
「ハンス、来たぞ」
「おっ、ジョゼフのおやっさん、早かったな」
ハンスが場所をあけると、ジョゼフとデニス、ほか数人の鉱夫が入って来て──スージーたちを見て目を見開いた。
「す、スージー!?」
「アンにメアリも!?」
「なんだい、その反応は」
スージーたちが揃って半眼になる。が、よく見ると口の端が上がっていた。
「私たちが居たら都合の悪いことでもあるのかい?」
「い、いや、そんなことは」
明らかに鉱夫たちの腰が引けている。
今ここに居るのは、昔から村に住んでいた者ばかりだ。昔は仲が良かったのにここ数年は村単位で仲違いしていてろくに顔を合わせていなかったため、大変気まずいのである。
が──その気まずさを感じているのは、残念ながら鉱夫たちだけだった。
「ほら、さっさと来な! 後がつかえてるんだから!」
メアリに言われ、鉱夫たちが慌ててテーブルに近寄る。
持参した食器に次々料理が盛られ、受け取ってそれぞれ席についてなお、鉱夫たちはおっかなびっくりという様子だった。
「す、スージー、その」
ジョゼフが声を掛けると、最後の一人に野菜スープを渡したスージーが顔を上げる。
「なんだい、ジョゼフ」
「…どうしてここまでしてくれるんだ?」
「は?」
「その…下エーギル村の連中は、俺らのことを嫌ってるんだろ?」
その言葉にスージーは片眉を上げ──深々と溜息をついた。
「そんな馬鹿な話があるかい。あんた、面と向かって下エーギル村の誰かに罵倒されたのかい?」
「え? …いや、そんなことはないが…」
ジョゼフが首を横に振ると、スージーは当然だという顔で頷く。
「そりゃあ、仲が良くない組み合わせもあるんだろうさ。私だって苦手な相手の一人や二人、居るからね。──で、それと、隣村の連中にお節介を焼くのと、なにか関係があるかい?」
「…へ?」
ぽかんと口をあけるジョゼフに、スージーはキッと眦を吊り上げた。
「個人的に好きかどうかと、隣人を見殺しにできるかどうかは別問題だって言ってるんだよ。グダグダ言ってる暇があるならさっさと食べな、『枯れ枝ジョゼフ』!」
途端、ジョゼフの表情が崩れた。
「なっ!? おま、その呼び方は封印したはずだろ!?」
『枯れ枝ジョゼフ』とは、彼の子どもの頃のあだ名である。同年代の中では断トツで痩せていた彼のことを、友人たちはこぞってそう呼んでいた。
なお、スージーにも似たような系統のあだ名があったのだが──それを口にしたら最後、徹底的に叩かれるのは目に見えているため、幼馴染たちの間では完全に『禁句』扱いになっている。いわゆる『黒歴史』である。
ジョゼフの抗議に、スージーは腕組みしてフンと鼻を鳴らした。
「吹けば飛びそうなガリッガリの体型になっといて何言ってんだい。文句はちゃんと食べてちゃんと寝て健康になってから言いな。──みんなもだよ!」
「!」
「うっ」
ギッと睨まれ、鉱夫たちが気まずそうに身じろぎする。
スージーの指摘通り、鉱夫たちは全員痩せていて顔色が悪い。肉体労働で筋肉質になっただけにしては、あまりにも不自然な──病的な痩せ方だ。
自覚していなかった──いや、目を逸らしていた事実を真正面から指摘され、鉱夫たちはお互い顔を見合わせてしょんぼりと肩を落とす。アンとメアリは苦笑するばかりで、助けようとはしない。
ハンスはそっと片手を挙げた。
「あー、おふくろ、そのへんで勘弁してやってくれ。今は全員に食ってもらうのが先、だろ?」
「…まあ、そうだね」
スージーが険のある表情を引っ込めると、鉱夫たちはようやくホッとした顔でスプーンを手に取った。
「…いただきます」
そうしてスープを一口飲むと──
「…美味いな」
「ああ…久しぶりに食べた…」
「…」
鉱夫たちが、安心したような、懐かしむような呟きとともに相好を崩した。
数人は、目に涙を浮かべている。
「…っなーにぼーっとしてんだい! 早く食べな!」
スージーは一瞬表情を歪め、無理矢理笑顔を作って強い口調で言い放った。
その目は確かに潤んでいたが、ハンスは気付かなかったことにした。
その後、上エーギル村の住民たちが次々やって来て、ハンスたちはその対応に忙殺された。
鉱夫たちから話を聞いたらしく、スージーたちの存在に驚く者は居なかったが、昔馴染みの者はやや気まずそうにやって来ることが多く、ハンスの知らない顔──鉱山ができてから移住して来た住民は、ハンスたちに懐疑的な視線を向けていた。
スージーたちは素知らぬ顔で食事をよそっていたし、胡散臭いものを見る目をしていた者たちも、一口食べるなり夢中で食事にがっつき、食べ終わる頃には完全に態度が軟化していたが。
食の影響力はすさまじい。
そうこうしているうちにどんどん料理は減り、もうほぼ全員に行き渡ったのではないかという頃にやって来たのは──
「よっ、ハンス!」
「トム、やっと来たか。寝坊か?」
ハンスの幼馴染でエリーの夫でもあるトムは、ハンスの軽口に肩を竦める。
「夕食に丁度いいくらいだろ? それに、引っ張って来なきゃならない御仁も居たんでな」
「うん?」
トムは一旦外に出て、小柄な人物の背中を押しながら戻って来た。ハンスは軽く目を見開く。
「アーロン村長…」
「…」
 




