44 思ってたのと違う。
ラキス商会の装甲馬車はその後も順調に山道を登り、午後のおやつより少し早いくらいの時間に下エーギル村に到着した。
ざっくり比較すると、所要時間は乗合馬車の3分の2以下。大変な速さである。
「ここがハンスさんの故郷なんですね!」
馬車から降りたリンが、目を輝かせて周囲を見渡す。
「お洒落ですね…!」
「あー、言っとくが真新しい建物があるのはこの辺だけだぞ。奥の方は昔のまんま、鄙びた寒村だ」
ハンスが肩を竦めて応じると、続いて降りて来たナターシャがやれやれと首を振った。
「分かってないねハンス。それが良いんじゃないか」
「うん?」
「こういう場所にこそ、掘り出し物があるってもんだよ」
ナターシャは上機嫌に言った。
そういうもんかね、と首を傾げつつ、ハンスはナターシャから依頼完了のサインを貰う。
「さて…、早速商談といきたいところだが。まずは宿かね」
「そうだな、早めに確保しといた方が良い。オススメはそこの宿だ」
と言うか、下エーギル村には宿が一つしかない。そうハンスが説明すると、リンがえっと声を上げた。
「エーギル支部と提携してる宿は、いくつかあるって聞いてたんですけど」
「そりゃもっと上の──上エーギル村の宿のことだ。エーギル支部があるのはあっちだからな」
「ここじゃないんですか!?」
「ああ」
ハンスが頷くと、リンはあからさまに愕然とした顔になった。
「じゃ、じゃあ、冒険者が拠点にしてるのは…」
「上エーギル村だ。オレみたいに実家があるならともかく、下エーギル村に住んでる冒険者は居ないぞ。ここの宿はギルドと提携してないからな」
「……そんな……」
「…なんでそんなショック受けてるんだよ」
呆れるハンスをじっと見上げ、モクレンが溜息をつく。
《……まーこいつに乙女心が分かるわけないよな》
「同感だ」
ナターシャが重々しく頷く。
実のところ、リンは『同じ支部に所属するし小さい村だから、ハンスさんのご近所に住める!』と意気込んでいたわけで、完全に出鼻を挫かれた形である。
だがそもそも、『人口が少ない』は『面積が小さい』とイコールではない。畑がある場所や手入れされた山林まで『村』と認識するなら、下エーギル村はユグドラの街と同程度以上の面積がある。
村の中心部はそれなりに家屋が連なっているが、村の外れの方にあるハンスの実家は、『隣家まで徒歩5分』とかそういう領域である。リンのイメージしている『ご近所』とは程遠い。
「とにかく、リンは上エーギル村を拠点にした方が良い。ここからだと、毎日往復2時間掛けて通うことになっちまうからな」
ハンスが子どもの頃と比べるとかなり歩きやすくなったが、上エーギル村への道はほぼ登山道である。
それを毎日通うのは、冒険者とはいえ街暮らしだったリンにはきついだろう。
ハンスはそう思ったのだが、リンはキッと眦を吊り上げた。
「ハンスさん、私のこと子ども扱いしてますよね」
「いやそんなつもりは」
むしろ大人になったハンスにとってきつかったからこその助言である。
子どもの頃は学舎での勉強が終わったらトムの家に遊びに行き、牧羊犬と一緒に羊を追って急斜面を駆け回り、泥だらけのまま下エーギル村に戻って用水路に飛び込むまでがワンセットだった。
今だったらとてもじゃないがそんなハードワークは無理だ。子どもの体力とは恐ろしい。
「あー、とにかく悪いことは言わないから、拠点は上エーギル村にしとけ。冬になったら出歩くのも危なくなる」
「…出歩くのも危ない? そこら辺の魔物だったら…まあワイルドベアはともかく、普通に対処出来ますけど」
当たり前の顔でリンが言う。そこでハンスはようやく理解した。
リンは、このエーギル山中腹の『冬』がどういうものなのか知らないのだ。
ハンスは深刻な顔で告げる。
「…リン。この界隈で冬に問題になるのは、魔物じゃない。雪だ」
「雪?」
リンにはピンとこないらしい。
この地方は永世中立国アイラーニアでも比較的寒冷な方なので、平原地帯に立地するユグドラの街でも雪は降る。ただし、積もっても精々大人のふくらはぎより下、数日もすれば融けてなくなる。
だが、
「…下エーギル村は、大人の背丈を超えるくらいまで雪が積もる。基本、本格的に積もり始めたら春まで融けない。積もりっぱなしだ」
「え」
「上エーギル村の積雪量は腰くらいまでの高さだが、春まで融けないのは一緒だし、ぶっちゃけ風に吹き飛ばされるから積もらないってだけだ。どっちの村でも毎日のように地吹雪になるし、そんな時にうっかり外出しようもんなら村の中で遭難する。冗談抜きでな」
「…」
「あと、用水路は全部凍るし井戸も凍る。雪に埋もれて道も用水路も穴も分からなくなるから、晴れてる時でも地面のつもりで足を踏み出した先が雪の吹き溜まりで首まではまって動けなくなるなんて事故も起こる。あと雪庇っつって、屋根とか崖の先から雪の塊が突き出すことがあるんだが、その上に乗っちまったら雪もろとも転落するし、下に居たら崩落に巻き込まれる。それから当然、雪が融けないくらい滅茶苦茶寒い。登山道は風を遮るものもないし、単純に寒いだけじゃなくて自分が吹っ飛ばされる恐れもある。真冬に下エーギル村から上エーギル村に通うのは自殺行為だ」
ハンスが子どもの頃、下エーギル村にある学舎では上エーギル村の子どもたちも一緒に学んでいたが、積雪シーズンには学舎自体が長期休業になっていた。子どもたちを村の外に行かせないようにという配慮だ。
大人たちも、天気が良い日に自分の畑を見回ったり雪かきをするくらいで、冬の間は基本、自宅で引きこもりになる。
よほどのことがない限り、村の外には出ない。
「村の中をうろつくにも、防寒着は必須だしな。ああちなみに、中途半端な防寒着だと布地諸共、中まで凍るぞ。風が強すぎて冷気が貫通するんだ」
「………」
リンが静かに青くなった。
暫しの沈黙を挟み、
「…ハンスさん、私ユグドラの街で使ってた防寒着しか持ってないです」
「…分かった、後で上エーギル村の雑貨店を紹介する。オレの幼馴染がやってる店でな、上エーギル村特産の羊毛の防寒着なんかも扱ってるから相談してみるといい」
「ハンスさんの幼馴染…」
「地元だからな」
ちょっと目を輝かせるリンに、肩を竦める。
その後、下エーギル村の宿の部屋を確保したナターシャと共に、ハンスは村長──マークの家に向かった。
リンも一緒だ。ハンスとしては先にエーギル支部に行って欲しかったのだが、『護衛依頼の報酬のこともあるし、雑貨屋さんも紹介してくれるんですよね? なら、一緒に居た方が都合がいいじゃないですか』と押し切られた。
「はじめまして、下エーギル村村長のマークです。ご足労いただき、感謝申し上げます」
「ユグドラの街で商人をやってる、ラキス商会のナターシャだよ。あの野菜の取引交渉をさせてもらえるとは光栄だ。こちらこそ、よろしく頼むよ」
ハンスがその場に居合わせる全員を紹介した後、マークとナターシャが笑顔で握手を交わす。
マークはホッとした顔でハンスを見遣った。
「ハンス、ありがとう。まさか噂に名高いラキス商会の商会長さんを連れて来てくれるとは思わなかった」
「マークもナターシャのことを知ってるのか?」
ナターシャは『商会長』とは名乗っていない。ハンスが首を傾げると、マークは大きく頷いた。
「ラキス商会と言えば、ユグドラの街だけじゃなくて、北の宿場町にも、さらに北の交易都市にも支店がある大きな商会だろう? 噂くらいは知っているさ」
マークの言葉に、ナターシャが苦笑した。
「私も有名になったもんだねえ」




