56 新たな依頼
何故リンがエセルバートを獲物認定したのかといえば、何のことはない、リンも今日初めて会った、というだけの話である。
「本っ当にすみません…!!」
互いに自己紹介した後、平謝りするリンに、エセルバートは鷹揚に笑う。
「そう畏まるでない。謝罪するなら、代わりにタメ口で話してくれると嬉しいんじゃがのう」
「あ、すみませんそれは無理です」
リンが一瞬にして真顔に戻り、スパッと断った。切り替えが早い。
「ぬう、お主変なところで頑固じゃな」
「よく言われます」
不満そうな顔で呻くエセルバートに、リンは深く頷いた。まあいいわい、とエセルバートは肩を竦める。
「それにしても、ハンスといいリンといい、よくユグドラ支部から移籍して来てくれたの。こう言ってはなんじゃが、若者が好んで来たがるような場所ではないじゃろ?」
「あー、まあ確かにな。オレはどっちかってーと下エーギル村の実家に戻るのがメインで、移籍はついでだ」
どう頑張っても田舎なのは確かだ。
ハンスはあっさりと認めたが、リンは頬を膨らませる。
「良いところだっていっぱいあるじゃないですか。下エーギル村は食べ物が美味しいとか、上エーギル村はすっごい上等な羊毛が採れるとか」
「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃない」
エリーが笑みを浮かべた。
が、
「その羊毛のコートがなきゃ耐えられないくらいヤバかったんじゃないか? 上エーギル村の冬は」
「うっ」
ハンスがぼそりと呟くと、リンの表情が固まった。
「ハンス、余計なこと言わないでくれる?」
「事実は事実だろ」
渋面のエリーに渋面で返す。
「オレも一回だけ経験したことがあるが、あれはヤバい」
ハンスは下エーギル村出身だが、上エーギル村の冬を体験したことがある。
ハンスが子どもの頃、2つの村が学舎を共同運営していた頃は、『相互冬期体験』という制度があったのだ。
上エーギル村と下エーギル村の同年代の子どもを持つ家庭が協力し、冬期の4か月間、お互いの子どもを預かって、それぞれの村の冬を体験させる。感覚としてはホームステイに近いか。
ハンスは12歳の頃、幼馴染のトムの家に滞在し、上エーギル村で一冬過ごした。
石造りの建物に入って来る空気の冷たさも地吹雪の激しさも、下エーギル村の比ではなかった。
半月ほど地吹雪が続いて一歩も外に出られなかった時の、足元からゆっくり這い上がって来るような静かな恐怖を、ハンスは今でもはっきり覚えている。
ちなみにその時下エーギル村のハンスの家に滞在していたトムは、連日かつ大量の雪かきに疲弊し、『地吹雪の方がまだマシだと思う』と死んだ魚のような目で呟いていた。
この制度はつまるところ『お互いの大変さを理解しよう』という目的で行われていたもので、その意味では、目標をしっかり達成していたとも言える。
「ハンスさんもあの地吹雪知ってるんですね」
「ああ。リンも大変だったろ」
ちょっとだけ嬉しそうな顔をするリンに、ハンスは労わりの視線を向ける。いえそんな、とリンは頬を赤くした。
「確かにちょっとびっくりしましたけど、天候を見計らえば出歩けないこともないですし、ギルドの依頼はほとんど鉱山がらみだったので、大丈夫でした」
坑道の魔物討伐だったら、外が猛吹雪だろうと関係ない。鉱山の中に入ってしまえばこっちのものである。
実際、鉱夫として魔石の採掘を行う上エーギル村の住民たちも、吹雪だろうがなんだろうが冬の間も毎日鉱山に潜っていた。仕事場が地下という立地の強みだ。
それに、とリンは笑う。
「上エーギル村って、ちょっと私の故郷と似てるんです。山の斜面に建物がぎゅっと集まってるところとか、魔石鉱山があるってこととか」
「ああ、そういやお前、鉱山の村出身だったな」
リンはここより北、永世中立国アイラーニアのほぼ中央に位置する山岳地帯の出身だ。
ハンスが以前ちらりと聞いた限りでは、山の中腹にある、鉱山のお陰でちょっとだけ賑わっているそれほど大きくない村──上エーギル村と共通点がそれなりにある。
ハンスが頷くと、リンは軽く肩を竦める。
「あっちは水属性じゃなくて火属性と地属性の魔石ですし、ここよりもうちょっと暖かいんですけどね」
この国は、北へ行けば行くほど温暖になる。
リンの故郷はそれだけでなく、火の魔素が豊富だったのもあってより温暖な気候になっていた。雪は舞うくらいで積もることはなく、冬でも凍らない日があるくらいだ。
「ふぅむ…ということは、ヨルム山系じゃな?」
「はい、そうです」
「あのあたりからこちらに来るとは、なかなか思い切ったことをしたのう」
「私も色々あったので」
エセルバートの言葉を、リンは笑って受け流した。
リンがユグドラの街で冒険者になったのは16歳の頃。ハンスの知る限りでは、それから8年、一度も故郷に帰ったことはない。
親御さんが心配しているのではないか──という言葉を、ハンスは喉の奥で押し留める。
家出同然で実家を飛び出して20年、一度も帰らないどころかろくに便りも送らなかったハンスは、どう考えてもそんなことを言える立場にない。
「あ、そうそう、鉱山と言えば!」
エリーが唐突に手を打った。
「エセじい、今年もまた鉱山の魔物が増えてきてるみたいなの。去年までは問題児ばっかりだったから無理だったけど、今年はイケるんじゃないかと思って」
「おお、そうじゃな!」
目を輝かせたエリーとエセルバートが、揃ってハンスとリンを見詰めた。
ハンスはちょっと引きながら首を傾げる。
「今年はイケる?」
「そう!」
「うむ!」
深い頷きが見事に揃った。
エリーがカウンターの上に書類を出し、ものすごい勢いで何やら書き込んで行く。
「範囲は──」
「まずざっくり全域じゃな」
「期限は? 長めにする?」
「10日程度としておこう。あとは応相談の注釈を入れておけばどうとでもなるじゃろ」
「了解。じゃ、これで」
「うむ、ばっちりじゃ!」
エリーが書き上げた書類に、エセルバートが即座にサインする。
出来上がったのはどう見ても、
「…ギルド長名義の指名依頼書…」
ハンスがぼそりと呟くと、エセルバートが勿体ぶった態度で書類──出来立てほやほやの依頼書をハンスに差し出した。
「エーギル支部支部長、エセルバートが、上級冒険者ハンスならびにリンに依頼する。エーギル鉱山全域における魔物の生息状況を調査せよ。…ちなみにじゃが、調査ついでに全部倒してくれても構わんぞ?」
「…リン、坑道に出る魔物ってどれくらい居るんだ?」
ギルド長名義の指名依頼となると、基本的に拒否権はない。ハンスが書類を受け取りながらリンに訊くと、リンは目を泳がせた。
「ええと……今はちょっと多くなってて、特に多い場所だと『ユグドラの街の下水道デスイーター大量発生事件』よりちょっとマシ、くらいの密度ですかね…」
「……殲滅は無理だろ」
ハンスがドン引きしながら呟くと、なんだなんだ、と陽気な念話が響いた。
《オッサンのくせに弱腰だな。ならここは一つ、この俺が一肌脱いでやろうじゃないか! 毛皮だけど!》
毛づくろいをしながらカウンターの上でゴロゴロしていたモクレンが、きちんと姿勢を正して座り直し、キリっと胸を張っている。
ハンスはそっと半眼になった。
「…本音は?」
《坑道とか絶対面白いじゃんか! 俺も連れてけ!》
「………」




