76 移動手…段?
その後畑から戻って来たポールから追加の野菜を受け取り、スージーたちと手分けして鍋と調理器具と食材を圧縮バッグやら木箱やらリュックやらに詰め込み、家の前に持ち出したハンスは、ポールから借りた『ケットシー呼びの笛』を吹いた。
──ィイイイイ!
甲高い音が村にこだまして数秒。
「……!?」
《待たせたわね》
現れたのは、グレーのハチワレ柄のケットシー、ツバキ──を頭に乗せた、巨大な羊だった。
唖然と目を見開くハンスの横で、スージーが納得の表情を浮かべる。
「ああ、なるほど」
「いやなるほどってなんだよ!?」
周囲を見渡すと、スージーだけでなくポールもアンもメアリも平然としている。驚いているのはハンスだけだ。
巨大な羊が短く鼻を鳴らし、ツバキが呆れたように目を細める。
《ハンス、貴方『ハイランドシープ』も知らないの?》
「ハイランドシープって…魔物じゃねぇか!」
「そうだな」
「そうだね」
「当たり前だろう?」
「…なんだこの反応!?」
ハンスが突っ込んだら、ポールたちがあっさりと頷いた。大変理不尽にも思えるが、彼らにとってはハイランドシープがここに居ることはそれほど驚くことではないのだ。
ハイランドシープは、ハンスの言う通り魔物の一種である。
ただし性質としては普通の動物に近く、大体は雌雄で繁殖し、魔素から直接出現することは稀。基本的には群れで行動し、草食性の強い雑食性で大人しく、人間の生活領域を侵すこともない。
が、群れの仲間が傷付けられると激昂し、地属性魔法と蹄と口吻と角を使って暴れ回り、辺り一面を荒野に変える。
角や蹄は錬金術の素材になり羊毛は服飾素材として高値で取り引きされるが、冒険者の間では、群れに遭遇したら絶対に手を出すなと言われる──そんな魔物だ。
《彼らも下エーギル村の住民よ。あんまり失礼なこと言うと、髪の毛むしられるわよ?》
ツバキが言うと、ハイランドシープが歯を見せて笑い、そのままキュリキュリと顎を左右に動かして臼歯を擦り合わせる。
本当に髪の毛を食い千切りそうな動きに、ハンスは頭を両手でガードして飛び退った。
「やめろ、貴重な髪を狙うな!」
最近、ちょっと前髪の後退具合いを気にしているハンスである。
そこでようやく、ハンスの理解が追いついた。
「……って、村の住民?」
《そうよ。下エーギル村の放牧場にいた羊は、みーんなハイランドシープなの。気付かなかった?》
「マジか……遠すぎて分からなかったぜ」
改めて姿勢を正し、ハンスはハイランドシープを見上げる。
『見上げる』という言葉通り、頭の位置はハンスの目線より上だ。体高2メートル超──ちょっとした馬車よりも大きい。
普通のハイランドシープよりも明らかに大きいのだが、『まあ下エーギル村の羊だからな…』とハンスは無理矢理自分を納得させる。その点に関しては、もはや突っ込む気にもなれないのだ。
瞳孔が横に長いのは、普通の羊と同じ。ただし、目の色はワイルドベアなどと同じ紅色。
少々背中が冷えるが、村の住民というなら警戒する理由はない。ハンスはそう判断した。
「驚いてスマン。オレはポールとスージーの息子の、ハンスだ。よろしく頼む」
ハンスが頭を下げると、ハイランドシープは目を細めて頷き、低い声で短く鳴いた。
──ベェ。
《彼女はこの村のハイランドシープのリーダー、『メリーさん』よ。ちゃんと『さん』まで付けて呼ぶこと。いいわね?》
「お、おう」
ツバキの説明に、ハンスは若干引き気味に頷く。
(やたら可愛らしい名前だな…)
なお、そこを指摘するともれなくメリーさんから突っ込み(物理)を食らうのだが──ハンスは無意識に回避していた。
ともあれ、
《上エーギル村行きの荷物は、メリーさんが運んでくれるわ。載せて頂戴》
「載せるって…どうやってだ?」
《体毛に絡ませるの》
ツバキがメリーさんの背中に視線を投げると、メリーさんがその場に座り込んだ。それでようやく、人間の手が背中に届くようになる。
スージーたちがメリーさんの背中の体毛をかき分け、生じた凹みに木箱やら布包みやらを入れ込んで、蓋をするように体毛を寄せる。すると、体毛がキュッと締まり、荷物が動かなくなった。
「…体毛を自分で動かせるのか?」
《そうよ?》
ハンスの疑問に、ツバキが不思議そうな顔をして応じた。
何故そんなことを訊くのかと言わんばかりの態度だが、本来、ハイランドシープにそんな能力はない。
色々とお察しである。
スージーたちが全ての荷物を載せ終えると、メリーさんは一声鳴いて立ち上がった。かなり強引に体の側面に埋めた荷物もあるのだが、メリーさんは平然としている。
なお、世界樹の枝とエリク草が入った木箱だけは下手に中身を見られてはいけないので、中に緩衝材代わりの羊毛を詰め、ハンスが後生大事に背負っている。
《じゃ、あとは人間ね》
「へ」
ツバキがさらりと言い放ち、ハンスが呻いたところで、
──ベエエエエェ──!
メリーさんが天に向かって吼えた。
『大人しい魔物』とは思えない野太い雄叫びに、ハンスはギョッと目を見開く。
ほどなく、
──メエエエエェ──!
メリーさんより若干高い声が響き、4頭のハイランドシープが地面を蹴立てて駆けてきた。
みな、メリーさんよりは小さいが、馬と肩を並べられそうなほど大きい。メリーさんの前にビシッと整列し、一斉にその場に座り込む様子は、よく訓練された軍隊さながらだ。
《さ、乗りなさいな》
メリーさんの頭の上で、ツバキがひらりと尻尾を振る。
《彼らの足にかかれば、上エーギル村まであっという間よ》
「いや待て、ひつ──ハイランドシープに乗るのか!?」
羊、と言いかけた瞬間にメリーさんたちに睨まれたので、ハンスは咄嗟に言い直す。視線が怖い。
ハンスの戸惑いをよそに、スージーたちは平然とハイランドシープたちに近寄った。
「ありがとうね、助かるよ」
「正直、山登りは久しぶりすぎてあんまり自信がないからね」
「ああ。道もうろ覚えだよ」
「誰か突っ込めよ!?」
叫ぶハンスの肩に、ポールがポンと手を置いた。
「落ち着け、ハンス」
「オヤジ…」
「ハイランドシープに乗るくらい、子どもの頃に散々やっていただろう」
その言葉に、ハンスは子どもの頃のことを思い出す。
確かに、幼馴染のトムの家は牧畜農家だったから、上エーギル村に遊びに行くと高確率でヤギや羊を追い、背中に乗ったりもしていた。
が、ハンスの記憶にある限り、その『ヤギ』も『羊』ももう少し小さかったはずだ。少なくとも、大人が見上げるレベルの体格ではなかった。
あと、あれはあくまで『羊』であって『ハイランドシープ』ではなかったはず──そこまで考えて、ハンスは急速に自信がなくなってきた。
ユグドラの街の『普通』と下エーギル村の『普通』が必ずしも同じではないことは、今まで散々経験してきた。上エーギル村の羊も、『羊』呼ばわりされていただけで実は魔物だったとしてもおかしくない気がする。
というか本当にそうなのではないだろうか。今ポールが『ハイランドシープ』とはっきり言ったし。
「…って、そういう問題じゃねーだろ!」
ノリ突っ込みを入れた後、ハンスは深々と溜息をついた。
既にスージーたちはそれぞれハイランドシープに乗っている。移動手段としては全くポピュラーではないはずなのだが、誰も彼も、全く気にしていない。
(…動揺してるのはオレだけかよ…)
言葉にできない理不尽さを感じつつ、ハンスは背負った木箱の感触を確かめ、残る1頭に近付いた。
「あー、その、頼めるか?」
──メェ。
ハイランドシープはキリッとした顔で短く鳴く。
ハンスが恐る恐る背中をまたいで腰を下ろすと、すぐに足に体毛がキュッと巻きついてきた。締め付け感はそれほどないが、しっかりと固定される。
《さ、それじゃ行くわよ》
ツバキの言葉にメリーさんが一声鳴き、ハイランドシープたちが一斉に立ち上がる。
「うおっ」
ハンスは思わず声を上げた。思ったより、かなり目線が高い。
見下ろすと、ポールが冷静な顔でハンスを見上げていた。
「気を付けて行け」
「おう」
「ポール、今日は帰れないかも知れないから、夕飯は適当に食べとくれ」
「ああ、分かった」
スージーの言葉にも、ポールは淡々と頷く。
こんな時でも冷静だな──そんなことをハンスが思っていると、
──ベェェェェエ──!!
──メェェェェエ──!!
ハイランドシープたちが鳴き交わし、次の瞬間、一斉に駆け出した。
「なっ…!?」
それが、滅茶苦茶速い。
あっという間に加速したハイランドシープたちは、道をガン無視して畑や草原を駆け抜け、所々に設置された柵も軽々と飛び越えて下エーギル村を飛び出し、恐ろしい勢いで急斜面を駆け上がる。
──うわあぁぁぁぁぁ──
長く尾を引くハンスの悲鳴だけが下エーギル村にこだまする中、ポールはそっと目を閉じた。
「………強く生きろ、ハンス」




