68 救いの一手
そんなこんなで、ハンスたちが外に出ると、
「……無事だったか…!」
すぐに近くの建物の扉が開き、鉱夫──デニスが駆け寄って来た。
ハンスは厳しい表情で告げる。
「坑道の奥で倒れてたんだ。すぐ医者を──」
「ああ! 休憩所にトレド先生に待機してもらってる! 来てくれ!」
案内されたのは、デニスが出て来た建物だ。他の家より少し小さい。
中には、数人の鉱夫たちが居た。
「お前ら、よく無事で…!」
「ベアはどうした!?」
「倒した。それより場所を空けてくれ。病人だ」
「お、おう!」
皆が慌てて場所を空け、ソファーに毛布を敷く。この場にはもはやハンスを敵視する者は居なかった。
4人をそれぞれソファーに寝かせると、グリンデルとヴァルトはそそくさと休憩所を出て行く。それを咎める気にもなれず、ハンスは眉を寄せて小屋の中を見渡した。
奥の部屋に走ったデニスが、しばらくして酔いどれ顔のトレドと小さな椅子をそれぞれ抱えて戻って来る。
(……あの椅子とセット運用するのが基本なのか…)
椅子に座らせた途端、トレドはシャキッと背筋を伸ばした。
「急患ですね。ワイルドベアが出たと聞きましたが、みなさん、怪我はありませんか?」
「ええと…」
デニスが視線を彷徨わせたので、ハンスは一つ頷いた。
「問題ない。こいつらを優先してくれ」
その断言に、周囲の鉱夫たちがどよめいた。
「無傷…!?」
「ワイルドベアを倒したんだろ!?」
「みなさん、お静かに」
トレドだけは驚くこともなく、すぐに診察を始める。が、その表情が曇った。
「……これは、ずいぶんと…」
「良くない状況か?」
ハンスの言葉に、全員がハッと息を呑んだ。
静まり返った休憩所に、感情を抑えたようなトレドの声が響く。
「──正直に申し上げれば、その通りです。肺水腫2名、さらに、全身の浮腫もあるのが2名。…朝は何事もなかったのですか?」
トレドが鉱夫たちに訊くと、すぐに一人が頷いた。
「あ、ああ。朝の健康確認でも、元気だったんだが…」
「……となると、この数時間で急速に症状が進んだことになりますね…」
トレドは患者たちの上を飛び回り、難しい顔をしている。耐えられなくなったのか、デニスが声を上げた。
「な、なあ先生、治るだろ? ほら、いつも貰ってる薬を飲めば…」
「本来、あの薬は常用できるものではありません。それに、ここまで症状が進んでいる者に対しては適用外です。飲ませたとしても、大して効きません。現状維持にしかならないでしょう」
「そ、そんな…!」
鉱夫たちが青ざめた。その視線を浴びて、トレドは首を横に振る。
「…錬金術師が作る上級回復薬ならば、効くでしょうが…」
それは上級冒険者でもなかなか手が出せない、恐ろしく高価な薬である。鉱夫たちが絶望に満ちた顔になった。
ユグドラの街でも手に入れるのが難しい薬が、この村にあるわけがなかった。
しかも、患者は4人。複数必要なのだ。
(…いや、待てよ…?)
皆が青ざめる中で、ハンスはふと、その情報の中に打開策があることに気付いた。
もっともそれは、許可がおりるかどうかも分からないし、必要な要素が揃うかどうかも分からない、わずかな可能性だが──
「…トレ=ド=レント、確か上級回復薬は、材料に世界樹の葉を使うんだったよな?」
「え? ええ、そのはずですが」
「…」
トレドの肯定を受けて、ハンスは顎に手を当てて考える。
「今手持ちにある薬で症状の進行を食い止めるとして、何日もつ?」
「…個人差があるので一概には言えませんが、5日ほどが限度でしょう」
「5日か…」
頭の中で計算するハンスに、デニスが縋るような目を向ける。
「ハンス、もしかして伝手があるのか?」
「…まだはっきりとは言えんが、可能性はゼロじゃない」
世界樹ならば、極秘裏にポールが育てている。
それを上エーギル村の住民を救うために使っていいか、という点に関しては──契約上は恐らくダメだろうが、王立研究院の助手が世界樹の枝を引き取りに来るのはまだ先だ。ごまかせる可能性はある。
そして、ハンスは『上級回復薬を作れる錬金術師』に心当たりがあった。材料さえ揃えば、依頼することは可能なはずだ。
ただし、
「問題は錬金術師だ。今どこに居るのか分からん。多分、ユグドラの街に居ると思うが…」
ハンスが呟くと、リンが『あ』と小さく声を上げた。誰のことか分かったようだ。
デニスたちが表情を曇らせた。
「錬金術師…」
「錬金術師…なあ…」
──と。
「呼んだか?」
唐突に入口の扉が開き、ひょっこりと現れた人物に、ハンスは目を見開いた。
「アルビレオ!」
艶やかなハニーブロンドにピンク色の瞳の、10代半ばにしか見えないハーフエルフの冒険者──アルビレオは、飄々とした表情で中を見渡し、軽く眉を寄せて頷く。
「…緊急を要するようだな。手伝えることがあれば言ってくれ。冒険者仲間の誼だ、可能な限り力になろう」
「…恩に着る!」
ハンスは目頭が熱くなるのをこらえ、勢いよく頭を下げた。
──かつてハンスが新人研修を受け持った冒険者の一人にして、上級冒険者のアルビレオ。
元々『エルフの里で薬師をしていた』彼が、実は『薬師、兼、凄腕の錬金術師』であることを、ハンスとリンは知っていた。
「なるほど、なるほど」
一通り事情を聞いたアルビレオは、患者の様子を診て深く頷いた。
「確かにこれは、上級回復薬の出番だな。風に呼ばれて来た甲斐があったというものだ」
「風に呼ばれて…?」
独特の言い方に、デニスたちが首を傾げる。
『風に呼ばれた』は、エルフたちが好んで使う言い回しだ。巡り合わせとか、運がよかったとか、そういうニュアンスである。
「製造を頼めるか?」
「うむ──そうだな。まずは色々と、詳しい打ち合わせをしたい。ギルドでいいだろうか?」
「ああ」
含みを持たせたアルビレオの言葉に、ハンスはリンとトレドを見やった。
「リン、トレ=ド=レント、一緒に来てくれるか?」
「はい」
「ええ、構いませんよ」
リンが即座に頷き、トレドもふわりと浮き上がる。
様子を見守っていたデニスが、焦りと期待の入り混じった顔で一歩踏み出した。
「なら、俺たちも…」
「いえ、デニスさんたちは彼らの様子を見ていてください」
トレドが首を横に振り、小さなポーチ型の圧縮バッグから丸薬の入った瓶を取り出した。
「いつもの薬です。もし4人の意識が戻ったら、一人1粒、水と一緒に飲ませてください。意識が戻らない場合はそのまま寝かせておくように。無理に起こそうとしてはいけませんよ。…お願いできますか?」
「わ……分かりました」
デニスが戸惑いながら瓶を受け取る。トレドは頷き、ハンスたちに向き直った。
「では、行きましょう」
「ああ」




