41 引き合い
ラキス商会の応接室は、ハンスの予想に反して落ち着いた内装だった。
毛足の短い絨毯の床に、布張りのソファ。ローテーブルは濃い飴色の木製で艶がある。
商品見本らしき物が収められた棚はローテーブルと同じ素材で、前面だけがガラス張り。
ぐるりと張り巡らされた腰壁が一段明るい色の木材だからか、家具に重厚感があっても雰囲気は重くなりすぎない。
壁紙はシンプルで、天井付近にいくつか配置された魔法道具のランプの装飾が際立っていた。
「うわあ…」
ハンスが入り口付近で立ち尽くしていると、後から入って来たリンが目を輝かせて室内を見渡した。
「すごい、素敵」
「ありがとうよ」
ナターシャが笑う。
そのまま全員ソファーに座ると、従業員の一人が持って来てくれた紅茶で一息つく。モクレンにはヤギミルクだ。
ちなみにその従業員は物言いたげな──有り体に言えば『自分も参加したい』というニュアンスの視線をナターシャに向けていたが、ナターシャはさっさと退出させていた。話に参加する人数は絞っておきたいらしい。
ならばリンは良いのかという話だが、それはそれ。
「さて──」
ティーカップを置き、ナターシャがハンスに視線を向ける。
「早速本題だ。ハンス、あの野菜だが──」
「だが?」
ナターシャは何故か言い淀んだ。ハンスが眉を寄せると、若干視線を泳がせ、
「…実は、既に引き合いがあってね」
「引き合……?」
「…………は?」
リンとハンスがぽかんと口を開ける。ナターシャはサッと視線を明後日の方に逸らし、
「『銀の星屑亭』が、是非とも下エーギル村の野菜を使ったメニューを作りたいそうだ」
「いや待て、昨日の今日で何でそうなる!?」
ハンスが野菜の買取りをナターシャに持ち掛けたのは昨日の夕方…と言うかほぼ『夜』と言って差し支えないくらいの時間だ。そして今はその翌日の昼過ぎ。見た目重視の宝飾品や美術品ならともかく、野菜の買い手が半日そこそこで見付かるとは思えない。
が。
「あー、実は昨日、今回の野菜の件を銀の星屑亭の店主に雑談の一つとして話したら、自分も味見に参加したいと言い出してね…折角だから今朝、例の野菜を持ち込んで調理してもらったんだよ」
それをナターシャとラキス商会の従業員、そして銀の星屑亭の店主とシェフで試食した結果、その場でシェフと店主が『この野菜を仕入れたい』と言い出し、ラキス商会の従業員たちが全力で乗っかり、全員興奮状態の大変な騒ぎになった。
「…なんだそりゃ」
ハンスが顔を引き攣らせていると、ナターシャはテーブルの上に二つの皿を出した。
それぞれ油紙が敷かれていて、その上には指の太さほどの棒状に切ったじゃがいもの素揚げが盛られている。塩が振られた、いわゆる『揚げイモ』だ。飲み屋ではお馴染みのつまみ、子どもに人気のおやつでもある。
「こっちが銀の星屑亭で出してる普通の揚げイモ、こっちが下エーギル村のじゃがいもで作った揚げイモだ。調理したのは銀の星屑亭のシェフ、揚げ油の種類も塩の種類も塩加減も全く同じで作ってもらった」
それぞれの皿を示し、ナターシャが説明する。ハンスは片眉を上げた。
「あの店で、こんな庶民的なメニューを出すのか?」
大衆食堂のような名前だが、銀の星屑亭は大商会の会合などにも使われる高級レストランだ。
ランチタイムはものすごく頑張れば庶民でも手が届く、くらいの値段で食事を提供しているが、ディナータイムは桁が一つ上がる。
ちなみにハンスはナターシャの招待で一度だけディナーのコースメニューを食べたことがあるが、緊張しすぎてどんな味だったか全く覚えていない。内装も食器も料理もお洒落かつ高級感溢れる雰囲気で、少なくとも揚げイモは出て来なかった記憶があるが。
ハンスの疑問に、ナターシャが肩を竦める。
「お客の要望があれば出すさ。それにシェフ曰く、これが一番分かりやすいらしくてね」
「分かりやすい…?」
「食べてみれば分かるよ」
ほら、と皿を前に出され、ハンスは下エーギル村の、リンは普通の揚げイモをつまんで口に入れた。
「…まあ、いつもの味だな」
「こっちもです」
「ハンス、あんた……ああいや、あんたにとっちゃそっちが『普通』だったね…」
ナターシャが眉間にしわを寄せ、サッと皿を入れ替える。
「はい、じゃあ逆。食べてみな」
「…?」
「は、はい」
言われるままに食べた途端、ハンスはんぐっと息を詰まらせた。
まず来たのは岩塩のしょっぱさ。それはいい。が、イモ本体を咀嚼した瞬間、口いっぱいに独特の臭気が広がった。
噛めば噛むほど出て来る謎の青臭さと土臭さ、舌に残るざらつき。そして、飲み込んだ後に残る妙にねっとりとした感触と油臭さ──
「……」
無言で口を押さえるハンスに、ナターシャが黙って紅茶のおかわりを差し出した。
一方リンは、
「なにこれ美味しい…!!」
目を見開き、顔を輝かせて下エーギル村のじゃがいもを2本、3本とつまみだす。ハンスも紅茶を飲み干して、そちらに手を出した。
「…」
口に入れた瞬間に広がるのは揚げ物独特の香ばしさと塩気、続いてサクッとした触感、咀嚼するとじゃがいも本体のほのかな甘みと滑らかな舌触りが続き、時折やって来る皮の香ばしさが良いアクセントになる。
飲み込んだ後はほんのりと甘い味が残り、塩気を求めて次の1本に手が伸びる。
食べ比べて分かった。もはや別の食べ物だ。
ハンスがこの街に来た当初『野菜スープの味が違う』と思ったのは、気のせいでもなんでもなかった。そもそも野菜自体の味が違うのだ。
「……納得した」
ひとしきり味を確認して、ハンスは合点のいった表情で呻いた。
リンも紅茶を飲んでから深く頷き、眉間にしわを寄せる。
「…でもこれ、別の意味でまずくないですか? このじゃがいも食べたら、普通の揚げイモは食べられなくなっちゃいますよ」
ローテーブルの上、下エーギル村のじゃがいもで作った揚げイモだけが見事になくなっている。
ハンスは途中、ユグドラの街の『普通』のじゃがいもの方も何本かつまんだが、リンは最初の1本以降、全く手を付けなかった。それほど味に違いがあるのだ。
ナターシャも悩ましい顔で頷く。
「問題はそこさ。──ちなみに他の野菜も似たようなもんでね。下手に庶民向けの市場に流すと、確実に需要と供給のバランスが崩れる」
「…何年か前までは、たまにこの街の『市』で直接売ってたらしいんだが」
アーネストが買い取るようになるまでは、下エーギル村の住民がユグドラの街に来て野菜を売ることがあった。
ちなみに、ハンスは村人と顔を合わせるのが気まずくて市には近寄らないようにしていたので、その場面を直接見たことはない──閑話休題。
ハンスの言葉に、ナターシャはああ、と片眉を上げた。
「噂には聞いたことがあるね。ごくまれに、やたら美味い野菜を馬鹿みたいな値段で売る店が市に来てたって。それかい」
「…馬鹿みたいな値段で売る店…」
「まあ市みたいな、どこの誰が売ってるモンかきちんと認識しにくい場所ならそれほど影響はないさ。──それを『商会が』扱うってのが問題なんだ」
ナターシャが真剣な顔になった。
「ハンス、あんたの村じゃ、野菜の増産の予定はないんだろう?」
「ああ。あくまでも『村で必要な分を作って、余った分を売る』って感じだからな」
下エーギル村は基本、自給自足。野菜も羊毛も家畜も、出荷するためではなく村の中で自家消費するために生産している。
これは下エーギル村に限った話ではなく、大都市から距離がある村落では当たり前のことだ。
「なら、この野菜は庶民向けの市場じゃなくて、飲食店──それもお貴族様や裕福層御用達の高級店に流すよ。その方が混乱も少ないし、需要も一定量に留まるからね。何より──」
にやり、ナターシャが黒い笑みを浮かべた。
「値段を吊り上げられる」
「オイ、顔」




