40 サバサンドと朴念仁
はいはい黙る黙る、とか何とか言いながら、モクレンがリンの顔を見上げた。
《俺はケットシーのモクレン。よろしくな》
「あ、私は冒険者のリン。よろしく」
挨拶を交わした後、モクレンがリンの腕の匂いを嗅ぐ。
《…にしてもお前、なんかいい匂いするな。焼き魚か?》
「ああ、朝ご飯にサバサンド食べて来たから、そのせいかも」
《サバサンド!》
モクレンの尻尾がピンと立った。キラキラしたブルーの目がハンスを見上げる。
「もう朝メシ食っただろ」
《まだ何も言ってないだろー!》
ハンスが機先を制すると、モクレンが瞳孔を全開にして叫んだ。
サバサンド食べたい、と呪いのように呟くケットシーに、ハンスは溜息をつく。
「…昼メシにな」
《…!! 約束だかんな!》
モクレンがパァッと顔を輝かせるのを見て、リンが苦笑した。
「じゃあ、ケットシー用のご飯も提供してるサンドイッチ屋さんを紹介してあげるわ。頼めばケットシー向けのサバサンドも作ってくれるはずよ」
途端、モクレンは全力でリンの腕に頭を擦り付けた。
《話が分かるニンゲンは好きだぜ!》
「…現金なヤツだな」
テンションの高いモクレンを見下ろし、ハンスが半眼で呟く。リンは終始楽しそうだ。
「そういや、アーネストのやつがこっちの支部にあることないこと吹き込もうとしたのを止めてくれたんだってな。ありがとよ」
「い、いえそんな! ハンスさんがそんなことするはずないって、みんな分かってましたから!」
シエナから聞いた一件についてハンスが礼を述べると、リンは分かりやすく照れた。わたわたと首を振った後、そうだ、と表情を改める。
「あの後調べたんですけど、あいつ商人たちの間じゃ相当な鼻つまみ者だったらしいですよ。誰に対しても偉そうだし、買い叩いたり吹っ掛けたりも日常茶飯事だったらしくて、今じゃ街の商人たちに総スカン喰らってるそうです。誰も困らないみたいですし、潰します?」
「オイ待て真顔で物騒なこと言うのやめろ。ナターシャかお前は」
この場合の『潰す』は物理的な意味で間違いない。
ハンスが止めると、リンは頬を膨らませた。
「なんで止めるんですか。あと私、ナターシャさんほど物騒じゃないですよ」
「お前ナターシャと違ってその場のノリと勢いで突っ走るタイプだろうが。場合によっちゃお前の方が怖いわ」
ナターシャは商人らしく、状況を見極めてあらゆる根回しを済ませてから動く。
一方リンは、瞬間的に判断して瞬間的に動く。大体の解決法は物理である。それが出来てしまう実力を持っているあたり、非常に性質が悪い。
そんなリンの逆鱗は『ハンスを侮辱すること』。その一方で、リンの暴走を止められるのもまたハンスである。極め付けの朴念仁と評判のハンスだが、一応その自覚はあった。
「むう…」
「ンな不満そうな顔すんな。アーネストに関してはギルドとナターシャが対応してくれるから、放っときゃいい」
むくれるリンの頭を、新人の頃と同じようにポンポンと叩く。途端にリンが赤くなった。
「こ、子ども扱いしないでください!」
「おう、スマン」
サッと手を退けたハンスは、肩を竦めて応じる。
「ところで、そんな大人のリンに頼みがあるんだがな。火の魔石と水の魔石、それから氷砂糖と塩を大量購入したいんで、良い店を紹介してくれ」
「大量購入、ですか?」
「おう。村の連中から頼まれた分、まとめて買いたくてな」
「──じゃあハンスさんの馴染みの店じゃダメですね。魔石も必要ってなると…」
リンはすぐに真面目な顔で考え始めた。
それを見て、ハンスはこっそり胸を撫で下ろす。どうやら、リンの意識を逸らすのに成功したようだ。
一連のやり取りをジーッと見ていたモクレンは、リンの腕の中でぼそりと呟いた。
《…両方拗らせてんなー…》
その後ハンスはリンの紹介してくれた店で魔石と塩と砂糖を購入し、モクレンとの約束のサンドイッチで昼食を済ませる。
《サバ、うま! チキンも最高!!》
「ちゃんと嚙んで食え」
「すみませんハンスさん、奢って貰っちゃって…」
「なに、良い買い物が出来た礼だ。気にすんな。…にしてもリン、こんな裏通りの店、よく知ってたな」
「わりと最近出来たんですよ。ハンスさんが好きそうな味だったし、紹介しようって思ってたんです」
「お前目敏いなあ…。うん、確かに美味い」
《…それ以外に感想はないのかよ。鈍いにも程がある…》
「なんか言ったかモクレン?」
《べっつにー》
モクレンが心底呆れた顔でサバを咀嚼していた理由は、ハンスには分からなかったが。
食後、ナターシャの商会へ行くとハンスが告げると、リンもついて来た。
曰く、『アーネスト絡みなら私も無関係じゃないです』とのことだが…単にハンスと一緒に居たいだけなのは明白である。
ナターシャが商会長を務める『ラキス商会』は、大通りから一本入った、落ち着いた雰囲気の路地に事務所を構えている。常駐している従業員は3、4名ほどなので、それほど建物は大きくない。
が。
「ちわっす。ナターシャは」
「ああっ! ハンスさんいらっしゃい!!」
「来たな小僧っ子!」
「会長ー! 商ー会ー長ー!! ハンスさん来ましたよー!!」
ハンスがドアを開けた途端、中はバーゲンセールで賑わう大店もかくやという騒ぎになった。
《な、なんだ? 敵襲か!?》
ハンスの肩の上で、モクレンが耳を伏せて身構える。尻尾がブワっと膨らみ、背中の毛まで逆立っていた。ケットシーの警戒あるいは威嚇のポーズである。
「大丈夫。通常営業よ」
リンは慣れた様子で両耳を塞ぎ、半眼で呟いた。
その言葉通り、ラキス商会の事務所ではこれくらいのテンションで会話するのが普通だ。商売にかけては従業員全員暑苦しい──もとい、情熱的なのである。
モクレンがさらにぺったりと耳を伏せた。
《マジかよ。俺、無理。無理無理》
「なら外で待ってろ」
《それもヤだ! 仲間外れにする気だろ!?》
ハンスとしては親切心のつもりだったが、モクレンは涙目になりながらハンスの肩に爪を立てた。
ハンスが『痛っ!?』と叫んだところで、パンパン、と手を叩く音が響く。
「みんな、そんな大声出すんじゃないよ。今日のお客にはケットシーが居るって言ったろ?」
「おお…これは失礼した」
年嵩の従業員がゴホンと咳払いして声のトーンを落とした。他の面々もハッと我に返り、居住まいを正す。
落ち着いたいかにも『デキる』従業員を装ったところで、先程までのヤバいテンションがなかったことになるわけではないが。
奥から出て来たナターシャは部下たちの様子を見て苦笑し、ハンスたちに視線を移した。
「よく来たねハンス、モクレン。あと、リン」
「おう、邪魔するぜ」
《よっ!》
「急にすみません。お邪魔します、ナターシャさん」
三者三様の挨拶に笑顔を返し、ナターシャはサッと右手で奥の部屋を示した。
「ここじゃなんだ。奥の部屋で、じっくり話をしようじゃないか」
途端、従業員の中でも若い2人が目を見開く。
「えっ、ずるいですよ商会長!」
「俺たちも話に混ぜて欲しいっす!」
『奥の部屋』は、ナターシャが重要な商談や会議に使う特別な応接室だ。基本的に、そこで交わされる話に一般従業員は参加できない。
若手のブーイングに、ナターシャは呆れ混じりの顔で手を振った。
「まだ未確定の話だよ。後で詳しく話したげるから、ほら、散った散った」




