71 噛み合うピース
ハンスが呟くと、リンがハッと息を呑み、アルビレオは大きく頷いた。
「その通りだ。──そんな状況になること自体、稀なのでな。世間ではほとんど知られていないが」
それを知っているアルビレオは、薬師でもかなり稀有な例と言える。伊達に年は取っていない。
リンが静かに青くなった。
「………待って。それじゃ、私の故郷も……?」
「リンの故郷?」
呟いてから、ハンスは思い出す。
リンの故郷は、ここから北のヨルム山系にある、地属性と火属性の魔石を産出する鉱山の村。
属性は違うが、魔石を採掘するという点では上エーギル村と似ている。
「リンの村でも、何か起きてるのか?」
ハンスが訊くと、リンは泣きそうな顔になった。
「…起きてる、というか、起きてた、ですね。──私の故郷は、事実上、もうないので」
「え──」
ハンスが絶句し、アルビレオとゲルダは静かに目を細め、トレドが小さく息を呑む。
リンは一度目を閉じて、大きく首を横に振った。
「…今は私の話をしてる場合じゃないです。この村にとっても無関係の話じゃなさそうですし、後でちゃんと説明しますけど──今は、目の前の問題を優先しましょ! ね!」
「お、おう」
キリッとした顔で言われ、ハンスは意識を切り替える。
今すぐに何とかしなければならないのは、倒れた鉱夫たちの治療。
次に、原因の究明と対策──原因については『水の魔素のせい』でほぼ確定だろうが、ではなぜここまで水の魔素が濃いのかという点に関しては未解明だ。
そして、『鉱夫たちの体調不良を予防することは出来ないのか』ということも考えなければならない。
上級回復薬はそうホイホイ何度も入手できるものではないし、まともに手に入れようと思ったら村の財政が破綻する。それでは本末転倒だ。
さらに、村の医師であるトレ=ド=レントの『半身』の問題。
トレドは村人たちが原因に気付かぬよう黙っていたものの、治療そのものについてはきちんと行っていた。『上級回復薬が必要だ』という判断がアルビレオの見立てと一致したことからも明らかだ。
人質となっている半身を救出できれば、彼はとても心強い味方になってくれるのではないか──ハンスはそう直感していた。
「…特に体調が悪い奴らに飲ませる上級回復薬は、アルビレオが作れる」
「うむ、材料が揃い次第取り掛かろう」
「で、その材料になる世界樹の葉とエリク草はオレが何とかする。他の素材はトレ=ド=レントとアルビレオとゲルダの手持ちから出して、必要に応じてリンが調達。ここまでは良いか?」
「はい…」
「うむ」
「…ん」
「任せてください」
全員が頷いたのを受けて、ハンスは言葉を続ける。
「アルビレオ、下エーギル村の食材に水の魔素を取り込みにくくする効果があるなら、今それほど症状が出てない上エーギル村の住民には、取り急ぎ食べてもらうってのはどうだ?」
「それはもちろん効果があるが…普段から食べているのではないか?」
不思議そうな顔をするアルビレオに、ハンスは首を横に振った。
「今、上エーギル村と下エーギル村は不自然なくらい仲が悪くてな。上エーギル村は、食材を全て、ユグドラの街の商人から買ってるんだ」
「なに?」
アルビレオが片眉を跳ね上げた。
「…そういうことなら、早めに食べさせた方が良いだろう。即効性はそれほどないだろうが、長い目で見れば上級回復薬より効果的なはずだ」
薬師のお墨付きをもらうと、エリーとリンが手を挙げた。
「そういうことなら、ウチから野菜を提供するわ。ちょうどさっき、ハンスから下エーギル村の野菜を貰ったから」
「私も! うちにあるやつ、使ってください!」
「オレも素材を取りに行くついでに追加の食材を持って来る」
ハンスは頷いて付け足す。アルビレオがニヤリと笑った。
「うむ、それならメニューは『薬師と医師の特製スープ』とでも銘打つか。代謝を促進するハーブも混ぜてやれ。あるだろう、トレ=ド=レント?」
「え、ええ、あるにはありますが…苦いですよ?」
「多少苦い方が効き目があるように思えるだろうよ」
なかなかに底意地の悪い薬師である。
だが『薬師と医師の特製』と銘打ってトレドが推奨するなら、村人たちも食べてくれるだろう。
「あとは、トレ=ド=レントの半身をどうやって助け出すかだが…」
「えっ!?」
トレドが目を見開いた。ハンスは片眉を上げてトレドを見下ろす。
「ん? どうした?」
「え、いや、その、助け出すって…」
「ちょっとハンス、本気?」
エリーも目を見開いている。
ハンスは当然という顔で頷いた。
「当たり前だろ? ──少なくとも、今までのトレ=ド=レントの治療方針は間違っちゃいなかったはずだ。原因については言えなくてもな。で、半身さえ助け出せれば晴れて自由になる。色々と、話してもらえるんじゃないか?」
親切心から言っているわけではなく、こちらにも利があるから提案している。ハンスはそう強調した。
「例えば──トレ=ド=レントに命じているのは具体的に誰なのか、とかな」
「!」
ハンスの頭の中では、既に大方の目星はついている。
だが、証拠がない。証拠がなければ、然るべき機関に訴えることもできない。
「そ、それは…」
トレドの目に、期待と恐怖が浮かぶ。
半身を助けられるかも知れないという期待。助けられなかったら半身が命の危険に晒されるという恐怖。トレドには、どちらも選べないだろう。
だからハンスは肩を竦めた。
「ああ、心配すんな。オレたちが勝手に動くだけだ。トレ=ド=レントは何も言わなくていい」
「え…」
「オレたちはただ、『妖精族の半身を監禁している、人道に反した輩が居る』って噂を聞いたから、冒険者ギルドの『優先事項』に則ってその事実関係を調べるだけだ。なっ?」
ハンスがぐるりと周囲を見渡すと、エリーは苦笑し、アルビレオは肩を竦め、ゲルダは小さく頷き、リンは握りこぶしを作って目を輝かせた。
「あんたも大概屁理屈が上手いわね、ハンス」
「まあその理由なら動くのには十分だろうよ」
「…うん」
「流石はハンスさんです!」
冒険者ギルドには、いくつかの優先事項がある。
曰く、自身を含め、人命救助は全てに優先する。
曰く、自他を問わず、人道に反する行いは見逃してはならぬ。
要するに、『命を大事にしろ』『犯罪行為を許すな』──ごく当たり前のことではあるが、今回のケースではこのルールが活きてくる。
拉致監禁は当然犯罪であり、その上で他者に望まぬ行為を強制するのも、『脅迫罪』として罪に問える行いだからだ。
「──ならばその件は、ゲルダが適任だな」
アルビレオが楽しそうに相棒を振り仰いだ。
「ゲルダ、トレ=ド=レントの魔力の気配なら、追えるだろう?」
「…確認する」
ゲルダはゆらりとトレドに近寄り、背中の羽に顔を近付けた。
くんくんと、匂いを嗅ぐような仕草をして、
「……行けると思う。…でも、ちょっと薄い…?」
眉を寄せてゲルダが呟くと、トレドがはっと顔を上げた。
「薬の効力が…!」
慌てた様子でポーチを漁り、取り出したのは──明らかに、酒の瓶だった。
「って、おい!」
「待て」
ハンスが思わず突っ込むと、アルビレオが険しい表情で手を挙げる。
「トレ=ド=レント、それは不完全な薬ではないか?」
「薬?」
リンが首を傾げると、アルビレオは頷く。
「半身に効率よく魔力を届けるための、妖精族の中でも一部しか使わない特殊な薬だ。…トレ=ド=レント、お前がそれを使うということは、お前の半身は…」
問われたトレドは、酒瓶をぎゅっと胸に抱き、俯き加減に頷いた。
「……はい。私の半身は、『コダマの子』──他者と魔力を共有しなければ生きられない、特別な妖精族です」




