35 ユグドラ支部の応接室
「ハンスさん、お待たせしました! 報酬をお渡しします」
「おう、ありがとよ」
シエナから報酬を受け取り、さて、とハンスは思考を切り替える。
今回街に来た目的は、下エーギル村まで買取りに来てくれる真っ当な商人を探すこと。ついでに、このユグドラ支部にアーネストの情報を伝える必要もある。
商人に関しては、今まさにすぐ近くに適任者が居るのだが──などとハンスが考えているのをよそに、ナターシャに向けてひたすら頭を下げていた職員が、改めて姿勢を正す。
「それでその…ナターシャ様。大変申し上げにくいのですが、ギルドの規定上、あの3人と接触のあった方は全員、検査対象でして。ヤドリギモドキの種が付着していないかどうか、確認させていただいても…?」
「ああ、勿論だ。ついでにウチの従業員と、移動に使ってた馬車の検査も頼んで良いかい?」
「勿論です。当支部から、至急職員を派遣いたします」
「よろしく頼むよ」
ナターシャは頷き、ハンスをちらりと見遣って奥の部屋へと入って行く。
(あー…そりゃそうか)
まずは状況確認と安全確保が最優先だ。
商人を探すのは後にするか、と、ハンスは再度シエナに向き直る。
「シエナ、すまん。実はちょいと知らせておきたいことがあってな」
ハンスが申し出ると、シエナはすぐに頷いた。
「分かりました、少々お待ちください」
受付を他の職員に任せ、シエナが階段を駆け上がる。
それでようやく場の空気が切り替わった。依頼完了の手続きのため、カウンター前に冒険者たちが長蛇の列を作り始め、ハンスはサッと壁際に寄る。
「よう、久しぶりだなハンス! やっぱ田舎は暇か?」
「暇なら帰って来てくれても良いんだぜ!?」
「アホ。暇ならわざわざ街まで来ねぇよ。こちとら兼業冒険者なんだからな」
顔馴染みの大剣使いと弓使いの声に、ハンスは渋面で応じた。
冒険者の仕事は無くても農家の仕事はいくらでもあるわけで、むしろそっちで色々と問題が発覚したからこうして街までやって来たのだ。『田舎はのんびりしていてやることがない』など、とんだ誤解である。
──ちなみに『帰って来てくれても良いんだぜ!?』は彼らマトモなベテラン勢の心からの言葉なのだが、当然ながらハンスはこれっぽっちも気付いていなかった。
「──お待たせしました!」
階段を早足で降りて来たシエナが声を上げる。
「ハンスさん、こちらへどうぞ!」
「おう」
案内に従ってホールを横切り、階段を上がる。
通されたのは依頼を出す時に依頼人と職員がよく使う小部屋ではなく、かなり奥の方にある部屋だった。ソファーも少し豪華で、賓客向けといった趣だ。
当然、ハンスは入ったことがない。ちょっと気後れしていると、モクレンがハンスの肩から飛び降りた。
《へー、いい趣味してんなー》
鉱石や押し花──見た感じ、観賞用ではなくこのあたりで採れる薬草の見本のようだ──が並べられたガラスケースに前脚をついて、モクレンが興味津々、中を覗き込む。
「おい、肉球跡付けるなよ。ガラスだぞ、それ」
《ケットシーの肉球跡だったらむしろ喜ぶヤツの方が多いから大丈夫だって》
「なんだその理屈」
ハンスが呆れ顔になっていると、シエナが小さく笑い声を漏らした。
「確かに、店によっては『ケットシーの足跡はご褒美だ』なんて言われることもありますね」
《だっろー?》
「マジかよ…どこの変態だ」
《世間一般の反応だぞ》
「オレの認識してる『世間一般』とお前の言う『世間一般』は絶対違う」
《心外だな。遺憾の意を表明する》
わざわざ難しい単語を使って抗議するモクレンに、ハンスは白々とした視線を注いだ。
実際問題、ケットシーの肉球跡は喜ばれることも多い。一方で迷惑がられることも多い。どちらも正解と言えるだろう。
つまるところ、肉球跡がついた物の持ち主がそれを許容するか否かという話だが。
「仲が良いですね」
《そりゃあな!》
「どこがだ」
微笑ましそうなシエナのコメントに、一人と一匹は全く正反対の言葉を返した。
きっちりタイミングが合うあたり、ある意味で『仲が良い』のは間違いない。
「入るぞー」
そんなやり取りをしていると、ノックの音の直後、室内の応答を待たずに扉が開いた。
のっそりと現れたのは、褐色肌の大男──冒険者ギルドユグドラ支部の支部長、通称『ギルド長』のジークヴァルド。
ハンスは軽く目を見開く。何の用件かもきちんと伝えていないのに、いきなりギルド長が出て来るのは珍しい。
「ギルド長、お久しぶりです」
ハンスが一礼すると、ジークヴァルドは『おう』と気さくに応じ──肉球をガラスケースにぺたりと押し付けたままのモクレンに視線を転じて、金色の目を細めた。
「ちょっと見ないうちに、また可愛らしい相棒を見付けたもんだな」
《だっろー?》
「いや相棒じゃないですよ」
胸を張るモクレンと半眼のハンスのコメントが、再度絶妙なタイミングで被った。
双方、なんとも言えない顔で視線を交わし、
《なんだよ恥ずかしがんなってー。ホレホレホレ》
「オイこら肩に乗るな! 顎に頭突きすんな! 降りムグッ!」
迷わず肩に飛び乗って絡み始めるモクレンにハンスが抗議の声を上げ、途中で頭突きを喰らって思い切り舌を嚙んだ。ジークヴァルドが生温かい目になる。
「ケットシーがスリスリしてるときに迂闊に喋るなよ」
「……先に言ってください…」
如何せん、ハンスにはケットシーとの触れ合い方の知見が無かった。
ケットシーが親愛の証、あるいは挨拶として行う『スリスリ』──相手に頭を押し付けて擦り付ける行為が意外とパワフルだなんて知らないのだ。
若干涙目になりながら口元を手で覆うハンスの後頭部に、モクレンがひたすら頭を擦り付け──唐突にハンスの髪の毛に鼻面を埋める。
《ほっほーう》
フンフンフンと鼻息荒く、それはそれは熱心に匂いを嗅ぐこと数秒。
ズボッと髪から鼻を引き抜いたモクレンは、あらぬ方向を向いて瞳孔全開、口を半開きにし、
《………加齢臭!!》
『ブフッ!』
「手前ェ今すぐそこに直れ!!」
いわゆる『フレーメン反応』の顔で放たれた単語に、ジークヴァルドとシエナが噴き出し、ハンスが秒でキレた。
ハンスが伸ばした手をモクレンは巧妙にかいくぐり、床に華麗に着地して素早くハンスから距離を取る。
《ハッハー、そう簡単に捕まるかってンニャ?》
得意気にヒゲを広げつつ身構えていたモクレンは、背後から大きな手に首根っこを掴まれて動きを止めた。
モクレンが目線だけで見上げた先には、ジークヴァルド。
「ケットシーにとっちゃ嗅ぎたくなる匂いなんだろうけどな、その辺にしておいてやれ」
言っていること自体はマトモなのだが──顔は今にも笑み崩れそうになっている。
「男には、分かってても指摘して欲しくないことがだ…なっ…」
語尾まで耐え切れずに、ジークヴァルドが吹いた。
ハンスは死んだ魚のような目で周囲を見渡す。
ジークヴァルドはまだマシな方で、シエナに至っては完全にこちらに背を向け、壁に向かって肩を震わせていた。ツボに入りすぎたらしい。
とりあえずハンスには、一つだけ言いたいことがあった。
「オレはまだそんな歳じゃねぇ」
《あれ、お前知らねぇの? そっち系の匂いって、早けりゃ20代くらいからし始めるやつも居るんだぜ?》
「なにっ!?」
《まー自分の匂いの変化には気付きにくいしなー。ヒューマンはそんなに鼻もよくねぇし》
ジークヴァルドの手から逃れたモクレンは、ぶるっと全身を震わせた後、キラリと目を輝かせてハンスを見上げた。
《ちなみにお前の匂いはケットシー的には癖になる良い匂いだったぞ! 良かったな!》
「良くねぇ!! なんだ癖になるって!」
ハンスは力一杯叫ぶ。防音性の高い部屋で良かったと思うべきか。
ジークヴァルドとシエナは声を押し殺して笑い転げている。
なんともカオスな空間にハンスが頭を抱えたところで、再びノックの音が響いた。
「はい」
シエナが何とか表情を取り繕い、扉を開ける。
そこに立っていたのは、赤い髪がトレードマークの商人──ナターシャだった。
「すまないね、ハンスがこの部屋に居るって聞いて来たんだが──取り込み中だったかい?」
室内の微妙な空気に気付き、ナターシャが入室しながら首を傾げる。モクレンがやたら偉そうに胸を張った。
《気にすんな。ハンスの加齢臭がケットシー的にはたまらん匂いだって話をしてただけだ》
「加齢臭」
「吹聴すんな!」
ハンスが耳を真っ赤にして止めようとするが、後の祭り。
何とも言えない顔をハンスに向けたナターシャが、眉を寄せて告げる。
「あー…良ければウチで扱ってる消臭効果の高い石鹸でも融通しようか?」
「…………配慮、ありがとうよ」
ハンスは地を這うような声で呟いた。
気遣いがつらい。
ネコが人間の匂いを嗅いでフレーメン。…あると思います。
やられた方はすっごい微妙な気持ちになるんですけどね……。




