42 移籍希望者、2人目
ハンスが半眼で指摘すると、ナターシャが咳払いして表情を改める。
「…ゴホン。まあとにかく、販路については任せとくれ。そのうち仕入れ先に気付いて横槍を入れて来る商会も現れるだろうが、ウチに話を回してくれれば私が対処するから──ああ、その辺の話は、取引価格の件と合わせてそっちの村長に話した方が良いかね」
「ああ、そうだな。オレは伝令役みたいなもんだ」
実際取引は村全体で行うことになるだろうから、村長のマークとの顔合わせは必須だ。
「──よし、なら明日、早速下エーギル村に行こうじゃないか」
ナターシャはパンと手を打った。
「ウチの馬車を出そう。ハンス、護衛依頼を出すから、受けてくれるかい?」
「ああ、もちろんだ」
ユグドラの街発の乗合馬車の護衛依頼は大抵ユグドラ支部に所属する冒険者が請け負うので、人手が足りている。帰りは普通に料金を払って乗合馬車を利用しようと考えていたハンスには渡りに船だ。
頷くハンスの隣で、リンが勢いよく手を挙げた。
「ナターシャさん、その依頼、私にも受けさせてください!」
「リン、こっちで仕事があるんじゃないのか?」
「大丈夫です」
リンはキリッとした顔で胸を張る。
「元々私、エーギル支部に移籍するためにここ数日で一通り仕事を片付けてたんです。そろそろ出発しようかなー、って思ってたので丁度いいです」
「…は!?」
ハンスはぽかんと口を開けた。
ハンスの認識では、リンは新人教育を請け負える貴重な人材である。自分が抜けた後、フォローしてくれるのはリンだろうと思っていた。
それが、自分と同じエーギル支部に移籍するという。理解が追い付かないのも無理はない。
ナターシャが苦笑した。
「ああ、そうだったね。ならハンスとリン、2人に依頼を出そう。よろしく頼むよ」
ナターシャはリンとそれなりに付き合いがあるので、リンの事情──というか色々とややこしい内心を知っている。エーギル支部に行きたいという話も、ついこの間聞いたばかりだ。
「任せてください!」
嬉しそうに請け合うリンに、ハンスは慌てて声を上げる。
「待て待て! お前までエーギル支部に来ちまったら、ユグドラ支部の新人教育はどうなる!?」
「それは私が考えることじゃなくて、ギルドの人たちが考えることだと思いますよ」
「む」
リンに真顔で返されて言葉に詰まる。言われてみればその通りだ。
リンは腰に手を当てて続けた。
「大体ハンスさん、色々責任背負いすぎてたんですよ。新人教育はギルドが設けた制度なのに、ただの冒険者のハンスさんが中心になって運営してるなんておかしいじゃないですか。職員が運営して、冒険者が手伝うって形ならまだ分かりますけど。昔は8割がた、ハンスさんが仕切ってましたよね?」
「うぐ」
ハンスはぐうの音も出ない。
頼まれたことはきっちりこなし、頼まれていなくても困っている仲間を放っておけないのがハンスである。
ユグドラ支部ではそれが災いして手を引くタイミングを逸し、新人教育の中心人物として延々と仕事し続けていた。ハンス自身がそれを苦にしていなかったのは不幸中の幸いだが、同じことを他の冒険者に要求するのは色々と間違っている。
リンに指摘されて、ハンスはようやくそれに気付いた。
ハンスが反論できずにいると、リンはハッと我に返る。
「…って、違う! ハンスさんを責めたいわけじゃなくて! その、ハンスさんすごく大変そうだったし、そんなに責任を感じなくていいんですよって言いたかったんです!」
「お、おう、そうか」
どうやらリンに心配されていたらしい。嬉しいやら情けないやらで、ハンスは苦笑する。
「心配してくれてありがとよ、リン」
「は、はい…」
リンが真っ赤になって頷いた。
その様子を黙って観察していたモクレンは、深刻な顔でナターシャを見遣る。
《なあ、この朴念仁、いつもこうなのか?》
「ああ。大体こんな感じだよ」
《無自覚か…重症だな…》
「全くだね」
一人と一匹がしかめっ面で頷き合う。当然、それがどういう意味なのかハンスには分からない。
「…?」
ハンスが胡乱な顔でモクレンとナターシャを交互に見ていると、首を横に振って何とか平常心に戻ったリンが、とにかく、と続けた。
「新人教育の件についてはもうギルド長に伝えてありますし、あっちで何とかするはずです。私は私が請け負った分の依頼はこなして、他の人に知ってる限りのことは伝えました。ハンスさんもそうやって移籍したんでしょう?」
「あー…、まあな」
ハンスは目を泳がせた。
ハンスが下エーギル村に帰ると決めた時、リンは護衛依頼で他の街に行っていて不在だった。だから、ハンスがどういう流れでユグドラの街を出て行ったのか、詳しいことを知らない。
(…あの日ギルドに居た連中にざっと挨拶しただけ、なんだよな…オレ…)
当時は可能な限り早く下エーギル村に行かなければと思っていたため、仕事の引継ぎが必要だという認識がなかった。丁度依頼を受けていないタイミングだったのもあり、その場で移籍の手続きをしたのだ。
つまり、ハンスは引継ぎなどまともにしていない。
──が。
実際のところ、ハンスは常日頃から新人研修を請け負う他の冒険者たちと情報を共有し、それぞれの教える基本の内容に違いがないよう気を配っていたため、引継ぎ自体が必要なかった。結果オーライというやつである。
「下宿先はもういつ出発しても良いようになってますし、ギルドに届けも出してありますから何も問題ありません。だから、私も一緒に行きます」
きっぱりと言い放って胸を張るリンに、これ以上の反論は無駄だとハンスは悟る。
それに考えてみれば、出発前にはエーギル支部のエリーから『護衛依頼とかを頼める、信頼のある冒険者をスカウトして来て欲しい』などという無茶振りもあったのだ。
リンならば実力も経験も申し分ないし、護衛の仕事も毎回評判が良いと聞いている。何より、本人がエーギル支部への移籍を強く希望している。これ以上の選択肢はない。
「…分かった。正直こっちも人材不足でな。魔物討伐以外の──護衛依頼なんかを安心して任せられるやつに来て欲しかったんだ。リンなら大歓迎だぜ、よろしく頼む」
「はいっ!」
ハンスが手を差し出すと、リンはぱあっと顔を輝かせて、その手をしっかりと握り返した。
──ちなみに。
その後ハンスたちが揃ってユグドラ支部へ出向き、明日出立する旨を伝え、ラキス商会の馬車の護衛依頼の発注・受注とリンの移籍手続きの確認その他諸々を済ませると、居合わせた面子は表向き笑顔で送り出してくれたのだが──
ハンスはユグドラ支部に戻って来たわけではなかったという事実を改めて思い知らされて涙を呑むギルド職員と冒険者が数名。
明日からの新人教育に思いを馳せて遠い目になるベテラン冒険者が数名。
リンが本当に居なくなると知ってヤケ酒の準備を始める若手冒険者と職員多数。
ユグドラ支部関係者の実に半数以上に精神的ショックを与えた一行は、そんなこととはつゆ知らず、軽い足取りでユグドラ支部を後にしたのだった。
「…よし、移籍祝いだ! 今日の夕飯はオレがおごってやる」
「え、良いんですか!?」
「おう。任せとけ」
《やった! じゃあ、アタシ噂の『銀の星屑亭』に行ってみたいですー!》
「おい誰の真似だそれ」
《え? 聞けば分かるだろ?》
「リンだったら全然似てないぞ。あとしれっと高級店を指定するな」
《えー良いじゃんかよー。お祝いだぞ? もう来ないかも知れないんだぞ? ちょっとくらい贅沢しようぜー》
「……それもそうだな。よし、なら今日入れるか聞いてみるか」
「えっ!? そそそそそんな。急に言われても」
「…何でそんな動揺してんだよ」
「だってあそこ…えっと、ドレスコードとかあったりしません? あと、ケットシーって入れますかね…?」
「…あっ」
《あっ》
「だから、その、広場の屋台の食べ歩きしましょ! 今の季節にしかない食べ物もいっぱいありますし!」
「お、おう」
なお──銀の星屑亭は、商会や裕福層が会食や接待で使う店として有名だが、庶民の間では、恋人同士、あるいは夫婦で特別な日に食事をしたい、憧れの店でもある。
特に、プロポーズの時に利用したい店として名を馳せているのだが──
当然、ハンスが知るわけもなかった。




