33 再びのユグドラ支部
夕方、乗合馬車は無事にユグドラの街へ到着した。
乗客が全員降りたのを確認すると、ハンスは御者のミハイルに『依頼完了』のサインを貰う。
「活躍の場がなくて申し訳ありません」
「いや、平和が一番じゃないですか」
妙に低姿勢で謝罪するミハイルに肩を竦めて応じつつ、ハンスは内心眉を顰める。
(…まさかとは思うが、エーギル支部の他の冒険者は、護衛中に追加で『活躍の場』がないと文句を言うのか?)
活躍の場とはつまり、魔物や野盗の襲撃のことである。
道中にトラブルが発生してそれを解決した場合、確かに冒険者の『実績』としてカウントされるが、トラブルはトラブルだ。
何事もないに越したことはない──とハンスは思うのだが、それに物足りなさを感じる冒険者が居るのもまた事実。
ただし、そんなくだらないことで依頼人に文句を言って良いかどうかは、別問題である。
これは本格的に護衛依頼を任せることが出来るような信頼の篤い人材が必要かも知れない、などと思いつつ、ハンスはミハイルから書類を受け取る。
「また機会があったらよろしくお願いいたします」
「こちらこそ」
差し出された手をしっかり握り返し、ハンスは笑顔で護衛の仕事を終えた。
大通りを歩き出すと、自然と深い溜息が漏れる。
と、肩にトンと重みが掛かった。
《なんだなんだ、恋煩いか?》
「ンなわけあるか」
クリーム色のケットシー──モクレンが当たり前の顔で肩に乗っているのを見て、ハンスの眉間にしわが寄る。
が、当のモクレンはハンスの反応などどこ吹く風。尻尾をパタンとハンスの背中に打ち付けた。
《なんだよつまんねー男だなあ。恋の悩みだったら俺がいくらでも相談に乗ってやるのに。こう見えて俺、そっち方面じゃ百戦錬磨なんだぜ?》
「『相談に乗る』んじゃなくて『面白おかしく茶々を入れる』の間違いだろ。あと、百戦錬磨なのは良いが、勝率は?」
《……フンフンフフーン》
ハンスがジト目で突っ込むと、モクレンはあからさまに視線を逸らした。
ハンスが知る限り、モクレンには決まった相手がおらず、子どもも居ない。
一方で『百戦』練磨ということは少なくとも複数回トライしているということで、まあつまり──色々とお察しである。
(…これでフォレストウルフを片手間に追い払えるんだよなあ…)
明後日の方を向いたままのモクレンを横目で見遣り、ハンスは内心首を捻る。
ミハイルは道中平和だったと認識していたようだが、実は護衛中、何度かフォレストウルフの姿を見掛けていた。
特徴を見る限り同一個体で、群れずに単独行動を取っているようだったが──初回はハンスと目が合って逃げ、次に見た時にはモクレンが魔法で水浸しにし、3回目にはモクレンが放った風魔法で吹っ飛んで崖下に消えて行った。
モクレン曰く『これくらいはケットシーなら朝飯前』らしいが、少なくともハンスはユグドラの街のケットシーがそんな威力の魔法を使っているところを見たことがなかった。
(…街暮らしと山暮らしの差か?)
その理屈が人間にも適用出来そうだという仮説は、なるべく考えないようにしておく。
《んで、どこに行くんだ?》
「まずは依頼の完了処理をしに行く」
護衛依頼が片道だけだった場合、行った先の最寄りの冒険者ギルド支部で依頼完了の手続きが出来る。
別に自分の所属支部に帰ってから処理しても良いのだが、実際には出先で済ませる冒険者が多い。
理由は簡単。その場で報酬が貰えるからだ。
《んじゃまずはこの街のギルド支部かー。ハラ減ったんだけどなー》
「…干し肉でも喰っとけ」
《うひょー!!》
ハンスが干し肉を差し出すと、モクレンは奇声じみた念話を放ちながらそれに喰らい付いた。
モッキュモッキュと、えも言われぬ咀嚼音がハンスの耳元で響く。
「肩の上によだれ落とすなよ」
《まー任せとけって!》
ちなみにこの干し肉はスージーのお手製で、ハンスに渡す際、彼女は『誰でも食べられるように、塩気はかなり控え目にしといたからね』と含みのある顔で笑っていた。
突発的に同行したように見えて、その実モクレンはポールとスージーとケットシーの元締めのツバキにきっちり根回ししてついて来たのである。
そんなことをつゆ知らず、ハンスは黙々と歩を進める。
既に日は落ち、残照が西の空を深い紅色に染めている。東の空には2つの月が浮かび、白と青の静かな光を放っている。
微妙に色彩の異なる石をランダムに組み合わせた石畳。石材やレンガで作られた建物。その窓が下エーギル村や上エーギル村の家の窓と比べて大きいのは、標高差による気候の違いのためだ。
発展した街らしく、3階建てや4階建ての建物も多い。
等間隔に並んだ街灯と建物の窓から漏れる光が、宵闇の迫る街路を照らしている。行き交う人の数も多く、賑やかだ。
つい先日まで、20年暮らした街である。ハンスは懐かしさのようなものを感じながら、一方で妙に落ち着かない気分を味わっていた。
土と木々と動物の匂いがしない。耳の中に常に何らかの音が入って来る。すれ違う人々の歩調が忙しない。
《しっかし、やっぱ街は騒がしいなー》
「!」
ハンスが今まさに思っていたことを、モクレンが呟いた。
干し肉をあっという間に平らげたケットシーは、ハンスの肩の上から街の景色を眺めている。
《こーいうのも嫌いじゃねぇけど》
通りすがりの若い女性が、意外そうな顔でハンスとモクレンを見比べている。目が合ったモクレンがぱちりとウインクすると、黄色い悲鳴が上がった。
「肩乗りケットシー最高!」
「……おい、目立つなよ」
《とっくの昔に目立ってんだから諦めろって》
ハンスのジト目に、モクレンは涼しい顔で応じた。
実際、ハンスはそれなりに背が高いので、その肩にケットシーが乗っていたらかなり目を引く。その事実を淡々と突き付けられ、ハンスは黙って歩を速めた。
程なく、とある石造りの建物の前に到着する。
明るい灰色の石壁に赤みの強い屋根瓦。3階建てで高さはそれほどでもないが、幅は周囲の建物よりかなり広く、大きい。
両開きの扉の上に掲げられた『冒険者ギルド ユグドラ支部』の看板を暫し無言で眺めた後、ハンスは深呼吸して扉を開けた。
夕食には少し早い時間、ギルドのホールには何人もの冒険者が居た。
当然ながら、ほとんどがハンスの知る顔だ。今日終わらせた依頼の完了手続きをしようという面々なのだろうが、全員受付に並ぶでもなく、カウンター前の人影を遠巻きに眺めている。
「だーかーらー、商品が足りないんだよ! これで依頼完了なんて言えるわけないだろ!」
皆の視線の先、怒鳴り声をあげているのは、背の高い中年の女性。
鮮やかな紅色の長い髪とキリっとした琥珀色の瞳が印象的な、迫力美人である。
「はあ? 街に着いたんだから完了は完了だろ! 書類にサインしたじゃねぇか!」
その女性に相対するのは、ハンスより若い男性冒険者3人。
その顔ぶれを見て、ハンスは内心あちゃー…と呻いた。
(よりによって、こいつらか)
ユグドラ支部の冒険者の中では少々、いやかなり素行が悪いと評判の上級冒険者3人。
魔物討伐の依頼ばかり受けている印象があったが、今日は珍しく護衛の仕事をしていたらしい。
…それで依頼人を怒らせていたら世話はないが。
「サインしてあっても、受付で受理されてなけりゃ訂正できるだろ! そういうルールだってのを忘れたのかい!?」
男3人を前に全く引く気配のない依頼人の方も、ハンスの知った顔だった。双方、譲る気は全くなさそうだ。
《街の洗礼って怖ェ…》
ハンスの肩の上で、モクレンがぺったりと耳を伏せている。
下エーギル村にはここまでバチバチ口論する人間はまず居ないし、村より格段にうるさい。
口汚く罵り合う面々を心底呆れながら見ていたハンスは、うん?と眉根を寄せた。
冒険者3人のうち1人の服に、見覚えのある──と言うか、あってはならない物が付着していた。




