42 ラキス商会の馬車
翌朝、ハンスはユグドラの街の停車場にやって来た。
下エーギル村行きの乗合馬車は、既に出発した後だ。他の乗合馬車もそれほど停まっておらず、広場は閑散としている。
とはいえ、活気がないわけではなく──
「来たね、ハンス!」
小型の箱馬車の前で、ナターシャが大きく手を振る。
片手を挙げて応じながら、ハンスは馬車に近付いた。
「ナターシャ、おはようさん。…これまた見事な装甲車だな」
「分かるかい?」
若干呆れを滲ませたハンスの言葉に、ナターシャがニヤリと笑う。
背後では、ラキス商会の従業員たちが荷物を積み込んだり馬具の確認をしたり、忙しなく動き回っている。
その中心に鎮座する馬車は、一見普通の小型馬車だが、客車部分の金属の枠組みは骨太で、車輪も一回り小さい代わりにガッシリしていた。
実は客車の底も側面も天板も、全て金属板だ。その上から薄い木の板を貼ってあるので、そうは見えないが。
「全体に特殊金属を使ってあるんで、矢は弾くしある程度の魔法も無効化する。ま、戦槌を叩き付けられたら流石に潰れるだろうがね」
「なんでまたこんなごっついモンを」
得意気なナターシャに対し、ハンスはひたすら呆れ顔だ。
ちなみにハンスがこれを『装甲車』だと認識したのは、客車が小型のわりに馬車自体が二頭立てになっている上に、待機している馬がどう見ても重量物の運搬に長けた半魔馬だったからだ。
半魔馬は馬の一種で、馬によく似た魔物が祖先だと言われている。体高は普通の馬より低く、全体的にがっしりした体つきで、一見ポニーを骨太にしたようにも見える。
が、その実かなり気性が荒く、瞬発力も持久力も普通の馬を遥かに上回る希少種だ。頭も良く、自分が認めた相手の指示にしか従わない。
それが、2頭。どう考えても普通の馬車ではない。
「半魔馬の複数頭立てとか、お貴族様の道楽じゃあるまいし」
調教済みの半魔馬は、普通の馬の20倍以上の値段になる。客車に使われている『特殊金属』といい、一体何を思って用意したのか。
ハンスが呻くと、ナターシャは肩を竦めた。
「ウチの所有物ってわけじゃないよ。ウチのお得意さんに、こういうのを専門に扱ってる商会があってね。宣伝がてら使ってくれって言われてるのさ。格安でレンタルさせてもらってるって感じかね」
「こういうのの専門商会…」
「ま、ここまで重装備なのはそうそうお目に掛かれないが」
「そりゃそうだろうよ」
戦争の最前線でもあるまいし、こんな馬車がそこら辺を行き交っていたらそれはそれで困る。
「──おはようございます!」
リンが通りの向こうから駆けて来た。ハンスとナターシャの前で止まり、息を整えながら頭を下げる。
「すみません、遅くなりました!」
「おはようさん。まだ集合時間前だ、気にすんな」
「おはよう、リン」
実際、約束した集合時間まではまだ余裕がある。ナターシャたちラキス商会の面々は馬車の用意があるため早めに動いていたし、ハンスは街の喧騒で起きてしまったから早く来ただけだ。
10日そこそこしか経っていないというのにすっかり村の夜の静けさに慣れ、街の中の生活音が気になるようになってしまったハンスである。
ちなみに、森生まれ森育ちのケットシーで人間よりはるかに耳がいいはずのモクレンは、完全に爆睡だった。宿のベッドの上で腹を上にし、口を半開きにして四肢を投げ出し──いわゆる『ヘソ天』ポーズで寝ているモクレンを見て、ハンスは目を疑った。
しかも、一日ではない。この街に来て宿を取ったその日から、毎日である。
夜寝る時は普通にベッドの端で丸まっていたはずなのに、朝起きるとモクレンはベッドのド真ん中でヘソ天ポーズで爆睡していて、ハンスはギリギリ落ちない位置で毛布をかき抱くように丸まっている。
ハンスとしては、何がどうしてそうなった、と突っ込まざるを得ない。
実際突っ込んだら、『え? 外ならともかく、家の中でヘソ天で寝るなんてフツーだろ?』と真顔で返され、ケットシーの常識が分からなくなったのだが。
「全員揃ったし、出発するかい?」
ナターシャに言われ、ハンスはリンに改めて目を向ける。
「リン、行けるか?」
「はい!」
リンが顔を引き締めて頷く。
そうしてナターシャの音頭で、皆が動き出した。
年嵩の男性従業員が御者台に上り、ナターシャとリンが客車に乗り込む。ハンスとモクレンは客車後方のデッキだ。
最初はハンスも客車に乗り込めと言われたのだが、見張りも必要だと理由を付けて遠慮した。本音を言うと、女性陣2人と缶詰めになるのは少々居心地が悪いのだ。
「じゃ、留守は頼んだよ」
「お任せください」
「お気を付けて、いってらっしゃいませ」
客車の窓からナターシャが若い従業員たちに声を掛ける。彼らは荷物の積み込みと見送りに来ていただけで、ユグドラの街で留守番だ。
…なお昨夜、ラキス商会では『誰が御者役として商会長に同行するか』で従業員たちが火花を散らし、結局、初めて行く場所だからと一番半魔馬の扱いに慣れた年嵩の男性従業員がナターシャに指名された。
残る2人の若手従業員たちからは大変なブーイングを受け、ナターシャは下エーギル村の特産品をお土産にすると約束していたりする。
「では、出発しますぞ」
半魔馬がゆっくり脚を踏み出し、馬車が滑らかに動き出す。
こうして、ハンスの慌ただしいユグドラの街への『おつかい』は一区切りついた。
道中一度だけ休憩を挟みつつ、馬車は順調に街道を進んだ。
何せ半魔馬が牽く馬車だ。先に出発していた下エーギル村行きの乗合馬車を平地の街道上であっさり追い越し、ものすごい速さで進む。
街道は石畳なので、普通は速度を出すと石畳の凹凸で振動が激しくなり、乗り心地が悪くなるのだが、この装甲馬車はそんなことはなかった。車輪に弾力のある特殊素材が巻かれていて細かな振動を吸収し、客車の下に備え付けられたバネがさらに上下動を緩和する。
「…この馬車、乗り心地が段違いだな」
『だろう?』
ハンスが呟くと、開けっ放しの伝声管からナターシャの声がする。
この馬車は、御者台と後方デッキだけでなく、客車の中とも伝声管が繋がっているのだ。
『これを味わうと、いくら安くても乗合馬車は使いたくなくなるんだよ』
《分かる》
モクレンが深々と頷いた。ハンスは渋面を作る。
「お前、行きの乗合馬車でもデッキで爆睡してたろ」
《寝てなきゃやってらんなかったんだよ》
モクレンも意外と苦労していたらしい。
──そうこうしているうちに、馬車は山道に入り、上り坂をグイグイと登って行く。
下エーギル村に自前の馬車で来る商人は少ないので、他に行き交う馬車の姿はない。街道沿いとその周辺はある程度切り拓かれていて見通しが良いが、両側にあるのは深い森だ。ハンスはそっと背中の剣を確認した。
この辺りからはエーギル山麓の原生林に入る。街道沿いとはいえ、魔物の領域だ。いつ魔物が出て来てもおかしくない。
その予想をなぞるように──
《おっ?》
モクレンがぴくっとヒゲを震わせ、右手の方を見遣った。ハンスも目を凝らすと、茂みの奥に特徴的なまだら模様の尻尾が見える。
「フォレストウルフか」
《だな》
頷き合い、ハンスは剣を抜く。この距離ならそれほど脅威ではないが、いつ飛び掛かって来ても対処できるように──と、思ったのだが。
『フォレストウルフなら、放っておいて大丈夫だよ』
ナターシャの自信満々な声がした。
どういうことかとハンスが眉根を寄せていると、
──ブルルルルッ!
半魔馬の声──と言うか鼻を鳴らす音が響いた途端、フォレストウルフは文字通り尻尾を巻いて逃げ出した。
「………は?」
《うっわ…》
『ウチの半魔馬の方が、圧倒的に格上なのさ』
剣を持ったまま呆然とするハンスの横、ナターシャの得意気な声が伝声管から響いた。




