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4 上エーギル村


 翌朝、ハンスは朝早くに家を出て、山を登っていた。


 ハンスの故郷は、霊峰エーギル山の中腹、山間部のやや拓けた土地に広がる、下エーギル村。

 『下』と名前が付くからには当然、『上』と付く村もある。


 下エーギル村からエーギル山を登ること、1時間ほど。

 斜面がほんの少し緩やかな場所にギュッと寄り集まって暮らすのが、ヤギや羊を飼育する牧畜の村、上エーギル村──だった。20年前の時点では。


「……本当に、様変わりしたな……」


 上エーギル村に到着すると、ハンスは何度目か分からない感嘆の溜息をつく。


 下エーギル村から上エーギル村へ向かう道は、20年前と同じルートだった。

 ただし、同じだったのはルートだけ。


 剥き出しの地面と岩と倒木だらけで枯れ沢と何が違うか分からないレベルだった登山道は、道幅が広がり、腐りにくい黒松の丸太を使った土留めが階段状に配置され、抜群に歩きやすくなっていた。

 さらに要所に看板やちょっとした休憩所もある親切設計。

 観光地にある、初心者向けの散策路や登山道のようだ。


 実際、すれ違ったり追い越したりする人々の中には、明らかに山歩きに慣れていなさそうな、上品な身なりの者も居た。


 ──そう、()()()()()()のだ。

 登山中、見える範囲に人っ子一人居ないのが普通だった20年前からは考えられない状況である。


 それにはもちろん、理由がある。


「……魔石の村、か」


 入口に掲げられた看板の字を読み上げ、ハンスは何とも言えない顔になった。


 その横を、商人が足早に通り過ぎて行く。その表情は、山道が終わった安堵と目的地に辿り着いた達成感と、期待に輝いていた。


 ──10年前、上エーギル村近郊で水の魔石の大鉱脈が発見された。


 魔石とは地下を巡る魔素が何らかのきっかけで結晶化したもので、魔法道具の素材や動力源として使われる。

 エーギル山周辺は水の魔素濃度が高く、どこかに魔石の鉱脈があるだろうとは昔から言われていた。

 それが10年前、王立研究院──国の擁する魔法関係の研究機関による詳細な調査により、とうとう発見されたのだ。


 直後から大規模な鉱山開発が始まり、上エーギル村は厳しくものどかな牧畜の村から、活気ある鉱山の村へと様変わりした。

 登山道が整備されたのも、冒険者ギルドの支部が置かれたのも、その恩恵に与かった結果だ。

 人口も増え、今では下エーギル村より規模が大きくなっている。


(……良いこと、なんだろうけどなあ……)


 そこに一抹の寂しさを覚えるのは、ハンスが歳を食った証拠だろう。


 ハンスは頭を振って物思いを中断し、上エーギル村へ足を踏み入れた。


 石造りの建物が多いのは、このあたりの標高はすでに森林限界を超え、周囲にまともな木材が採れるような森が存在しないからだ。

 それでも、真新しい建物には所々木材が使われている。恐らく下エーギル村か、麓のユグドラの街から買い付けたのだろう。


 見覚えのある建物は記憶にあるのよりくたびれていて、村の中を我が物顔で闊歩していた羊やヤギも、今は全く見掛けない。

 そのギャップは下エーギル村より明確だ。そもそも家畜の臭いがしない。


 戸惑いながら歩を進めると、程なく『冒険者ギルドエーギル支部』の看板が掛かった建物を見付け、ハンスはおっかなびっくり扉を開けた。


「いらっしゃいませ!」


 朗らかな声が響く。


 受付に立っていたのは、ハンスと同年代くらいの女性だった。

 ふんわりした若草色の髪にスミレ色の瞳。快活な雰囲気は、どこか見覚えがある──ハンスが首を捻っていると、女性がぱあっと顔を輝かせた。


「ハンス! やっと来たのね!」


 その親しげな声のトーンで、ハンスはようやく気付いた。


「エリー!」


 上エーギル村の幼馴染の、エリー。下エーギル村の学舎でハンスと机を並べた同級生だ。

 昔はトカゲを捕まえてハンスの背中に突っ込んだり、ハンスやジョンが登るのを諦めたリンゴの木に余裕で登ったりと、なかなかアグレッシブな少女だった。


 目の輝きには当時の面影があるが、右側の低い位置で髪を縛って肩から前に垂らしたスタイルといい、ギルド職員の制服を着こなす姿といい、いかにもベテランといった雰囲気である。


 受付に歩み寄りながら、ハンスは喉まで出掛かった『老けたな』という軽口をギリギリで押し留めた。

 その手の台詞は、たとえ親しい間柄であっても口にしない方が良いこともある。この20年の経験で、ハンスはそれなりに学んでいた。


 ──それなりに、ではあるが。


「久しぶりだな、エリー。まさかギルドに就職してたとは…」


 ハンスがそう言った途端、エリーの笑顔がドスの利いたものに変わる。


「8年前、ちゃーんと『冒険者ギルドに就職した』って手紙で伝えたハズだけど?」

「うっ」


 言われてハンスは思い出す。


 そういえば確かに一度だけ、手紙を貰ったことがあった。

 その時はその内容よりも、誰にも正確な居場所を伝えていなかったのにピンポイントで下宿先に手紙が届けられたことの方が衝撃的で、返事を出すことすら思い付かなかったのだが。


「…って言うかお前、なんでオレの住所知ってたんだよ!?」

「ギルドで調べたに決まってるでしょ。冒険者になったってのはスージーおばさんから聞いてたし」

「マジかよ……」


 胸を張るエリーに、ハンスは顔を引き攣らせた。


 冒険者は、所属する支部に自分の住所や下宿先を申告する義務がある。だがハンスは、その情報が他支部にも共有されているとは知らなかった。

 …実のところ、冒険者登録を行った時、ハンスもきちんと説明を受けていたのだが…ノリと勢いで家出してそのまま冒険者になった反抗期真っ只中の少年が、小難しい説明を覚えているはずもなかった。


「──ま、アンタの気持ちも分からなくもないし、いきなり家を出て行ったことと手紙の返事を寄越さなかったことは水に流してあげるわ」


 エリーは訳知り顔で頷いた。



「ジェニファーに告白する前にフラれてたんじゃ、そりゃあ今まで通りには暮らせないし、意地も張りたくなるわよね」


「なんっ……!?」



 青天の霹靂。


 少年時代の家出の核心を突然突かれて、ハンスは思わず剥いた。


 ──そう。『農家なんて継ぎたくない』というのは言わば建前。

 実際のところこの男、7歳上の幼馴染、下エーギル村一番の美人と評判だった初恋の人、ジェニファーの結婚が決まったショックで村を飛び出したのである。


 卒業式が終わって告白しようと意気込んでいたその矢先、それはそれは幸せそうな笑顔を浮かべた初恋の人に『結婚式の日取りが決まった。友人として是非出席して欲しい』と言われた思春期少年のショックたるや。

 咄嗟に『学舎も卒業したし、村を出て冒険者になるから結婚式には出られない』と口にしたのは、ハンス少年のなけなしのプライドだった。


 それを有言実行してしまうあたりが、若さというやつだろう。

 …向こう見ずとも言うが。


「な、なななななななんで」


 そんな遥か過去の他人に知られてはならない黒歴史を真っ正面から突き付けられ、ハンスは思い切り狼狽える。

 エリーがブハッと噴き出した。


「今更なーに動揺してんのよ! あんたが失恋して家出したことなんて、みんな知ってるに決まってるじゃない!」

「は!? みんな!?」

「あ、みんなじゃなかったわ。ジェニファー夫妻以外の当時下エーギル村と上エーギル村に住んでた人たちみんな。ジェニファーには知られてないわよ、良かったわね!」

「どこがだ!!」


 それはつまり、ハンスの両親も知っているということである。


 突如として始まった羞恥プレイに、ハンスは真っ赤になった後、一気に真っ青になる。

 そんな様子を全く気にせず、エリーは涼しい顔で書類を差し出した。


「ハイハイ、アンタの黒歴史なんて今更誰も気にしちゃいないわよ。さっさと転属手続きの書類、書いてちょうだい」

「…………街に帰りたい……」

「もう向こうの支部で転出手続きしちゃってるでしょ。制度上無理だから。それに『実家の農業を継ぐ』って宣言して向こうを出て来たんでしょ? 何にもやらないうちに出戻りって、どんな恥の上塗りよ」

「…お前本っ当に変わってないな!」

「ふふん。褒めても何も出ないわよ」


 そんな不毛なやり取りをしつつ書類手続きを済ませ、ハンスは足取り重くギルドを出て行った。



 ハンスの背中を見送り、エリーは懐かしそうに微笑む。


「…ホント、変わってないんだから」


 スミレ色の目にうっすら浮かぶ、切なげな色。

 だがそれは、エリーがトントンと書類を揃える間に、幻のように消えた。


 エリーにはもう、最愛の夫と最愛の子どもたちが居る。


 初恋は成就しないもの──そんな言葉を脳裏で呟き、エリーはいつもの仕事に戻った。








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