78 料理と試食
その後ハンスはスージーたちと合流し、食材と道具類をギルドへ運び込んだ。
なおハイランドシープたちとツバキは、荷物が降ろされるとすぐに帰り支度を始めた。
午前の坑道での騒動が尾を引いて人通りは少ないものの、数人の村人に奇異の目で見られたのが煩わしかったらしい。
それに、
《さっさと帰らないと、下エーギル村にワイルドベアが入り込む可能性があるのよね》
「オイ待てなんだそりゃ」
《あら、不思議に思わなかったの? ──ちゃんとした防護壁もないのに、どうして下エーギル村の『中』にワイルドベアが入り込むことがないのか》
指摘されてハンスは気付く。
確かに、ハンスが帰郷してから初めてワイルドベアに遭遇したのは、村外れの畑。
それまでの──村人が倒したワイルドベアの記録を思い返しても、例えば村唯一の宿の近くなど、人が居住している場所まではワイルドベアは入って来ていない。まあ、村の中に侵入する前に、全て出会い頭に倒されてしまっているというのも事実だが──
《村の中は、メリーさんたちのナワバリなの。ワイルドベアよりメリーさんの方が強いから、奴らも迂闊に近付けないのよ》
「…ワイルドベアより強いハイランドシープ……」
ハンスは思わず平坦な顔でメリーさんを見遣る。
──ベェ。
メリーさんはにやりと笑うように目を細め、低い声で鳴いた。
メリーさんとツバキたちが帰って行くのを見送り、ハンスは改めてギルドの中に入る。
「エリー、共用キッチンを借りられるか? 調理に使いたいんだが」
「勿論よ。って言うか当り前じゃないの。ちゃーんと手配してあるわ。トレド先生から、代謝を促進する薬草っていうのも預かってるから」
ハンスが訊くと、エリーは即座に言い放った。
エリーの方が一枚上手だ。伊達に10年近くギルド職員をしていない。
そうして、スージーとアンとメアリ主導、ハンスとエリーが助手となり、共用キッチンで調理が始まった。
「ハンス、ジャガイモとニンジンを洗っとくれ」
「おう」
「それが終わったら玉ねぎの皮むきだよ!」
「はいよ」
「ハンス、そっちの棚の上にある瓶を取っておくれ。多分油だ」
「おう…って、メアリおばさん届くだろ!?」
「ん? …おや、本当だ」
などと、賑やかに調理することしばらく。
ベーコンやウインナーをたっぷり入れた薬草入り野菜スープに、焼き立ての白パン、温めた牛乳とヤギミルク──出来上がったメニューは、ハンスにとっては『いつもの食卓』とほぼ同じラインナップだった。
「普通だな」
思わず正直に呟くと、スージーが腰に手を当てて応じる。
「病人も居るってのに、奇をてらってどうするんだい。こういう時は馴染みのある料理の方が良いんだよ」
もっともである。
ハンスが首を竦めていると、キッチンの入口にアルビレオが顔を出した。
「美味そうな匂いがするな」
「ああ、今ちょうど出来上がったところだ」
ハンスの言葉に、アルビレオが破顔する。
「それは良かった。こちらも必要分は仕上がったぞ」
「マジか」
ハンスは軽く目を見開く。
上級回復薬は、錬金術師が作る薬の中でもかなり高額な部類に入る。希少な材料を使うのは勿論、工程も複雑で、作るのに時間が掛かるからだ。
それが、みんなで料理をしている間に仕上がった──よほどの腕があって、かつ相当の無茶をしない限り、無理な芸当である。
実際、アルビレオの目の下には濃いクマができていた。本来時間を掛けるべきところを魔力で強引に反応を進め、無理矢理作業時間を短縮した結果だ。
「仕上がった薬は取り急ぎ、リンに持って行ってもらった。急性症状の出ていた連中は、あれを飲めば回復するだろうさ」
「そうかい…!」
スージーたちが顔を輝かせる中、ハンスはアルビレオの腕を軽く引っ張り、半ば強引に椅子に座らせる。
アルビレオが不思議そうな顔をした。
「何だ? 私はこれから残りの材料を使って追加の薬を作りたいのだが」
「おう。それはマジで感謝してるから、とりあえずメシを食え」
「む?」
「味見だ、味見。あとお前、昼メシ食ってねぇだろ」
ハンスが指摘した瞬間、スージーたちの表情が変わった。
「なんだって!?」
「そりゃあダメだよ!」
「ほら、好きなだけ食べな! おかわりもあるからね!」
ものの数秒で、アルビレオの前に野菜スープとパンとホットミルクが並ぶ。流石のコンビネーションだ。
目を白黒させていたアルビレオは、スージーたちの目力に負けてスプーンを手に取った。
野菜スープを一口飲んで、ピタッと動きを止める。
「どうした?」
ハンスが訊くと、数秒の沈黙を挟み、
「いや…驚いた」
アルビレオの顔がほころんだ。
「リンに聞いてはいたが、本当に味が違うな。美味い。これなら、上エーギル村の者たちも喜んで食べるだろう」
その言葉に、スージーたちが胸を張る。
「そりゃあ、うちの村自慢の野菜だからね」
「どんどん食べな! まだ一仕事あるんだろう?」
「どんな仕事も、体が資本だからね!」
「いただこう」
白パンを野菜スープに浸して食べ切ったアルビレオが、アンから追加のパンを貰う。
アルビレオの見た目がなまじ若いせいで、傍から見たら完全に『遊びに来た孫にひたすら食べ物を勧めるおばあちゃんたち』の図である。
(まあ実際、メアリおばさんトコの孫は十代半ばって話だしな…)
歳も歳だし──ハンスがそう思った瞬間、ギン!とメアリがハンスを睨んだ。
「ハンス、アンタ今、失礼なこと考えてただろう」
「な、何も考えてねぇよ!」
「何も考えてないのはどうかと思うけどねぇ」
「ねえ」
咄嗟に否定したら、アンとスージーから別方向の突っ込みが入った。
(どうしろってんだ)
ハンスが地味に泣きそうになっていると、野菜スープとパンを食べ切り、ホットミルクを飲み干したアルビレオが朗らかに笑う。
「ご婦人がたの前では、言動に気を付けることだな、ハンス」
「…お前、他人事だと思って…」
「ははは」
口元をハンカチでぬぐい、アルビレオが立ち上がった。先程までより、かなり顔色が良くなっている。
「さて、私は仕事に戻ろう」
「おや、もういいのかい?」
「あまり食べると、上エーギル村のみなが食べる分が減ってしまうだろう?」
ごちそうさまでした、と手を振って、アルビレオはキッチンを出て行った。
 




