59 討伐の後始末
後はもう流れ作業だ。
びしょ濡れで飛び出て来た二尾ネズミを、片っ端から片付けて行く。
素早い動きが持ち味の魔物だが、水浸しなら動きも鈍る。ハンスはもとより、割り切ったグリンデルとヴァルトも、多少苦戦しつつもどんどん二尾ネズミを狩って行った。
そうして──
「よし、こんなもんか」
《おう! 一掃完了、だな!》
ハンスが腰に手を当てて周囲を見渡すと、モクレンも耳をピンと立てて応じた。
周囲には大量の二尾ネズミの死体が転がっている。文字通りの死屍累々といった有り様だが、冒険者にとってはいつものことだ。この後、片付けが待っていることも含めて。
(…何か面倒臭くなってきたな)
ハンスは内心げっそりと呟く。
魔物討伐は討伐自体より、死体の処理の方が大変なのだ。
特に二尾ネズミのような小型の魔物は、討伐証明部位の回収だけでも手間が掛かる上に素材として買い取ってもらえるものも少なく、依頼料以上の実入りが期待できない。
小型魔物の討伐が『初心者向け』と言われ、上級冒険者に敬遠される理由の一つがそれだ。
有り体に言えば、上級者が依頼を受けるのを嫌がり、それっぽい理屈を並べて下位の者に仕事を回しているだけである。
ハンスとしては、小型だろうが大型だろうが必要なら依頼を受けろと言いたいところだ。
「……」
「……マジかよ…」
一方、グリンデルとヴァルトはハンスとモクレンを眺めて呆然としていた。
実はこの2人、ハンスがまともに魔物を討伐しているところを見るのはほぼ初めてだった。
ハンスは基本、固定パーティを組まずに新人研修や雑用的な依頼を引き受けていたため、ハンスのことを『戦闘向きではない、うだつの上がらないオッサン冒険者』だと思い込んでいたのだ。
もし本当にそうなら、新人研修などという無駄に責任だけ重い厄介な仕事を任されるはずがないのだが。
「オイ、さっさと片付けるぞ」
『!』
ハンスが声を掛けると、2人はビクッと肩を揺らしてギクシャクと動き始めた。
先程までとは打って変わって素直な動きに、ハンスは内心首を傾げる。
実はハンスが有り得ないくらい正確かつ的確に二尾ネズミを狩っていたからなのだが、本人は気付いていない。
二尾ネズミはかなり小型で、しかも陸上を走る魔物の中ではかなり素早い部類に入る。
スピードだけでなく、尾を使って巧みに進行方向を変えるため、そもそも攻撃を当てるのが容易ではない。魔法すら避けるのだ。
それが、百発百中。ハンスが狙った二尾ネズミは、濡れて多少動きが鈍っていたとはいえ、全て一撃で倒されていた。
しかもハンスが使っていたのは愛用の長剣ではなく草刈り鎌である。まあそちらも愛用品ではあるのだが。
とにかく、草刈りのごとき気軽さでバッサバッサと二尾ネズミを刈り取るハンスの姿は、不良とはいえ曲がりなりにも上級冒険者であるグリンデルとヴァルトのプライドをへし折るには十分だった。
…これでポールとスージーとケットシーたちの二尾ネズミ狩りを見たらどうなるか、実に興味を惹かれるところではある。
《ハンスー、肩に乗せろー》
淡々と二尾ネズミの討伐証明部位──付け根で繋がっている2本の尾を回収しているハンスのところに、少々疲れた様子のモクレンが近付いて来た。
「なんだ、気持ち悪くなったか」
《魔力が減ったところに水の魔素はきついって。吐く。吐く。うええ》
「…お前さっき、水魔法使ってなかったか?」
《だから水の魔素が流れ込んで来たとも言う》
「…お前なあ…」
今から吐きますよ、という顔をしているモクレンに溜息をつき、ハンスはモクレンを肩に乗せた。
肩の上で吐かれたらどうしようかと、少々不安がよぎる。
(…そしたら後で丸洗いだな)
ハンスにはろくに魔法適性がないので、丸洗いするとしたらモクレンに頼むしかないが。
《…ふー…》
モクレンがへにゃっと伏せ、肩の上で干されているように後ろ脚をぷらんとハンスの背中に垂らす。冬の間に散々やられていたので、ハンスは突っ込みすらせずに二尾ネズミの処理を再開した。
「……肩乗り……」
「……ケットシーが……」
端から見たらかなりシュールな光景に、グリンデルとヴァルトは静かにドン引きしていた。
その後、グリンデルの魔法で地面──というか岩盤に穴を掘り、無理矢理二尾ネズミの死体を埋める。
こんな立地では腐って分解するのは期待できないが、魔素濃度が高いため、いずれ死体も魔素に分解されるだろうという判断だ。
その魔素が巡り巡って新たな魔物の身体を作り出すわけで、魔物討伐とはなかなかに因果な商売である。
ともあれ、死体がきちんと埋まったのを確認すると、グリンデルとヴァルトは逃げるようにその場を去って行った。
一応『まだ依頼が終わっていない』とか何とか言っていたが、要するに今まで侮っていたハンスの印象が一変し、顔を突き合わせているのが気まずいのである。
そんなことには一切気付かず、ハンスは軽く伸びをしてからモクレンに声を掛けた。
「よし、リンのところに戻るか」
《おーう》
などと調子よく応じているが、モクレンは未だにハンスの肩に垂れたままだ。一見ふざけているようにしか見えないが、どうやら本当に疲れているようだと判断し、ハンスはモクレンを落とさないよう注意しながら歩き出した。
一冬一緒に過ごし、無意識のうちにモクレンに対する観察眼が鋭くなっているハンスである。
《リーン、戻って来たぜー………んんん?》
顔を傾けて無理矢理前を見遣ったモクレンが、ぴくっと片耳を伏せる。
《なんだなんだ、どしたー?》
「あっ、ハンスさんとモク……大丈夫?」
そこそこ広い空間の一角に、人が集まっていた。
その中心で片膝をついていたリンが顔を上げ、ハンスの肩の上で見事に垂れているモクレンを見て眉を寄せる。
ハンスは片手を振って応じた。
「あー、こいつのことは気にすんな。──で、どうした?」
「それが…急に気持ち悪いって、座り込んでしまって」
リンの心配そうな視線が、正面に戻る。
リンの対面では、中年男性が岩壁に凭れていた。俯いていて表情は見えないが、明らかに顔色が悪い。
ヒュー、と、男性が肩で息をする。その様子に違和感を覚え、ハンスは眉を顰めて近付いた。
途端、周囲を取り囲んでいた鉱夫たちの表情が強張り、一人がハンスの行く手を阻むように立ち位置を変えた。
「…」
当然、彼も顔見知りだ。昔はトムと一緒に怒られているハンスを苦笑混じりに見守っていた目に、今は強い警戒の色が浮かんでいる。自分は何かしただろうか。
ハンスは一瞬そんなことを思うが、今はそれどころではないと自分に言い聞かせて、さらに一歩、踏み出した。
「様子を診させてくれ。オレは医者じゃないが、ヤバそうかどうかの判断は出来る」
冒険者として培った経験もあるし、新人を指導するにあたって、医師から野外で注意すべき症状なども教えてもらった。普通の人より詳しい自信はある。
ハンスがそう説明すると、一瞬の逡巡の後、鉱夫は場所を空けてくれた。
「ありがとよ」
礼を述べつつ、すぐにリンの横に膝をついて、蹲る鉱夫の様子を観察する。
そこでようやく、ハンスは気付く。
彼は昔、上エーギル村で羊を育てていた畜産農家の一人、デニスだ。ハンスより一回り年上で、20年前は上エーギル村の村民としてはかなりふくよかな体格をしていたが、今はすっかり痩せている──痩せすぎている、と言うべきか。
一応意識はあるようだが、顔は青白く、脈はやや速い。
手足に震えはないが、力が入っていない。そして何より──
──コヒュー──……カヒュー──
深く呼吸しているはずなのに、妙にかすれた、浅い呼吸音。




