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7 実家の食事


 ハンスが家に帰ると、ダイニングテーブルの上には母スージーからの置手紙があった。


「畑に出て来る、昼食はキッチンの保冷庫の中…か」


 スージーだけでなく、父ポールも外に出ているようだ。家の中には誰も居ない。

 ぎっくり腰なんじゃなかったのか?と首を捻りながら、ハンスはキッチンに向かう。

 保冷庫の中に入っていたのは野菜スープとブール──ハード系の丸パンだった。


(なるほど)


 懐かしいメニューに、ハンスは思わず苦笑する。

 この辺りでは定番の組み合わせだが、スージーが作る野菜スープはとびきり美味しい。


 街に出てすぐの頃、ハンスが街の屋台で買った野菜スープは塩辛いばかりで、具材はほぼ同じに見えるのにこうも味が違うのかと衝撃を受けた。


 懐かしの『母のスープ』と丸パンを少しの間暖炉の上に置いて温めた後、千切ったパンをスープに浸して口に放り込むと、不思議な甘みのある優しいスープがじゅわっと口の中に溢れた。

 噛みしめると、パンの素朴な甘みと香ばしさが加わってたまらない味になる。


「…美味いな…」


 じっくり噛みしめて飲み込んだ後、ハンスの口から心からの呟きが漏れた。


 昨夜スージーが作ってくれた豚肉のソテーと温野菜のサラダも絶品だったが、この野菜スープは格別だ、とハンスは思う。

 実際、スージーの作る料理は店に出しても恥ずかしくない味なのだが…その本当の理由をハンスが知るのは、まだ先の話である。


「…ふう。ごちそうさまでした」


 食べ終わると、ハンスはいつものように呟いた。子どもの頃からの習慣だ。


 冒険者になってすぐの頃は、食堂でそう言って周囲の者に失笑されたこともあったが──店主や店員は喜んでくれたので、ハンスは美味かったら『美味かった』と、『ごちそうさま』は欠かさないようにしている。

 感想や感謝を伝えるのはタダである。そして、お互いに気持ちが良い。

 反抗期の頃もこの挨拶だけは欠かさなかったことが、ハンスの密かな誇りなのだ。


(──さて…)


 食器を洗って片付けると、ハンスは家の中を見渡した。


 冒険者ギルドエーギル支部への転属手続きは済ませたが、制度上、承認されるまでギルドの依頼は受けられない。となると──


「……暇だな」


 ぼそり、間抜けな呟きが薄暗い室内に落ちる。


 街なら適当にぶらついてもいいのだが、村の中をぶらつくのは少々周囲の視線が気になる。とはいえ、家の中に居てもやることがない。


 ──やることがないなら夕飯でも作ればいいのだが、残念ながらハンスはそこまで頭が回らなかった。

 ハンスにとって食事は基本、『買うもの』で、作るものではないからだ。料理が出来ないわけではないのだが。


「おや──ハンス、帰って来てたのかい」


 ハンスが意味もなくリビングをうろうろしていると、スージーが帰って来た。

 その手には、様々な野菜が詰まった大きなカゴを抱えている。


「ああ、ついさっき…」


 応じながら、ハンスはサッとスージーからカゴを取り上げる。見た目よりずっしり重いカゴに内心ギョッとしていると、スージーが笑顔を浮かべた。


「ありがとうね、ハンス。そのカゴはキッチンの流しに置いてくれるかい?」

「ああ」


 流しの中にカゴを置くと、サイズ的にギリギリだった。スージーはよいしょと気合いを入れて籠の中身を流しにあける。

 握りこぶしより大きいジャガイモに、女性の二の腕くらいあるニンジン、大人の頭より大きなカブ──ゴロゴロ出て来た野菜を見て、ハンスは思う。


(…うちの野菜、やっぱりおかしいよな…?)


 子どもの頃はそれが普通だと思っていて、街に出て初めて認識した。

 ハンスの家の──と言うか、下エーギル村の野菜は、全体的にサイズがおかしい。基本、街でよく見るサイズの倍以上あるのだ。


「ハンス、どうかしたかい?」


 ハンスがジャガイモを手に取って首を捻っていると、スージーが不思議そうな顔をした。ハンスは思い切って訊いてみる。


「いや、この村の野菜、やたらデカくないか?」

「そうかい? これが普通だと思うんだが…ああでも、街で見掛ける野菜は結構小さかった気もするねぇ」


 下エーギル村の住民は、たまにユグドラの街まで降りて農産物を売っている。だから、他の場所で作られた野菜を見る機会がないわけではない。

 ──が、村の野菜のサイズが基準になるため、『ウチの野菜が大きい』のではなく、『他の場所の野菜が小さい』という判断になる。


 スージーは流しでサッと野菜を洗って泥を落とし、調理台に置いた。


「さて…今夜はシチューで良いかい? 良い鶏肉とヤギミルクをいただいたんでね」

「そりゃ嬉しいけど…まさかそれ、全部使うのか?」


 シチューはハンスの好物の一つだ。だが、基準サイズが違う野菜のラインナップを見ると、どう考えても量が多い気がする。しかもその横、コンロの上に置いてある鍋もやたら大きい──所謂寸胴鍋である。

 いったいどれだけ作る気なのか。


 ハンスの問いに、スージーは平然と頷いた。


「これくらいは食べるだろ?」

「いや、そんな食えないって!」

「なに言ってんだい、大の大人が」

「いやいやいや、オレもう中年だからな!? 成長期真っ只中だった14歳の頃より全然食えなくなってるからな!?」


 ハンスは必死に主張する。


 実際、30代になったら揚げ物で胃がもたれるようになったし、おかわりもしなくなったし、バゲット1本食いなんて出来なくなった。食べ過ぎたら翌日まで尾を引くこともある。

 身体の成長にエネルギーが必要だった頃とは違うのだ。


 違う…のだが。


「そうかい? ポールはこの鍋半分程度はペロリなんだがねえ…」

「えっ」


 心底不思議そうなスージーに、ハンスの思考が停止する。


(何、え、あの歳で?)


 父ポール、御年56歳。

 ハンスより筋肉質とはいえ、立派な壮年──いや、平均寿命を考えたら既に老年に片足突っ込んだ年齢である。

 それなのにその食事量はどういうことか。下手をしたら、成長期だった14歳当時のハンスより食べている。


「じゃあ少し控えめにしようかねえ…」


 言いつつスージーがジャガイモを手に取った。一応、ジャガイモの数は減らすようだ。


 呆然としているハンスに、スージーは笑顔で声を掛ける。


「そういえば、冒険者ギルドの転属手続き…とやらは終わったのかい?」

「あ、ああ。無事に終わった。受付にエリーが居て、久しぶりに話してきたよ」

「あの子も相変わらずだろ?」

「まあ…相変わらずだった」

「他の子にも会ったかい?」

「ああ。トムは雑貨屋になったんだな。娘のキャルにも会った」

「ああ! あの2人も元気にしてるんだねぇ」


 元気は元気だ。トムも、遠慮なくこっちの急所を突いて来るキレの良さは昔のままだった──そこまで考えて、ハンスは会話の違和感に気付いた。


「…おふくろ、最近トムには会ってないのか?」

「うん? まあ、そうだね」


 スージーは一瞬言葉を詰まらせた。ハンスの不思議そうな視線に、スージーらしからぬ苦笑を浮かべる。


「昔はちょくちょく家族で遊びに来てくれてたし、キャルが生まれて落ち着いた頃にはこっちから会いに行ったこともあったよ。けど、最近はねえ…」


 上エーギル村の鉱山開発が始まり、村同士の仲が険悪になってからは、自然と足が遠のいてしまったという。

 エリーが冒険者ギルドエーギル支部に就職したというのも人伝に聞いただけで、久しぶりに本人と会ったのはつい先日、ハンスへの『一時的にでも良いから帰って来て欲しい』という伝言を頼みに行った時なのだとスージーは言った。


「あの子もずいぶんと頼もしくなってたねぇ。…まああの時は急いでたのと、すっかり変わっちまった上エーギル村の中にちょっとばかし驚いちまって、ゆっくり村を見て回る余裕はなかったんだが」

「そうか…」


 驚いたのは自分だけではなかった──ハンスはその事実に安心したが、同時に、



(……なんだろうな、これは…)



 小さな違和感が、ほんの少しだけ胸中に残った。







本日投稿分はここまでです。

また週末に更新していきますので、よろしくお願いします。

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