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6 村と村の確執


 その後ハンスは一通り上エーギル村を回り、昔の知り合いに挨拶したり地理を確認したりしてから下エーギル村に戻った。


 なおハンスの黒歴史に触れるものは、エリーとトム以降、誰も居なかった。

 みんな忘れてるんだなとハンスは安堵していたが、実際のところは全員きっちり覚えていて、大人の判断で本人の前では口にしなかっただけである。


 本日の酒の肴はハンスで確定──そう思っている者が何人居るかは、神のみぞ知る。


「あー…ハラ減ったな」


 時刻は既に昼過ぎ。

 ハンスはギルドで転属手続きをしてすぐ帰って来るつもりだったのだが、予想以上に上エーギル村が発展していて、見て回るのに時間が掛かってしまった。


 ぐうと鳴ったお腹を押さえ、ハンスは周囲を見渡す。


 上エーギル村ほどではないが、下エーギル村もそこそこ店が増えた。

 特に新しい街道に近いこの辺りは、商人の来訪を見込んだ食堂と、食堂兼宿屋があり、周囲に良い匂いを漂わせている。


(…何かちょっと食べて行くか)


 スージーには『昼メシは家で食べる』と言って朝家を出たハンスだが、ついフラフラっと食堂に足が向いた。

 20年の気ままな独身生活で染みついた性である。食事を用意する方からするとたまったものではない。


「……」


 食堂入口への階段を登ろうとして、ハンスはちょっと躊躇った。

 一応、少々、後ろめたい気持ちはあるのだ。


(…いや、オレは腹が減ってるんだ)


 キリっとした顔で内心言い訳する。言い訳の中身が何とも締まらないが、その事実からは全力で目を逸らし──


「…お? ハンスじゃないか!」

「!」


 ドアノブに手を掛ける直前で、背後から声を掛けられた。


 振り向くと、ハンスより少し年上の、少しだけ上等な上着を羽織った男性が、嬉しそうに手を挙げている。

 その顔を見て、ハンスは思わず後退りしそうになった。

 顔が引き攣らなかったのは奇跡と言えよう。何故ならその相手は──ハンスの元恋敵である。


「マーク…!」

「久しぶりだな!」


 身構えるハンスに対し、マークは笑って近付いて来る。その表情は、旧知の友人と再会した喜びに満ち溢れていた。


「帰って来たとは聞いてたが、元気そうじゃないか!」

「ああ、マークも」


 握手を求められて右手を差し出すと、がっしりと握り締められる。心の底から歓迎する雰囲気に、ハンスは居たたまれない気分になる。


 それを誤魔化すように、ハンスは笑顔を作って口を開いた。


「そういや、村長になったんだってな。おめでとう」

「ああ、ありがとう!」


 マークは軽く目を見張った後、嬉しそうに破顔した。

 赤茶色の髪には少し白髪が交じり、髭も生やして村の重鎮っぽさを演出しようとしているようだが、この少年のような笑顔は昔から変わっていない。


 マークはこの下エーギル村の村長の家の長男で、ハンスより8つ年上。誰にでも分け隔てなく優しい、裏表のない男だ。血筋的にも人柄的にも、村長になるのには申し分なく、そして──


「今度ウチにも遊びに来てくれ。ジェニファーも喜ぶ」

「…っああ、もちろん」


 一瞬喉に詰まった言葉を、ハンスは何とか笑顔で口にした。


 ハンスの初恋の人、7つ年上のジェニファーは、20年前、このマークと結婚した。


 もし相手がマーク以外の誰かだったら、ハンスも思い切ってジェニファーに告白できたかも知れない。自分も候補に入れてくれと。

 だが、相手はよりによってこのマークだった。同性のハンスから見てもとても優秀で、誰からも好かれる良い男。

 その名前がジェニファーの口から出た瞬間、ハンスは『自分では絶対に勝てない』と理解し、心底打ちのめされ、自らの失恋を悟ると同時に納得した。彼ならば絶対にジェニファーを幸せに出来るだろうという確信もあった。


 ──あったからこそ、ハンスは逃げ出したのだ。


 20年たった今も、あの頃も、ハンスはマークを恨んだり嫌いになったりはしていない。むしろ嫌いになどなれないから困っている。


 勝手にライバル視──いや、ライバル視する暇もなく、勝手に敗北感を味わった。

 マーク本人はそんなことはつゆ知らず、こうしてハンスに屈託なく笑い掛けてくれる。


 妙に居心地が悪いのはハンス自身の問題であって、マークのせいではない──ハンスもそれは重々承知しているのだが…少々腰が引けてしまうのは致し方ないことだろう。


「昼食はまだなのか? 良かったら、一緒に食べないか?」


 マークの誘いに、自分が今まさに食堂の前に立っていることに気付く。

 ハンスは慌ててドアから離れ、首を横に振った。


「いや、オレが村に居た頃はこんな店なかったから、物珍しくて見てただけだ。メシはおふくろが用意してくれてる」


 とても言い訳じみた台詞だが、マークはそうかとあっさり納得した。そしてすぐ、誇らしげに周囲を見渡す。


「ずいぶん様変わりしただろう? 子どもの頃と比べるとかなり便利になった──そういえば、各家に水の魔石を使った水源装置があるのは知ってるか?」

「ああ、ウチで見た。毎日井戸水を汲みに行かなくていいし、凍結を心配しなくてよくなったって、おふくろが喜んでたぜ。お前が発案して、村として補助金も出してくれたんだろ? ありがとな」


 ハンスが礼を言うと、マークは照れ臭そうに頬を掻く。


「そう言ってもらえると、村長冥利に尽きるよ」


 各家庭への水源装置の導入は、3年前、マークが村長に就任してすぐに主導した事業の一つだ。


 元々下エーギル村では、村内にいくつかある共用の井戸を生活用水の水源として使っていた。

 一応手押しポンプはついていたが、井戸自体がかなり深いのもあって、水を汲むのも一苦労。


 しかもこの辺りは寒冷地なので、冬期は雪に埋もれる。

 井戸自体は簡素な小屋の中にあるのでまだマシなのだが、毎日その井戸小屋へのルートを雪かきしながら向かわなければならない。

 そうして苦労して辿り着いたら、井戸ポンプの配管が凍結していて水が汲めなくて絶望する──この村では毎年恒例、大変ありがたくない冬の風物詩だ。

 ハンスが経験したのも一度や二度ではない。


 マークが導入を推進した水源装置は魔法道具の一種で、水の魔石を使って水を吐出する道具である。

 水の魔石のコストは掛かるが、大型のやつを1台か、小型のやつを数台置いておけば、家の中の生活用水を全て賄える。


 ハンスの家ではトイレに小型の装置を、さらにキッチンと風呂と洗面所には火の魔石と組み合わせて温水が出せるようになっている水源装置をそれぞれ設置していた。


 街ではお馴染みの魔法道具だが、子どもの頃、凍りそうな水で皿洗いをしたり薪で風呂を沸かしたりしていたハンスにとっては、家に街にあるのと同じ装置があること自体が大変な驚きだった。

 時代は変わるものである。


「…と言っても、問題がないわけではなくてね。水の魔石はそれなりに高いから、井戸も併用している家庭が多いんだ。ただどうしても冬は水源装置に頼りがちになって、井戸の管理がね…」

「あー、ずっと使ってねぇと井戸水はすぐ悪くなるっつーもんな。…水の魔石なら、上エーギル村と直接取引とか出来ねぇのか?」


 上エーギル村の魔石鉱山の主な採掘物は、水の魔石だ。付き合いの長い村同士だし、上手く交渉すれば──とハンスは思ったのだが、マークは苦笑いを浮かべた。


「あちらの鉱山は王立研究院が発見したものだから、魔石は全て商人を介して王立研究院に卸しているんだ。…それに最近、上エーギル村とは…」


 目を逸らして、マークが歯切れ悪く呟く。


 実のところ、近年急に人口が増えて発展した上エーギル村と、その余波を受けただけの下エーギル村は、ここ数年かなり仲が悪い。もちろん個人レベルの付き合いは多少あるが、村レベルではほぼ没交渉だ。


 かつては共同運営していた学舎も、上エーギル村が5年前独自に『上エーギル村の』学舎を設立し、完全に村の中で完結している。

 結果、ハンスたちの世代のように、子ども同士が交流を持つ機会がなくなった。


 有り体に言えば──急に裕福になった上エーギル村の村長が下エーギル村を文字通り『下に見る』ようになり、当時の下エーギル村の村長、つまりマークの父親がブチ切れて、絶縁状態になってしまったのである。


 マークは何とか関係を修復しようとしているが、上エーギル村の村長が下エーギル村を見下しているのは変わっていないため、手をこまねいているのが現状だった。


 ハンスはそんな事情を知っているわけではないが、マークの態度で何となく状況を察した。

 目を泳がせ、ポンとマークの肩を叩く。


「あー…まあ、なんだ。井戸の管理ならオレも手伝えるし、必要ならギルドに依頼を出せよ。…有料になっちまうけど」

「…ああ、ありがとう」


 マークは苦笑して頷いた。








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