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50 ユークレース


 数日後、ハンスたちの家にユグドラの街から王立研究院の助手がやって来た。


「はじめまして、王立研究院世界樹研究部門で助手をしております、ユークレースと申します」


 年齢的にはハンスと同年代か、少し上くらいだろうか。広葉樹の新芽のような明るい黄緑色の髪に濃い青緑色の瞳、いかにも真面目そうな雰囲気のメガネが印象的な男性だ。


「ポールの息子の、ハンスと申します。よろしくお願いします」


 ハンスが手を差し出すと、ユークレースはしっかりと握り返す。


「お噂はかねがね。ユグドラの街で冒険者をしておられたとか」

「ええまあ。と言っても、しがない中堅冒険者ですが」


 ハンスは肩を竦めて苦笑した。噂ってどんなだ、と問い質したい衝動に駆られたが、聞いたところでろくなことはなさそうだと思い留まる。

 実際ユークレースが耳にしていたのは『ユグドラの街での冒険者稼業に疲れて田舎に帰った負け犬』という系統の噂なので、聞かなくて正解である。


「これからは、ハンスも栽培に携わる」


 ポールが淡々と告げると、ユークレースは深く頷いた。


「承知しました。…ということは、ハンスさんはもうあの場所に行かれたのですか?」

「ええ、昨日」


 ハンスが頷くと、ユークレースは目を見開いた。


「それはすごいですね…私はあの場所に入る許可を貰うのに、半年掛かったのですが」

「えっ」


 ユークレース曰く、彼はエリク草だけ栽培していた頃からこちらに通っていたが、世界樹の枝を植えたら一時的にあの広場まで辿り着けなくなった。

 何度霧の中に突入しても、霧から出たと思ったら元の場所に戻っている。ポールとロープで繋がって行っても、ポールと共に戻されるだけだった。


「何度も通って霧の中で色々なことを訴えて、ようやくという感じです。それでもあまり歓迎されている感じはなかったので、私が直接出向くのは必要最低限に留めています」


 ポールの一声で道が拓け、初見の世界樹の枝に散々絡まれたハンスとはえらい違いである。


「世界樹が選り好みしてるってことですかね…?」


 ハンスが首を傾げると、ユークレースは苦笑混じりに頷く。


「そうだと思います。どういう判断基準なのかは分かりませんが…少なくとも、世界樹に害意がある人間は、あの場所には辿り着けないのでしょう」


 その言葉に、ハンスはそっと目を逸らす。

 ジタバタする世界樹の枝たちに『切るぞコラ』と半ば本気で脅しを掛けたのはつい先日のことである。


(…次、入れなかったりしてな…)


 初回で入れたのはただの『ポールの息子』特典だったのかも知れない。まあ入れなくなってもそれはそれで良いか、あの作業キッツいし…などとハンスは思う。


 …そう思う時に限って思うようにいかなかったりするのだが。




 その後、ユークレースと共に2階の一室に移動する。


 北側に面した少し狭い部屋は、ポールの書斎だ。壁一面に本棚が設置され、所狭しと本とノートが収納されている。

 本はこの近隣の地図や植生図鑑、魔物図鑑や農業に関する研究書。

 大きさも厚みもバラバラのノートは、ポールやその父、祖父が書き留めたこれまでの栽培記録だ。


 当然ながら、ノートの方が圧倒的に量が多い。ハンスは子どもの頃には気にも留めなかったが、こうして改めて見るとその情報量に圧倒される。


「相変わらず、凄まじい量ですね…」


 ユークレースが感嘆の溜息をついた。


「ここから情報を抜粋するだけでも、論文がいくらでも書けそうです」

「…ただの作業記録だ」


 ポールは仏頂面で応じながら、机の上に何冊かノートを出す。

 が、よく見ると耳が若干赤くなっていた。照れているのだ。


(オヤジも照れるのか)


 ハンスが変なところで感心していると、ポールは机の上に並べたノートのうち一冊を広げた。


「世界樹の枝に関する、今期の作業記録だ。コガネアブラムシの食害が2本、ススケムシの食害が3本。全て捕殺で対応した。それから、夏に発生したカビ病は秋口に落ち着いた」


 概要を聞いて、ユークレースがホッと表情を緩める。


「それは何よりです。半数がカビたと聞いて、どうなることかと思っていました」

「木酢液の塗布と強剪定が効いたようだ」


 世界樹の話をしているはずだが、会話内容が完全に樹木の世話のそれである。

 ハンスとしてはあんなアグレッシブな物体を樹木認定したくないのだが、実際の作業はそうなのだから仕方ない。


(世界樹を食べる害虫とか、なんか変な能力獲得してそうだよな)


 出会わないことを祈るばかりだ。


「今回の収穫は世界樹の枝が50本以上…随分多いですね」


 部屋の隅、木箱にギュッと詰まった枝を見て、ユークレースが感嘆の声を上げた。


 冒険者ギルドでは、世界樹の素材はかなり高値で買い取られる。傷のない葉1枚で金貨1枚、大人の肘から先くらいの長さの葉付きの枝で金貨30枚超。ここにある枝の束をギルドに持ち込んだら、一体いくらになるか──下手をしたらその支部の年間買い取り予算が丸ごと吹っ飛ぶだろう。


 だが、王立研究院と委託契約を結んで世話をしている関係上、ポールが育てた世界樹の枝は全てユークレースが王立研究院ユグドラ支所へ持ち帰る。

 栽培の手間賃は貰っているから、枝自体の引き取りに金銭のやり取りは発生しない。


 つまり、この宝の山が、タダ。


(…オヤジは納得してるみたいだが、すっげぇ損してる気分になるな)


 ハンスが内心で呻いている間にも、会話は続く。


「冬の前の最後の剪定だ。少し多めにやっておかないと来年の生育に差し支える」

「ああ、そうでしたね。…となると、次の収穫は春になってから…いえ、初夏ですか」

「そうだ」


 毎年のことなので、大体の流れは分かっているらしい。分かり合った表情で頷き合い、ユークレースがポールからノートを受け取る。


「いつもありがとうございます。委細、承知しました」


 ユークレースはノートと枝の束を圧縮バッグに仕舞い込み、『ではまた、次の初夏に』と丁寧に一礼して去って行った。




 その後、ハンスは上エーギル村に向かう。


 リンに教えた通り、厳寒期には下エーギル村から上エーギル村に通えなくなるため、本格的な積雪が始まる前に冒険者ギルドエーギル支部に一声掛けておこうと思ったのだ。


 道中、登山道には所々に雪が残り、凍結していた。真っ昼間なのに空気はひんやりとしていて、凍り付く季節がすぐそこまで来ているのを実感する。


「よう、邪魔するぜ」

「あら、来たのね」


 受付には今日もエリーが立っていた。そして、


「あっ、ハンスさん!」

「リンも来てたのか。おつかれさん」

「お疲れさまです!」


 エリーの前、カウンターに肘をついていたリンが、ハンスを見るなりパアッと顔を輝かせる。


 リンは持ち前の明るさとコミュニケーション能力で、すっかりエリーと打ち解けていた。

 ハンスを小馬鹿にしている他の冒険者たちとの関係はまあお察しだが、依頼が被らないようにエリーが調整しているので、特に問題は起きていない。


「丁度よかった。ほれリン、いつものお裾分けだ」


 スージーが持たせてくれた野菜とウインナーと卵をハンスが差し出すと、リンは喜色満面で受け取る。


「ありがとうございます! わ、卵もある!」

「ウチのおふくろからだ。前に食べて美味かったって言ってただろ?」

「嬉しいです! スージーさんにお礼を伝えてください!」

「おう」


 下エーギル村の食材を食べたいがために、リンは足繁く下エーギル村の食堂に通っていた。住民たちとも積極的に交流を持ち、『依頼』という形にこだわらずにちょっとした手伝いもしている。

 そのため、リンのことは下エーギル村でも評判になっていた。特にスージーはリンのことをすっかり気に入って、何くれと世話を焼いている。


 食材のお裾分けを届けるのにわざわざハンスを使うあたり、『気に入った』のニュアンスに少々別の意図もありそうなのだが…当然ハンスは気付いていない。


「ああそうだハンス、マークから依頼が来てるわよ」


 エリーが差し出したのは、『冬期期間中の井戸の定期メンテナンス』の依頼だった。

 再会した時にちらっと話した仕事を、マークはきっちりギルドを通して依頼してきたのだ。


「お、流石マーク。忘れてなかったか」

「受注する? 報酬は前金で半分、完了後に半分だから、半額は春に支払いになっちゃうけど」

「おう、約束したからな。どうせ冬の間はこっちに来れねぇし」


 ハンスが頷くと、エリーが素早く書類を処理する。

 リンがしょんぼりと肩を落とした。


「やっぱり来れないんですか?」

「そりゃな。いくら地元民でも、厳寒期に山を登るのは無理だ。遭難したって誰も助けられないしな」


 出歩かないのが一番安全なのだ。ハンスはポンポンとリンの頭を軽く叩き、苦笑した。


「そういうわけだから、リン。冬の間は坑道の魔物退治でもしといてくれ。あいつらと顔突き合わせるのは嫌だろうけどよ」


 エーギル支部所属のグリンデルとヴァルトはまともな冒険者やギルド職員から煙たがられる典型的な『不良冒険者』で、特にリンとは非常に折り合いが悪い。

 ユグドラ支部に居た頃、リンは『同じ空気を吸いたくない』というレベルで毛嫌いしていた。


 だがそれでも、リンは上級冒険者である。


「………ハンスさんがそう言うなら」


 むすっとしつつも、リンはしっかりと頷いた。







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