36 ナターシャ
その後、何とか気を取り直したハンスたちは、各々ソファに腰掛けた。
ジークヴァルドとシエナ、そしてナターシャが律儀にモクレンと自己紹介を交わし、本題に入る。
「あー、まずはハンス。ヤドリギモドキの種を発見してくれたこと、礼を言う」
口火を切ったのはジークヴァルドだ。なんの、とハンスは肩を竦める。
「あれくらい、オレが言わなくても誰かが気付いていたでしょうよ」
「…そうでもねぇんだがな…」
「?」
ぼそり、苦笑混じりのジークヴァルドの言葉は、ハンスの耳には届かない。
実はハンスは、他の冒険者と比べて異常に視野が広く、目敏い。全体を俯瞰しながら、視界の片隅に映ったちょっとした違和感を見逃さない。
先程のヤドリギモドキの種がいい例だ。『薄汚れた黒いマントの上に付着した濃い紫と赤のまだら模様の米粒』を数メートル離れた場所から発見するなど、普通は不可能である。
ハンスはろくに自覚していないが、それは冒険者にとってとても得難い資質だった。
違和感に気付ければ魔物の存在を逸早く察知することができ、生存率が格段に上がるし、トラブルを未然に防ぐことが出来る。ハンスが護衛を請け負うと魔物や野盗に遭遇する頻度が異様に低くなるのは、そのあたりに理由があった。
ただし、それを正しく認識し評価している者はそれほど多くない。『未然に防いだ』ことは表沙汰にならないわけで、冒険者の実績としてカウントされないからだ。
この場に居るのは、それをきちんと理解している者ばかりだった。きょとんとするハンスに苦笑して、ジークヴァルドとシエナとナターシャが思わせぶりな表情で視線を交わし、頷き合う。
「私も助かったよ。あのままだったらあの連中、石を盗んだことも認めなかっただろうし、話が拗れまくってただろうからね。相変わらず誘導が上手いじゃないか、ハンス」
その後ハンスに顔を戻し、ナターシャがスッキリした顔で笑った。ハンスは肩を竦めて応じる。
「あんたには負けるさ。それに、商品が見付かったのは偶然みたいなもんだしな」
ナターシャはこのユグドラの街に拠点を置く商人の一人で、多くの従業員を抱える商会の長だ。知り合ったのは20年前、ハンスがこの街に来てすぐの頃である。
武器の良し悪しが分からないハンスが露店で粗悪品の長剣を買わされそうになっていたところを、ナターシャが止めた。
曰く、『一目で田舎者と分かる少年が騙されるのを見過ごすのは気分が悪かった』そうだ。
当時、ナターシャは25歳。商人としてある程度経験を積んで商会を立ち上げ、何人か従業員も雇い、名を上げ始めたところだった。
反抗期真っ盛りで斜に構えつつもなんだかんだ素直なハンス少年は、ナターシャにとってからかい甲斐のある──もとい、教え甲斐のある未来の取引相手だったわけだ。
ナターシャはハンスに信頼できる武器屋を紹介し、悪質な商人の見分け方を教えた。つまり正真正銘、ハンスの恩人である。
その後ハンスが冒険者として経験を積み、護衛依頼を請け負うようになると、今度はナターシャがハンスに助けられる場面が増えた。
冒険者と商人、適度に距離を保ちつつも信頼し合う、理想的な関係を築いていたのだ。
…故にハンスが故郷に帰ると知らされた時、ナターシャの商会には激震が走った。商会関係者が街の外に出る際は、ハンスかその教え子に護衛を頼むのが定番だったからだ。
その時右往左往する従業員たちを一喝したのは当然ナターシャだが──実際にはその知らせに一番ショックを受けていたのは、彼女である。
誰の前でも毅然とした態度を崩さないので、周囲の者は知る由もないが。
「──しっかし連中は、一体どこであんなモン付けて来やがったんだ?」
ハンスが首を傾げると、ナターシャが渋面で腕組みした。
「多分、今日の昼頃に休憩した場所だね。連中の案内で、街道から少し離れた水場に立ち寄ったんだ。林がすぐ近くにあって、その木の上にヤドリギが見えたんで、私と部下はそっちに近寄らないようにしてたんだが」
『ヤドリギの下には近付くな』がこの地域の合言葉である。
ヤドリギモドキは、成熟して木の上に移動すると、遠目には本物のヤドリギと見分けがつかなくなるのだ。
ナターシャはユグドラの街出身だからヤドリギモドキのことをよく知っているし、従業員にも安全確保を徹底させている。彼ら自身は、ヤドリギらしきものには近付かなかった。
だが冒険者3人は、もっと北の、ヤドリギモドキにあまり馴染みのない地方の出身だった。一応知識としては知っていても、危機意識が薄かったのだろう。
もしくは目先の利益に目が眩んで、状況確認を怠ったか。
「十中八九、そこだろうな。その場所の位置情報は…」
「ああ、身体検査を受けた時にこっちの職員に教えてあるよ」
「助かる」
ジークヴァルドが頭を下げた。
ヤドリギモドキは、一度木に登るとそこから移動することはまずない。ギルドとしては生息場所を確認し、見守る必要がある。
というのは、
「…いっそヤドリギもヤドリギモドキも根絶やしに出来れば良いんだけどねえ…」
溜息混じりのナターシャの言葉に、ジークヴァルドが苦笑した。
「それが出来れば世話はねぇよ。どっちも、錬金術師にとっちゃ重要素材だからな」
それが、ヤドリギモドキの危険性を知りつつ積極的に討伐出来ない最大の理由だ。
樹齢30年を超えるヤドリギは錬金術で使う道具の材料になり、成熟したヤドリギモドキは錬金術に欠かせない高品質な触媒の素材になる。どちらかを殲滅したら、錬金術師が絶滅すると言われている。
加えて、ヤドリギモドキは魔物なので、魔素から直接発生するケースもある。そもそも根絶やしにしようと思っても出来るものではない。
繁殖力が強くないのが不幸中の幸いである。
「──で、だ。ハンス。知らせておきたいことってのは何だ?」
「ああ──そうだ、ついでだからナターシャにも見て欲しいんだが」
「うん?」
ジークヴァルドに促されて、ハンスは自分のウエストポーチ型圧縮バッグからワイルドベアの素材を取り出し、テーブルに広げた。ジークヴァルドたちの表情が変わる。
「こいつは…」
「ワイルドベアの毛皮と角と爪牙、1頭分だ」
この場の面子なら間違えることもないが、ハンスは敢えて説明する。
「ウチの村──下エーギル村の近くで遭遇した」
「倒したのか? エーギル支部の連中だけじゃあ厳しいはずだが」
「あー…」
エーギル支部の連中どころか冒険者ですらない、ジジイに片足突っ込んだオッサンが瞬殺した──というのはひとまず置いておく。
「──まあそこは後で説明する。…で、これの買取り額がいくらになるか、査定して欲しいんだが…」
「シエナ」
「はい、お任せください」
ジークヴァルドの指示で、すぐにシエナが毛皮を手に取った。ハンスはナターシャにも視線を向ける。
「ナターシャ、商人としての目利きも頼みたいんだが、良いか?」
「なんだい、ギルドに売るわけじゃないのかい?」
「ちっと確認したいことがあってな。今の需要を踏まえて、商人が扱う商品としての仕入れ額を教えて欲しい。ざっくりでいいから」
「ふん…?」
首を傾げつつ、ナターシャが角を手に取り、慣れた手つきで転がし始める。
そのまま、シエナとナターシャが全ての素材を代わる代わる鑑定し──
「結果が出ました」
「こっちもだ」
2人はほぼ同時に言うと、紙に金額を走り書きした。
「ギルドとしては、毛皮が金貨1枚と銀貨8枚。角が金貨1枚。爪と牙が合計で金貨1枚と銀貨2枚。しめて金貨4枚です」
「ウチの商会だと、毛皮が金貨2枚、角が金貨1枚、爪牙が計金貨1枚と銀貨5枚。合計金貨4枚と銀貨5枚だ」
その価格は、おおよそハンスの予想通り。ギルドに売るより商人に直接売った方が高くなるのも想定の範囲内だ。
「この季節だし毛皮が高くなるのは分かるが、角と爪と牙も高くなるのか」
ハンスが呟くと、ナターシャが頷いた。
「最近は状態の良い素材が手に入りにくくてね。錬金術師からの引き合いが多いんだよ」
「なるほど」
元々ワイルドベアは個体数が少ないが常に需要があり、価値が変動しやすい。
鑑定の間中、手の中で転がされる素材や広げられる毛皮に飛びつきたそうにウズウズしていたモクレンが、すげーな、と目を瞬いた。
《街だとそんなに高く売れんのか》
 




