73 ルールとは、くぐり抜けるためにある。
その後、皆は一斉に行動を開始した。
アルビレオとエリーは冒険者ギルドエーギル支部の解体部屋を錬金術用に片付け、トレドは患者を診る傍ら、上級回復薬の材料を診療所から運び出す。
リンはアルビレオの指示で必要な素材の採集に走り、ゲルダは水の魔素の濃い清水の確認をした後、モクレンと共に上エーギル村を発った。
「下エーギル村で待てば、明日の朝、乗り合い馬車が出るぞ?」
「走った方が早い」
「夜通し走るつもりかお前は」
ハンスには、ゲルダの判断基準が理解できなかったが。
ともあれハンスは下エーギル村に戻り、丁度昼休憩で家に帰っていたポールとスージーに相談を持ち掛けた。
「…ってわけで、取り急ぎウチから野菜を持って行きたい。出来れば、ガイのおやっさんのところのベーコンなんかもあると嬉しいんだが…」
昼食のテーブルを囲みながらの相談。
水の魔素の影響を受けているであろう上エーギル村の住民に、下エーギル村の食材で作ったスープを飲ませるのだというハンスの説明に、スージーが驚き混じりの顔で頷く。
「そんなことになってたんだねえ…。いいよ、用意するから好きなだけ持ってお行き。──村のみんなにも声を掛けた方が良いんじゃないかい?」
確かに、下エーギル村の面々に声を掛ければ食材はいくらでも集まるだろう。が、ハンスは首を横に振る。
「いや、今はとにかく早く動きたいから、第一陣はウチだけで……ああけど、マークには説明しておいた方が良いか…?」
気付いてハンスは頭を抱えた。
既に話がかなり大きくなっている以上、情報共有は必須だが、如何せん、ハンスには時間がなかった。本当は今すぐにでも世界樹のところに行きたいのだ。
「それなら、私が話を通しておくよ」
「えっ」
スージーが頼もしく笑う。
「今聞いた話を、マークに伝えれば良いんだろう? 上エーギル村の一大事だ、マークならすぐに理解してくれるだろうさ」
世界樹の葉とエリク草のことは伏せて、上エーギル村で体調を崩す者が増えていること、その予防に下エーギル村の食材が効果的だと薬師に助言されたこと、ハンスたちが既に動き出していることを説明しておく。スージーはそう請け負った後、ハンスに向けて苦笑する。
「マークも、もちろん私らも、ずっと上エーギル村のことを気にしてたんだ。仲間外れにしないどくれよ」
「…」
スージーの言葉に、ポールも黙って頷く。ハンスは軽く目を見開いた後、ガシガシと頭を掻いた。
「あー、そうだな、悪い。じゃあマークへの説明はよろしく頼む」
ハンスは無意識に、冒険者ギルドと関係者だけで動こうとしていた。
だが元々、上エーギル村と下エーギル村は協力しながら暮らしていたのだ。仲違いしているといっても、無関心ではいられないのは当然だろう。
「ああ、任せておきな」
スージーは自分の胸を軽く叩いて笑った。
そうして、食材の手配とマークへの情報共有は見通しが立った。
残る問題は、
「…あとは、世界樹の葉とエリク草か」
野菜スープを飲み干して呟くポールに、ハンスはパンを飲み込んで頷く。
「ああ。エリク草は数株、世界樹は枝なら1枝、葉なら10枚もあれば十分だ」
「…」
秋に枝を一束持って行ったのだから、それくらいは融通できないか──ハンスがそう訊くと、ポールは難しい顔をした。
「…契約がある」
「あー…やっぱ、無理か…」
世界樹の枝もエリク草も、厳密には王立研究院の持ち物だ。分かってはいたが、ポールの口からそれを聞くとやはり難しいのだと実感する。
最悪、自分がこっそり盗んだことにしてでも──とハンスが思っていると、ポールが目を細めた。
「……俺には、契約がある」
「…うん?」
大変含みのある言い方だ。
ハンスが首を傾げると、スージーが苦笑した。
「ああ、そういうことかい。──ハンス、話はお昼を食べ終えてからだよ」
「お、おう」
言われるまま、ハンスはパンと野菜スープを胃に流し込む。腹が減っては戦はできぬ。
その後、手分けして食器の片付けまで終えると、ポールが2階の書斎から書類を持って来た。
「ハンス、これをよく読め」
手渡された書類は、見るからに上質な紙を使っていた。ただしわずかに黄ばんでいて、やや古いものだと分かる。
「…世界樹ならびにエリク草の栽培契約書…」
ハンスが表題を読み上げると、ポールは黙って頷いた。
ここに突破口がある──ハンスは直感して、真剣に書類を読み始める。
曰く、世界樹の枝ならびにエリク草の所有権は王立研究院にあり、栽培者ポールはその栽培管理の権利のみ有するものとする。
栽培者ポールは、収穫物を全量、王立研究院に提出する。なおこの際、金銭の授受は発生しない。
栽培者ポールはその栽培にかかる消耗品の費用を一時負担し、年に一度、王立研究院に申告する。王立研究院はその申告に基づいて、経費を栽培者ポールに支払う。また王立研究院は別途、栽培者ポールの労働に対する対価を支払うものとする。労働対価は、王立研究院の雑務担当者と同等とする。
(…栽培管理の仕事が雑務扱いかよ…)
色々と突っ込みどころが満載だが、その書き方には確かに抜け道があった。
「…なるほどな」
ハンスはニヤリと笑う。
「栽培者ポールは、か」
「そういうことだ」
ポールもわずかに口の端を上げる。
この契約は、ポールと王立研究院の間で2年前に結ばれたもの。よって、ハンスのことは一言も書かれていない。契約書の効力は『3年』と明記されているから、今もこの契約書が有効だ。
王立研究院の助手にはハンスのことを知らせてあるが、契約書の内容には反映されていない。
つまり、ポールはこの契約の縛りを受けるが、ハンスは対象外なのだ。
「それに、『世界樹が勝手に落とした葉や枝』や『間引きで抜いたエリク草の子株』は『収穫物』にならない」
ポールがぼそりと呟く。
水枯れを起こした野菜が自ら下葉を落とすように、世界樹も稀に葉や枝を落とすことがある。それは不定期に発生し、すぐに分解されてしまうため、ポールも回収できない。
また、エリク草の子株は、過密になるのを避けるために引き抜いて植え直すこともあるが、成長しすぎた株や勢いの良くない株はそのまま廃棄する場合もある。
「え、捨てるのか?」
ハンスが目を瞬くと、ポールは緩く首を横に振った。
「厳密には堆肥にしている。…だが、間引いた株をどうするかは、管理者次第だ」
それはつまり──やってしまえ、ということである。
口元がもぞりと緩みかけ、ハンスは慌てて表情を引き締めた。
「なるほど、分かった。春だしな、芽吹いたやつが多すぎるってこともあるだろ。ちょっと様子を見に行ってくる」
「くれぐれも、『収穫』はするなよ」
「おう」
あくまで真顔で──見るものが見れば『大変悪い顔』で、ハンスとポールは頷き合う。
スージーがやれやれと肩を竦めた。
「まったく、似たもの親子だね、あんたたちは」
そうして──
ポールは上エーギル村に提供する野菜を収穫しに、畑へ。
スージーはマークに話をするため、村長の家へ。
ハンスは、世界樹とエリク草の栽培場へ。
一家は一斉に動き出した。
 




