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61 上エーギル村の医師


 妖精族──獣人族と同じく、西大陸の南側に多く住む種族である。


 その特徴は、背中に生える一対の羽。身体の大きさは普通のヒューマンと同じくらいから手のひらサイズまで様々だが、羽が生えているのは共通している。

 植物や微小な生物との親和性が高く、西大陸の妖精族の里の特産品は、キノコや酵母。世界中で食べられているパンの重要な材料である『乾燥酵母』は、彼ら妖精族が培養し、魔法で乾燥させることによって作られる。

 見た目はファンシーだが、特定分野に非常に強い。


 ただし──ハンスの目の前にいる白衣姿の妖精族は、ファンシーさの欠片もない、ただの酔っ払いだった。


「うーん…まだ世界が回っていますねぇ…お酒が足りないようです…」


 もにょもにょと呟いて立ち上がった妖精は、ふらつきながらサイドテーブルに置かれた瓶を手に──取ろうとして、リンに首根っこを掴まれた。


「先生、それは酒が足りないんじゃなくて、ただ酔いが回ってるだけです。大してお酒に強くもないのに、なんでホイホイ飲んじゃうんですか」

「それはあ、酒精が私を呼んでいるから〜…」


 へらへらと妖精が笑う。リンは溜息をついて、妖精を掴んだまま部屋を出て来た。


「すみませんハンスさん、診察室はこっちです」

「お、おう」


 リンの馴染みっぷりが恐ろしい。ハンスは戸惑いつつも、言われた通りに別の小部屋に入った。


 中には、小さめの机と背の高い椅子、そして壁際に幅の狭い簡易的なベッド。ちゃんとした診察室だ。

 内心ホッとしながら、ハンスは吊りベルトを外してデニスをベッドに寝かせる。続いて入って来たリンが、妖精を椅子に座らせた。


 途端、妖精がシャキッと背筋を伸ばす。


「患者は…ああ、デニスさんですか」


 一瞬で酔っ払い成分が消えていた。ハンスが目を瞬いていると、リンが肩を竦める。


「この椅子、酔い醒まし専用の魔法道具なんだそうです」

「なんだそりゃ」


 医者が酔っ払っていること前提の設備に、ハンスは顔を引き攣らせる。

 妖精はサラサラと紙に羽ペンを走らせ、おもむろに顔を上げた。


「デニスさんを運んで来てくださってありがとうございます。私はこの村で医者をしております、トレ=ド=レントと申します。よければトレドとお呼びください」


 ウェーブの掛かった限りなく白に近い金髪に、レンゲの蜂蜜のような明るい金色の瞳。少年のような顔立ちだが、言動は明らかに成熟した大人のそれ──ただし『素面の状態なら』という注釈付き。

 属性が多い。


「あ、ああ。──オレはエーギル支部所属、冒険者のハンスだ。よろしく頼む、トレ=ド=レント」


 ハンスは戸惑いながらも名乗る。

 ハンスの言葉に、トレドは少し嬉しそうな顔をした。


「フルネームで呼んでいただくのは久しぶりですね。ありがとうございます」


 妖精族の名前の扱いは少々特殊で、苗字という概念がない。また、身分の貴賤にかかわらず敬称はつけないのが原則だ。そのため、本来であれば『敬称無しのフルネーム』で呼ぶのが正しい。

 ただし、トレドのように妖精族の里以外で生活している者は、その土地の文化や呼びやすさを優先し、ニックネーム呼びや役職名呼びなども許容することが多い。


 ハンスはそれを踏まえた上で、敢えて『トレ=ド=レント』と呼んだ。

 昔、妖精族の冒険者仲間に『ニックネームでもいい…と言っても、やっぱり正式な呼び方をしてもらえた方が嬉しい』と聞いていたからだ。


「──さて、それでは早速診てみましょうか」


 トレドはふわりと浮き上がると、デニスの上を頭から足先まで往復する。次に胸元に両手をかざし、ああ、と頷いた。


「肺に水が溜まっていますね。無理をするな・させるなと言いませんでしたか?」

「……すみません…」


 トレドの視線の先は、家の入口付近で所在なげに固まっていた鉱夫たちだ。ハンスは片眉を跳ね上げる。


「オイ待て。つまり、『前科アリ』ってことか?」

「…」

「…そ、それは…」


 鉱夫たちは分かりやすく狼狽えた。答えを聞かずとも分かる──彼らは以前にも、同じような症状でトレドに注意されていたのだ。


 トレドが溜息をついた。薄目を開けているデニスをじっと見下ろし、


「…とりあえず、症状を緩和する薬を10日分処方します。朝と晩、食後に飲んでください。それから、最低でも今日から3日は仕事を休むように。いいですね?」

「……ま、待ってください…!」


 途端、デニスが青い顔で上体を起こした。ハンスは慌てて駆け寄り、背中を支える。


「おい、無理するな!」

「仕事を休むわけには…!」


(…?)


 必死にトレドに訴えるデニスに、ハンスは内心で眉を寄せた。

 責任感という言葉で片付けるにはあまりにも悲壮な表情だ。他の鉱夫たちは何か言いたげな顔をしているが、誰もデニスを止めようとしない。


 これは何かある──ハンスの直感がそう告げた、その時。



「絶対ダメです!」


「!?」



 突如、リンがデニスを一喝した。

 皆の驚きの視線が集中する中、リンは(まなじり)を吊り上げ、デニスへと詰め寄る。


「仕事と自分の身体なら、身体の方が大事に決まってるじゃないですか! トレド先生も休めって言ってるのに、なに無理して頑張ろうとしてるんですか! そういう無駄な責任感は今すぐエーギル山の崖から遥か彼方にぶん投げてきてください!!」


「無駄な責任感」

「ぶん投げ…」


 鉱夫たちが衝撃を受けたように呟くと、ギッとリンの視線がそちらを向いた。


「みなさんもです! 村同士の確執だかなんだか知りませんけど、昔から親しくしてた人と無理矢理距離を置いたり特に根拠もなく敵対視したり、なにやってんですか! お陰でデニスさんをここに担ぎ込むのが遅くなるところだったんですよ!? もっと他にやることがあるでしょう!」


 いい加減、リンも我慢の限界だったらしい。どさくさに紛れてデニスの件とはそれほど関係のないことまで言い出した。


 リンがまくし立てると、鉱夫の一人が困ったように眉を寄せる。


「い、いや、だが、下エーギル村の連中はウチに鉱山ができてから、俺たちを馬鹿にして」

「ハンスさんは20年前からついこの間までユグドラの街で冒険者として活躍してたんです。全く、欠片も、その件とは関係ありません」


 憤懣やる方ないという顔で、リンが腕組みして続ける。



「それにその件、全体的におかしいです。私、下エーギル村の食堂とかちょくちょく利用しますし、あっちでも色んな話を聞きましたけど、はっきり言って()()()()()()()()()()()気持ち悪いんですよ」


(……!)



 その言葉に、ハンスはハッと目を見張った。


 ──ずっと胸に(くすぶ)っていた違和感の正体が、ようやく分かった。


 下エーギル村で母スージーから聞いた話は、『上エーギル村に魔石鉱山が出来たことで上エーギル村の村長の意識が変わって下エーギル村を見下すようになり、下エーギル村の先代村長と上エーギル村の村長が仲違いした。下エーギル村の村長がマークに代替わりしてもなお、それが尾を引いている』。


 だが上エーギル村住まいのエリーから聞いた話は、『下エーギル村の先代村長が、上エーギル村のことを『魔石鉱山が出来たからって調子に乗るな、お前らは慎ましくヤギと羊でも飼ってりゃいい』と発言したのが事の発端であり、それに対して上エーギル村の村長が『上エーギル村はこれから発展する。落ち目の下エーギル村とは違う』と応戦した結果、仲違いしてしまった』。


 上エーギル村と下エーギル村、それぞれが『事の発端は相手の方で、自分は被害者だ』と主張しているのである。


(これは──)


 ハンスは眉を寄せて考える。

 喧嘩をした者同士が、『相手が悪い』と主張すること自体は決して珍しいことではない。だが、『村全体が』そういう認識でいるというのは、明らかにおかしい。

 そう、誰かが情報操作でもしていない限りは──


「……おやっさんたち」


 ハンスは真顔で鉱夫たちを見遣った。

 雰囲気が変わったのに気付いたのか、鉱夫たちは少しだけ身を固くする。


 それに構わず、ハンスは唐突に頭を下げた。



「──頼む! 協力してくれ!」


「…!?」




 そうして、この日──ハンスと一部の鉱夫たちの間で、密かに協力体制が敷かれることになった。








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