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「──じゃあ早速、商談をさせてくれるかい?」
「ええ、勿論です」
ナターシャの言葉に、マークは笑顔で頷いた。
リビングのソファーに座り、ジェニファーが出してくれた紅茶で喉を潤すと、まず、とナターシャが切り出す。
「一通りの事情はハンスから聞いてるよ。ユグドラの商人が迷惑を掛けたようだね。ユグドラ商人組合の幹部の一人として、謝罪する」
ナターシャが頭を下げると、マークは落ち着いた表情で首を横に振った。
「いいえ、相場をきちんと把握していなかった我々にも非がありますから」
ここまではいわゆる予定調和だ。
ナターシャが顔を上げ、アーネストには冒険者ギルドと商人組合、双方で対処することになったと説明すると、マークはホッとしたように微笑んだ。
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
「ああ、任せといてくれ。…で、今回は野菜の定期買取り希望ってことで間違いないかい?」
「はい。それから、可能であれば──」
マークが視線を上げる。ジェニファーがタイミングよくやって来て、ローテーブルに大皿を出した。
白いシンプルな平皿の上に、薄いピンク色の薄切りハムと程よく燻製されたウィンナー、こんがり焼けた一口大のベーコンが並んでいる。
ナターシャとリンとモクレンの視線が皿の上に集中した。ハンスがちらりと見上げると、目が合ったジェニファーがくすっと小さく笑ってキッチンへ戻って行く。交渉に参加するつもりはないらしい。
「こちらはこの村で飼育されている豚の肉で作ったロースハムとウィンナーとベーコンです。あまり量は出せませんが、こういった加工品も買い取っていただけないかと」
「これはまた…」
「よろしければ、味見してください」
マークがフォークを手にハムを取りながら勧めると、ナターシャとリンが早速フォークに手を伸ばした。フォークは4人分あったので、ハンスも有り難くいただくことにする。
《なー、俺の分はー?》
「お前には塩分過多だからダメだ」
ソファーの上、モクレンがハンスの太ももに前脚を置いてにゅっと伸び上がり、ハンスの口元──というか今まさに口に入れられようとしているハムをそれはそれは熱心に嗅ぐ。
ハンスがにべもなく応じていると、ジェニファーが再びキッチンから出て来た。
「はい、ケットシーにはこれね」
《おっ、鶏ハム! ありがとな!》
囁きと共に、ローテーブルに鶏ハムのスライスの小皿が置かれた。すぐに鶏ハムがふわりと浮かび上がり、モクレンの口に運ばれる。ケットシーの十八番、浮遊魔法だ。
《…っくー! これこれ!》
モクレンが悶え始めた。
ハンスも改めて、ロースハムを味わう。
しっかりとした塩気とそれに負けない肉の甘みが口の中に広がり、歯ごたえは柔らか。癖がなく万人受けする味だ。
やっぱ美味いよなあ…と感慨に浸りながら見遣ると、ナターシャは非常に真剣な眼差しで大皿を睨み付けながら咀嚼を繰り返し、リンは目を閉じてじっくりゆっくり口を動かしていた。
ハンスは思う──何か怖い。
「…」
そっと目を逸らして、ハンスはウィンナーとベーコンも順に食べて行く。
ウィンナーは燻製したてのようで、まだ温かかった。
外側の皮は張りがあり、パリッとした歯ごたえと溢れ出す肉汁がたまらない。ハーブを多めに混ぜ込んだ中身は粗挽きで、下味もしっかりついている。
燻製の香りが口の中いっぱいに広がって鼻に抜ける、パンやエールに合わせたい味だ。
ベーコンは、ユグドラの街で見かけるものより脂身が少ないのが特徴だ。ガイのところで飼育されている豚は広い牧場で適度に運動していて、そもそも脂肪がそれほど多くないからである。
しかし、いざベーコンを口に入れると脂の甘みが際立つ。摺り込まれたハーブの香りと強めの燻製の香り、焼き目の香ばしさ。何より強めの歯ごたえが、いかにも『肉!』という感じだ。
ハンスが一通り堪能している間に、モクレンも鶏ハムを完食していた。他の面々もだ。
だが。
「………」
「んー……!」
ナターシャとリンは大皿が空になってもひたすら咀嚼を繰り返している。飲み込むのが惜しいようだ。
「…おいナターシャ、リン。もう味残ってないだろ」
ハンスが呆れながら声を掛けると、ようやく口の中の物を飲み込んだナターシャが大層不機嫌そうに眉を寄せた。
「この味に慣れ切ってる輩に文句を言う資格はないよ」
「なんだそりゃ」
「ナターシャさんに同意です。これを当たり前に食べてきたハンスさんは黙っててください」
「…」
なかなかに理不尽である。
しかし、目が据わっている女性陣に食い下がれるほどハンスは強くない。
ハンスがちょっと肩を縮めて座り直すと、ナターシャがマークに向き直った。
「…これも扱わせてもらえるなら、願ったり叶ったりだが…良いのかい? 冬の間の貴重な保存食だろう?」
冬の間は街に降りないので、山岳地帯の村の食事は基本的に保存食頼みになる。ナターシャはそのあたりの事情も知っているので、当然の疑問だ。
マークはそうですねと頷き、実は、と続けた。
「ケットシーたちが牧畜を手伝ってくれていまして、肉の生産量が上がっているんです。ですので、村で食べる分を確保しても、ある程度は売りに出せます」
「ああ…なるほど」
ナターシャがちらりとモクレンを見遣ると、モクレンはすかさず胸を張る。
《つまり俺たちのおかげってことだな!》
「あーはいはい」
ハンスはそりゃあもうぞんざいに相槌を打った。
マークは苦笑して、さらにナターシャに申し出る。
「それから、可能であれば羊毛なども買い取っていただけると助かるのですが…」
「羊毛かい? 下エーギル村でも羊を飼っているんだね」
上エーギル村の羊毛や毛皮については、ユグドラの街の商人の間でもよく知られている。だが、下エーギル村は羊毛の産地としての知名度はほとんどない。
それもそのはず。下エーギル村で羊の飼育を始めたのは10年ほど前、上エーギル村と仲違いしたからだ。上エーギル村の羊毛が容易に手に入らなくなったため、ならば自分たちが使う分は自分たちで生産しようという話になったのである。
自家消費前提なので、野菜と同じく生産量はそれほど多くないが、ここ数年は羊たちの健康状態が良く、上質な羊毛を安定して生産している。
「売ってくれるなら有難い。見本があれば、後で見せてくれるかい?」
「勿論です」
双方、頷き合ったところで、そこからは買取価格の交渉である。
まずは野菜の買取価格を──という話だった、のだが、
「以前の15倍ですか!?」
「ああ。最低でもそれくらいの値はつけさせてもらう。…もう少し上げようか」
「いえ、高すぎます。もっと安くて構いません」
「いやいや、何言ってんだい。これ以上安くなんて出来るわけないだろ?」
…一応説明すると、値下げを主張しているのはマーク、むしろ値上げしてもいいと言っているのがナターシャである。
(…逆だろ、普通)
売り手が安く売ろうとして買い手が高く買い取ろうとするという珍妙な光景に、ハンスは思わず遠い目になる。
リンは目を白黒させているし、モクレンに至ってはひとしきり毛繕いをした後、ソファーの上で丸くなって昼寝を始めた。思い切り耳を伏せているので、呆れているのは間違いない。
「あー、ちょっと待て二人とも」
両者譲らずの流れに、ハンスは片手を挙げた。




