62 春の招かれざる客
!注意!
集合体恐怖症、かつ虫が苦手で想像力豊かな方は、本文を読み飛ばすことをオススメします。
(読まなくても次話以降、話の流れが分かるように構成してあります)
平気な方も、リアルには想像しないようご注意ください…いやマジで。
(↑書いたはいいけどちょっと後悔してる人)
雪解けが進み、畑の土が見えるようになると、下エーギル村はにわかに活気付く。
放牧場の柵の修繕に村内の道の状況確認と補修、畑の確認と種まき前の土質改良施肥草取り耕起その他諸々。冬の間できなかったことを片っ端から片付けていくのだ。
そして──活気付くのは、なにも人間だけではない。
「おー、芽吹いてる…な……」
上エーギル村のエーギル鉱山を調査した翌日。
昨日、『ひとまず表向きはこれまで通りに生活して、水面下で色々と進めよう』とデニスたちと示し合わせたハンスは、本日、農作業に従事している。
濃霧の中を歩くこと体感数分、世界樹の枝の畑にやって来たハンスは、広場を見渡し、中途半端に言葉を途切れさせた。
ここに来るのはこれで3度目。
1度目は晩秋の剪定作業。2度目は厳寒期、大雪が降った後だった。
ちなみに2度目の際、ハンスは自分も世界樹の枝に嫌われて辿り着けなくなっているのではと期待していたのだが、あっさりと霧を突破してしまい、こっそり涙を呑んだ。
その後、世界樹の枝にやたら絡まれながらポールとともに除雪作業をしたのは言うまでもない。
『お前らそんなに元気なら自分で雪振り払えよ!』とハンスが叫んだのも言うまでもない。
ともあれ、3回目ともなれば諦めもつく。
今回はポールではなくハンスが先頭に立ち、『管理人ポールならびにハンス、通行を申請する』と告げて霧を抜け、ああオレでも通れるのか、と遠い目をしながら広場に入り、ハンスは違和感を覚えてその場に固まった。
日当たりが良いためか、広場の雪はほぼ完全に融け、ロゼッタ型のエリク草が青々と葉を広げている。
世界樹も明るい緑色の新芽を空に向けて伸ばしている、の、だが──
「…オヤジ」
「なんだ」
ポールはすぐ後ろにいる。ハンスが声を掛けると、ポールはハンスの隣に並んだ。
「世界樹の枝って…あんなウロコみたいなモン、生えてたか?」
ハンスが指差す先、世界樹の新梢にびっしりと並んだ、魚のウロコのような黒褐色のなにか。見ようによっては樹皮のようにも見えるが、
──もぞり。
その一部が、微妙に動いた。
「い゛っ…!」
その動きが、絶妙に気持ち悪い。ハンスの背中にぞわっと寒気が走り、ポールが目を細める。
「…ハンス、木灰とオイルは持って来たか?」
「お、おう…?」
ハンスは首を傾げながらも頷く。
今朝家を出る際、ハンスはスージーから暖炉の灰と特殊なハーブの種から採った油を渡されていた。『使わずに済むならいいんだけどね』という苦笑付きで。
「それをこの壺に入れてよく混ぜろ。容量比で1対1だ」
「分かった」
どうやらヤバい状態らしいと理解して、ハンスは言われた通り、手のひらサイズの小さな壺にオイルと灰を投入し、そこら辺に落ちていた枝でよく混ぜる。粉状だった木灰がどろりと溶け、青灰色の液体になった。
「…オヤジ、なんかこれすっげえニオイがするぞ…!?」
混ぜる前のオイルは爽やかなミントっぽい香りだったのが、灰が溶けると卵が腐ったようなニオイと鉄錆のような金属臭が混ざった、曰く言い難いニオイを放ち始めた。
顔を引き攣らせるハンスに、ポールが頷く。
「それで正常だ」
「マジか」
ポールは出来上がった液体をもう一つの壺にも分け、片方をハンスに渡した。さらに、小さな刷毛も渡す。
「この液をあのウロコ状のものに塗りつけていけ。全体に、満遍なくだ」
「ぬ、塗る?」
「そうだ」
言ってポールは手近な枝に近寄り、ウロコ状の部分に刷毛でたっぷりと青灰色のオイルを塗りつける。
途端、オイルまみれになったウロコ状の物体が激しく動き始め──ボロボロと、それこそウロコを剥がしたようにばらばらに落ちて行った。
「…げ」
ウロコのように見えていたのは、6本の脚を持つ虫だった。でっぷり太った腹部がみっしりと枝の上に並んでいたため、ウロコのように見えていたのだ。
地面に転がった虫はひとしきり空を掻いた後、ゆっくりと動かなくなった。
「………なんだこれ」
ドン引きするハンスの呻きに、ポールは端的に応じた。
「アブラムシだ」
「は? アブラムシ? これが!?」
ハンスはギョッと目を見開く。
「アブラムシってもっとこう、ゴマより小さいはずだろ!? こいつら小指の爪くらいあるじゃねぇか!」
その指摘通り、地面に転がる虫は大人の小指の爪くらいの大きさだ。一般的なアブラムシより、明らかに大きい。
が。
「…この辺りのアブラムシは、最近はみんなこんなサイズだ」
「みんなこんな!?」
ポールが若干遠い目になり、ハンスは顔を引き攣らせて周囲を見渡す。あまりにも、子どもの頃の記憶と違いすぎる。
「──とにかく、この液でアブラムシを駆除して回れ。放っておくと枝が枯れる」
「わ…分かった」
なにせ体格が違うので、吸われる樹液の量も段違いだ。真剣な雰囲気に、ハンスも気を取り直して頷いた。
そうして一日かけてアブラムシを退治して回り──翌日。
「……元に戻ってんじゃねーかー!!」
またしても、世界樹の枝はウロコをびっしり纏っていた。心なしか、世界樹の枝もちょっとしんなりして元気がない。
スージーが今日も苦笑しながら灰とオイルを渡してきた時点で何となく予想はしていたが、昨日の苦労を鼻で笑うような光景に、ハンスは頭を抱える。
ポールが溜息をついた。
「…仕方ない。奴らは一晩で100倍に増える」
「ひゃくばっ……い、いやでも、昨日殲滅したろ!?」
「あの数だ。完全には無理だろう」
「うっ……」
春のアブラムシは基本的にメスしかおらず、単為生殖する。つまり、1匹いればいくらでも増える。しかも卵を産むのではなく、幼体を産む。
そんな素の状態でも大量発生しがちな生き物が、10倍以上のサイズで存在するのだ。その繁殖力は推して知るべし。
言葉に詰まったハンスは、絶望的な表情で周囲を見渡した。
「…じゃあ、ひたすらこの変なニオイの液で退治して回るしかないのか…?」
「いや、テントウムシが来れば、あとは連中に任せればいい」
「テントウムシ…」
アブラムシの天敵はテントウムシ。それくらいはハンスも知っていた。
ただし、
「…このアブラムシ、普通のテントウムシよりはるかにデカいよな?」
「…そうだな」
小指の爪サイズのアブラムシである。どう考えても、普通のテントウムシが獲物認定するとは思えない。
不自然に目を逸らしたままのポールに、ハンスはジト目で訊いた。
「……まさかとは思うが、テントウムシも、それ相応のサイズになってる…とか言わねぇよな?」
「……」
ポールは明後日の方向を向いたまま、答えなかった。
──ちなみに。
ポールとハンスが灰オイル片手に奮闘すること3日。
唐突に現れたテントウムシの群れにより、アブラムシはその後数日でほぼ根絶やしにされた。
生き残ったわずかな個体も、テントウムシの幼虫がそれはそれは丁寧に、舐めるように回収していったのだが──
テントウムシは、アブラムシのおよそ7、8倍のサイズ。その幼虫もそれ相応に大きく、至近距離で見詰め合うのは少々キツい。
その後しばらくの間、世界樹の枝やアブラムシに襲われた野菜類の畑を見回るたびにそんなテントウムシ御一行と顔を合わせる羽目になり、ハンスの精神力は色々な意味で鍛えられたとか、なんとか。




