46 揉め方がおかしい件
「このままだと延々平行線だ。──ナターシャ、その提示金額の根拠を教えてくれ」
ハンスが話を振ると、ナターシャはハッと表情を改め、テーブルの上に紙を広げた。数字を走り書きして、
「ああ。…まずアーネストの買取価格、あれは通常の買取価格の2、3割くらいの値段なんだよ。真っ当な商人ならあんな捨て値みたいな価格はつけない。この時点で、買取価格はアーネストの提示額の4倍になる」
「…」
「で、もう一つ問題になるのは野菜の大きさだ。どれもこれも、重量で考えると普通の3倍以上大きい。つまり普通の野菜3個分で、下エーギル村の野菜1つ分だ。となると、下エーギル村の野菜の1つあたりの単価は、最低でもアーネストの提示額の12倍が妥当ってことになる」
「あれ、でもナターシャさんが提示したのは15倍、ですよね?」
リンが口を挟むと、ナターシャは大きく頷いた。
「下エーギル村の野菜は、他の野菜と味が全く違う。その付加価値を見込んでの上乗せさ。それから、真冬には流石に買い取りに来れないだろうからね。季節と数量限定ってことで、希少価値がある」
「希少価値など…」
「希少なのさ、本当に」
戸惑うマークに、ナターシャは熱を込めた口調で言う。
「本当は20倍でも30倍でもいいくらいなんだよ。高級レストランのシェフとオーナーが『言い値で買う』って食い付いてくるくらいには、ここの野菜は美味いんだ。だから、せめて15倍の値は付けさせておくれ」
ナターシャの目は本気だった。これでも安いくらいだというのは本気らしい。
ハンスは肩を竦めてマークを見遣り、
「…ってことだがマーク、納得したか?」
「理由は分かったよ。…だがやはり、あくまで『余分な生産物』を売っているだけだから、そこまで高く売るのは…」
納得は出来ないらしい。変なところで頑固だなとハンスは頭を掻き、視線を彷徨わせた。
視界の端に、キッチンの奥からこちらを心配そうに見詰めているジェニファーが映り──その近くに流し台があるのを見て、ハンスはハッと思い付く。
「それなら、野菜の売り値を少し安く…上乗せ分をなくして前の値段の12倍に留める代わりに、魔石を安く売ってもらうってのはどうだ?」
給水装置と温水装置が各家にある下エーギル村にとって、火の魔石と水の魔石は生活必需品だ。特に井戸を使えない冬は、どの家庭も給水装置に頼っている。
村で使う魔石は基本的にマークが取りまとめ、定期的にユグドラの街に買いに行っているが、もし売りに来てくれるならかなり助かるのではないだろうか。
ラキス商会としては野菜の仕入れ値が下がるので当初の見込みより利益が上がってしまうことになるが、その分魔石を安く販売することによってそちらの利益は下がる。
野菜販売の利益の上昇分を魔石販売の利益の減少分で相殺させてしまえという作戦である。
村にとっては、野菜販売の収入はアーネストと取引していた時よりぐっと上がるし、魔石も安く手に入る。ラキス商会にとっては、全体を見れば適正な利益で商売が出来る。双方に益があるはずだ。
ハンスの説明に、ナターシャは大きく頷いた。
「そりゃあ良いね。魔石なら、ウチの商会にも販路がある。在庫もたっぷり確保してるから、一冬分の火と水の魔石くらいならすぐ出せるよ。どうだい?」
「それは…助かりますが…」
あと一押し、という感じか。ハンスは苦笑しながら首を横に振った。
「マーク、このへんで妥協してやってくれ。じゃないと、『自分たちの生産物にもっと自信を持ちな! 私を良いものを買い叩くバカに仕立て上げないどくれ!』とか叫び出すぜ、このやり手の商会長殿は」
「え」
「ハンス、分かってるじゃないか」
ナターシャがにやりと笑った。笑顔は笑顔だが、目は変わらず本気である。
実際彼女は、本当に価値のあるものには相応の対価を払うという姿勢を貫いてきた。それこそがラキス商会の基本理念であり、関係各所から信頼される理由の一つだ。
その意味でも、これ以上ナターシャが引くことはない。
マークは考える表情で沈黙し、数秒後、深く頷いた。
「…分かりました。我々としても、収入が増えるのはありがたいことです。その条件での野菜の買い取りと、魔石の販売、よろしくお願いいたします」
ナターシャは大きく破顔し、マークが差し出した右手をしっかり握り返す。
「ああ! こちらこそ、これからよろしくお願いするよ」
なおこの直後、今度は肉加工品や羊毛の買取価格で揉めることになるのだが──
「だーもう! マークもナターシャも、いい加減学習しろ! オレはもう仲裁しないからな!!」
ものの数分でハンスの堪忍袋の緒が切れたのは、言うまでもない。
そんなこんなで、ナターシャ率いるラキス商会と下エーギル村の村長マークはその後何とか一通りの取引条件に同意し、正式に契約を締結した。
わざわざ書面を取り交わす正式契約にしたのは、今後横槍を入れて来るであろう他の商人たちを牽制し、いざという時にラキス商会が交渉の矢面に立つためだ。マークや下エーギル村の住民個人が直接交渉したら、商人に食い物にされるのが目に見えているからである。
マークは『我々も色々と知りましたし、今後はそんな風にはならない思いますが…』とやんわり抗議していたが、残念ながらナターシャとハンスとリンとモクレンは『無理だから大人しくラキス商会に守ってもらえ』という意見で一致した。
詐欺まがいの口八丁で生産者を搾取する商人はどこにでも居るし、多少学習したところで下エーギル村の人々の本質的な『人のよさ』は変わらないのだ、良くも悪くも。
「──いやあ、それにしても良い取り引きになりそうだね」
書面を受け取り村長の家を出て、宿へと向かう道すがら、ナターシャが上機嫌で言う。
「これからが楽しみだ。…本格的に雪になったら、なかなか来られないのが残念だが」
既に季節は初冬。雪が降り始めたら乗合馬車は運休になる。
ラキス商会はあの半魔馬の馬車を使って来る気満々だが、それでも悪天候に耐えるには限度がある。
「その前に、真冬は売れるモンなんかないぞ。畑も雪で埋もれるし、村の連中も家に引きこもるからな」
「家畜たちはどうするんだい?」
「基本、畜舎に引きこもりだったはずだ。晴れた日にはたまーに放牧場に出てた気もするが」
ハンスは記憶を探ってナターシャの疑問に答える。ハンス自身も下エーギル村の冬を経験するのは20年ぶりなので、今現在の冬越し方法には分からないことも多い。
「まあとにかく、真冬になったら街道も雪に埋もれて分からなくなるだろうし、無茶だけはしないでくれよ。遭難したら目も当てられないからな」
「ああ、分かってるよ」
そんな会話を交わしつつ、宿の前に着くと、リンが片手を挙げた。
「じゃあ、私はこれから上エーギル村に向かいますね」
「ちょいと待ちな」
それをナターシャが制止する。ハンスを見上げ、
「ハンス。今から登るとなると、上エーギル村に到着するのは日没後になるんじゃないかい?」
「あー…そうだな」
既に日は傾き、空は赤みを帯び始めている。
初冬の日没は早い。上エーギル村まで片道1時間は掛かるので、今から登ったら到着する頃には確実に真っ暗になっているだろう。
勝手知ったる街の中ならともかく、初めて来た山の中腹でそれはあまりにもリスクが高い。
ハンスが頷くと、ナターシャはリンに向き直った。
「部屋の空きには余裕があるみたいだから、あんたも今日のところはこっちの宿に泊まって行きな。宿代は私が持つ」
「え、でも」
躊躇うリンに、ナターシャは快活に笑う。
「移籍祝いさ。あと──この宿に泊まれば、あの野菜と肉のフルコースが食べられるんじゃないかい?」
「是非お願いします!」
リンの変わり身は大変速かった。




