64 ネイト
ネイトは村に住んでいるわけではなく、ユグドラの街の王立研究院で魔法道具の研究をしているという。
「すごいな」
「いえそんな。研究をしているといっても、ほとんどは上司の助手…というのもおこがましいですね。雑用係みたいなものです」
ハンスが素直に感心すると、ネイトは分かりやすく照れた。
丁度実家に顔を出すところだったというネイトと並んで歩き出し、話を聞いてみると、存外素直で話しやすい。少々謙遜がすぎる面もあるが──そのあたりもマークとジェニファーに似ているか。ハンスはそんなことを思う。
「本当は、もっと村で使えるような魔法道具の開発がしたいんですけど、なかなか…」
ネイトは村が嫌で出て行ったわけではなく、村の役に立ちたいからこそ王立研究院に入ったらしい。
ハンスと違って。
(くっ、大人だな、流石はマークの息子…!)
ただでさえ優秀な研究者が集まる、この国トップの研究機関だ。そこに、田舎の村出身の、20歳にも満たない若者が入る──その努力は並大抵のものではないだろう。
謎の敗北感を味わいつつ、ハンスは思い付いたことを口にする。
「それならよ、雪下ろしに使うレーキを改造してくれないか?」
「レーキ…ああ、『加熱式レーキ』ですか?」
知っているなら話は早い。ハンスは頷き、身振りを交えて説明する。
「あのレーキで雪下ろしをする時、こう構えると、自分のところに雪が落ちてきちまうことがあってな。もうちょっと長くするとか、最初っから斜め前に構えるようにできると使いやすくなるんだが」
「こう構えると…」
ネイトは歩きながらハンスの動作を真似て近くの家の屋根を見詰め、真剣な表情で呟く。
「──確かに、これは危険ですね。うちの村なら家と家の間が広いから、もっと長くした方が便利かも知れません」
「だよな。…もしかして、元々はもっと家が密集してる…街の中とかで使う想定の道具なのか?」
「一応、どこでも使えるようにって考えてました。でも、街と村とじゃ建物の高さも屋根の角度も積雪量も違いますもんね」
「………ん?」
ハンスは引っ掛かりを覚えた。
その言い方は、まるで──
「…もしかして、あのレーキを開発したのって、お前か?」
「あ、はいそうです」
「!」
あっさり頷かれて、ハンスは目を見開き──内心冷や汗を流す。
(オレ今、開発者の目の前で文句言っちまったよな…!?)
やっちまった、と焦るハンスをよそに、ネイトは嬉しそうに笑った。
「使用者の意見は貴重なので、すごくありがたいです。今年の冬までには改良できるように頑張りますね」
どうやら、ネイトは非常に心が広いらしい。
ハンスはホッとして、ネイトに笑みを返した。
「おう、楽しみにしてるぜ。けど、あんま根を詰めるなよ」
「はい」
そうこうしているうちに、マークの家に着いた。
庭仕事をしていたジェニファーがハンスたちに気付き、ネイトを見て軽く目を見張る。
「まあ、ネイト! 今年は早かったのね。おかえりなさい」
「ただいま、母さん」
ネイトは毎年、春と秋に帰省している。
ジェニファーがネイトに向ける視線は、スージーそっくりだ。母親だなあとハンスがしみじみ実感していると、ジェニファーの視線がハンスに向いた。
「ハンス、もしかして送って来てくれたの?」
「いや、偶然行き先が同じだっただけだ」
咄嗟に言い訳じみたことを口にすると、ネイトが首を横に振った。
「ハンスさんは、僕が上エーギル村の冒険者に絡まれてたところを助けてくれたんだ」
「まあ!」
ネイトの『上エーギル村の』という言葉に、嫌悪感のような響きがあった。ハンスがそれに気を取られていると、ジェニファーが目をキラキラさせて頭を下げる。
「息子を助けてくれてありがとう、ハンス」
「あー、まあオレも連中と同じ、冒険者だからな。放っておくわけにはいかなかったってだけだ。気にすんな」
要するに照れているのだが、一々言い訳がましい。
ジェニファーはくすりと笑い、小首を傾げた。
「ハンスの用事は、マークに、かしら?」
「ああ。家に居るか?」
「ええ。よかったら、お茶でも飲んで行ってちょうだい」
「ありがとよ」
ハンスは素直に頷いて、ジェニファーとネイトと共に家の中に入った。
相変わらず可愛らしい小物やカバーが使われた室内は、明るい雰囲気に満ちている。ジェニファーに呼ばれて2階から降りてきたマークと挨拶を交わし、ソファーに座ってジェニファーが淹れてくれたハーブティーを堪能すると、ハンスは早速本題を切り出した。
「今日は聞きたいことがあるんだが」
「聞きたいこと?」
首を傾げるマークにハンスは頷き、
「この村と上エーギル村の仲違いの発端は、上エーギル村の村長がウチの村を下に見るようになったから…でいいんだよな?」
訊くと、ジェニファーは分かりやすく表情を曇らせ、ネイトは肩を強張らせ、マークは戸惑いながら頷いた。
「ああ…私はそう聞いた」
(そう聞いた?)
内心首を傾げてから気付く。
マークは当時、まだ村長ではなかった。直接喧嘩したのは先代村長、マークの父親だったはずだ。
「先代は直接暴言を受けたのか?」
「どうだろう…私はその場に居合わせたわけではないから」
「…だよな。スマン」
マークが首を傾げるのには、理由がある。
マークの父親はよく言えば実直、悪く言えば頑固で、思い込んだら一直線な性格だ。
加えて、加齢により思い込みが激しくなっていると聞いている。直接何か言われたわけではなくても、例えば人づてに聞いたことを真実だと思い込んで突っ走る可能性はあるだろう。
予想通りの答えにハンスが頭を下げると、マークが慌てた様子で腰を浮かせた。
「謝らないでくれ、ハンス。元はといえば、何年も仲を修復できていない私が悪いんだ」
ハンスは即座に首を横に振る。
「それこそ謝ることじゃないぜ、マーク。全員を説得して回るなんて、どだい無理な話だ。あんたは村長として頑張ってる。それは間違いない」
「それは…」
マークが言い淀むと、その隣に座っていたジェニファーがそっとマークの手に自分の手を重ねた。
「…私もそう思うわ。上エーギル村と取引してる商人のみなさんも言ってたじゃない。『自分たちも何とかしようと思っているが、向こうがなかなか首を縦に振ってくれない。だが、気落ちしないでくれ』って」
「そうだよ。父さんのせいじゃない」
ネイトも真剣な顔で断言する。
大変心温まる家族の絆の光景だが──
(…………ん?)
胸中に引っ掛かるものがあり、ハンスは内心で眉を寄せた。
その後ハンスはマークたちの家を辞し、家路を急ぐ。
(ハーブティー、美味かったなあ…)
しみじみと思い出しながら道を歩いていると、
《なーに鼻の下伸ばしてんだハンスー!》
「うおっ!?」
突然、背中から肩に衝撃があった。
ハンスの視界の端から、にゅっとモクレンが顔を出す。
いつもの肩乗りスタイルでフンフンと鼻を鳴らしたモクレンは、鼻の頭にしわを寄せた。
《なんか爽やかなニオイがするな。ハンスのくせに》
「おいなんだ『ハンスのくせに』って。そりゃ高原ミントのハーブティーをご馳走になったんだから匂って当然だろ」
ジェニファーが淹れてくれたのは、寒さに強い高原ミントのフレッシュハーブティー。爽やかな風味とはちみつの甘さがなんとも後を引く味わいだった。
《えええ》
ハンスが説明すると、とても爽やかとは言いがたい表情でモクレンが思い切り耳を伏せた。
《オッサンがそんなお洒落なモン飲むってだけでもショックなのに。折角の加齢臭が…》
それはそれは深刻な調子で呟いているが、言っていることは大分アレである。
ハンスは眉間にしわを寄せた。
「…前から思ってたんだけどよ。お前、オレをなんだと思ってんだ?」
《滅茶苦茶ケットシー好みのニオイの発生源でからかうと面白いニンゲン》
「楽しむな!」
《あっ、そーいやガイに頼まれてたんだった。子豚が柵の外に出て迷子になっちまったから、捜索手伝ってくれってよ》
「……そういうことは先に言え!」
家畜がうっかり森に迷い込むと、魔物を誘引する強力なエサになってしまう。
ハンスは青くなり、モクレンを肩に乗せたまま駆け出した。




