79 上級回復薬の効果
スージーが空になった食器をてきぱきと片付け、さて、と軽く手を叩く。
「それじゃ、みんなに食べさせてやろうかね! …鍋を広場にでも持って行った方が良いかい?」
「あー、ちょっと待っててくれるか? トレ=ド=レントに確認してくる」
「おや、そうかい。分かったよ」
誰が料理するかを考えていなかったように、どのように配膳するかもノープランだ。急性症状が出ていた患者にはもう上級回復薬が届けられたというが、実際どの程度で回復するのかも分からない。
ハンスはすぐにギルドの外に出た。
春の日は短い。辺りは既に薄闇に包まれ、西の空は残照に紅く染まっている。東の空には、2つの月が浮かんでいた。
(…今日は『望の日』だったのか)
この世界の月は、2つある。
一つは、常に球形で明るさが増減する、淡い青の月。もう一つは、形状が周期的に変化する白い月。
この『青い月が最も明るくなるタイミング』と、『白い月が満月になるタイミング』が重なる日のことを、『望の日』と呼ぶ。
『望の日』に月に願掛けして告白すると相手に想いが伝わりやすいとか、いつもより少しだけ速く走れるようになるとか、眉つばものの話は色々あるが──冒険者の間では、厳然たる事実として、『魔物の活動が活発になり、魔素から発生する魔物の量も増える』ことが知られている。
白い月の満ち欠けは周期的だが、青い月の明るさの変化に法則性はないため、『望の日』の予測方法は確立されていない。
ただ、
(なるほど、『望の日』なら坑道にワイルドベアが発生してもおかしくは……ない、よな…?)
一旦は納得しかけて妙な違和感を覚え、ハンスは内心首をひねる。
ハンスの経験上、『望の日』に魔物の『発生数』は増えても、『今までそこで発生したことのない魔物が現れる』ことは稀だ。
…はて、ワイルドベアは坑道で普段から発生していたのだろうか──一瞬考え込みそうになったハンスは、ギルドの中から漂う野菜スープの匂いにハッと我に返った。
「…今はこの事態の対処が先だな」
首を振って疑問を棚上げにし、ハンスは改めて歩き出す。
向かうのは鉱夫たちの休憩所だ。料理が出来上がったことをトレドに伝え、上エーギル村の住民たちに食べるよう勧めてもらう必要がある。
「トレ=ド=レント、居る──…か…」
休憩所のドアを開けて声を上げる途中、ハンスは中の光景を見て固まった。
重症だったはずの4人の鉱夫が上体を起こし、それぞれ家族や恋人らしい相手に抱き締められている。
「よかった…よかったよ…!!」
「あれだけ無理するなって言ったのに、あんたは…!」
喜んだり泣いたり怒ったり、反応は様々だが、全員無事に回復したのは一目で分かった。
ただ、ホッとする一方、独り身のハンスとしては少々身の置き場がない。
(入りづらい…)
扉を中途半端に開けた状態で突っ立っていると、
「あ、ハンスさん!」
奥から出て来たリンの声に、その場の全員の視線がハンスにバッと集中した。
その視線の中には、刺々しさや疑念、警戒の色もかなり含まれている。居心地の悪さに思わず視線を逸らすと、別方向から声が掛かった。
「ハンス…!」
足音を立てて近付いて来たトムの父──ジョゼフが、ガシッとハンスの手を掴み、大仰に上下に振り回す。
「ありがとう! おかげでみんな助かった!」
「いや、オレは何も」
薬を作ったのはアルビレオだし、治療にあたったのはトレドだ。
ハンスが首を横に振ると、何言ってる、とジョゼフは笑う。
「薬を作ってくれた錬金術の先生は、お前が居たから力を貸してくれたんだろう? 材料を集めるのにも走り回ってくれたらしいじゃねぇか」
その言葉と、周囲にこっそり視線を走らせる様子で、ハンスは気付いた。
ジョゼフは、この場にいる者たちの険のある雰囲気を何とか和らげようと、わざわざ口に出して説明してくれているのだ。
「そうですよハンスさん!」
リンがキリッとした顔で、ここぞとばかりに言葉を添える。
「坑道に出たワイルドベアを倒したのだって、奥で倒れてた人たちを助け出したのだって、ハンスさんじゃないですか!」
「いやお前も居ただろ」
「私は手伝っただけです」
「そこで胸を張るな、胸を」
思わずいつもの調子で突っ込んでいると、周囲から笑い声が漏れた。
ハンスがハッとして見渡せば、警戒や敵意が薄れた代わりに、全員、何やら生温かい目をしている。
「くくく…良いコンビじゃねぇか、ハンス」
「え」
「良いコンビだなんてそんな。…もっと言ってください」
一瞬照れたリンが、次の瞬間、真顔になって呟いた。
周囲がブフッと吹き出し、ハンスは力一杯突っ込む。
「変な要求すんな! お前段々モクレンに似てきてないか!?」
「え、ホントですか!?」
「褒めてねぇよ! 嬉しそうな顔をするんじゃない!」
微妙に会話が嚙み合っていない。ぱあっと顔を輝かせるリンにハンスが叫んだところで、まあまあ、とトレドが割って入った。
「御覧の通り、みなさん無事に回復しましたので、ひとまずは安心です。…それでハンスさん、あなたがここに来たということは…」
促す視線に、ハンスは咳払いして表情を改める。
「ああ。頼まれてた料理が仕上がった。今、ギルドのキッチンに置いてあるんだが、どうしたらいい? ここに持って来た方がいいか?」
トレドが主導している、という体で指示を求めると、トレドは少し考える顔をして、首を横に振った。
「鍋を運ぶのも大変ではないですか? みなさん、歩ける程度には回復しましたし、順番に直接出向いた方が良いでしょう」
「あー、確かにそうだな」
熱々の巨大鍋を運ぶのは、魔法でも使わない限りかなり危険だ。食器も足りないし、各自、自分の食器を持って来てくれた方が助かる。
「食器を持ってギルドへ行くよう、私が伝えて回りますので、ハンスさんはギルドで配膳の準備をお願いします」
「おう」
「トレド先生、俺たちにも手伝わせてくれ」
デニスやジョゼフ、回復した鉱夫たちとその家族も手を挙げる。トレドは表情を和らげて頷いた。
「ありがとうございます。では私は、ギルドに用意されている食事の効能について説明して回りますね。みなさんは、先に自分の食器を持ってギルドに行ってください。自分たちが食べ終わったら隣の家の人に声を掛けて、順番に、全員が食べられるように──お願いできますか?」
「おう!」
「任せとけ!」
こちらはトレドに任せておけば大丈夫そうだ──ハンスがちょっと安心して休憩所を出ると、リンもついて来た。
「ハンスさん、私もそっちを手伝います」
「おう、ありがとよ」




