28 悪徳商人
冒険者の新人研修で、ハンスは魔物素材の適正価格について散々新人たちに教えてきた。
『ギルド以外で売ることも出来るが、こっちが相場を知らないとやたら安く買い叩こうとする商人も居るから気を付けろ』と。
まさかこんなところで、ユグドラの街に居た連中以上に性質の悪い商人に遭遇するとは──内心溜息をつきかけて、ハンスは思い直した。
(…いやむしろ、他所から情報が入って来にくいド田舎だからこそ、か)
ものを知らない相手なら、あることないこと吹き込んで自分の都合の良いように操るのは容易い。街道があるのに住民はあまり頻繁に村から出ず、隣村との交流も断絶状態にあるならなおさらだ。
上エーギル村では雑貨屋のトムが取引の窓口となり、村の外の商人と渡り合っているが、下エーギル村にはそういう役割の人間が居ない。そこにつけ込まれたとも言える。
「う、内訳だと…?」
アーネストが言葉に詰まっている。
ハンスは溜息をついて手を振った。
「あー、やっぱいい。聞いたってしょうがねぇもんな。とにかくオレは、その値段でこの素材を売る気はない。ついでにこの後、他の連中にもワイルドベアの素材の相場を教えておく──ああ、他の物の買取り相場もな」
「な…! そんな、根拠もなく適当な値段を吹聴して、困るのはそちらだろう!」
(根拠もなく適当な値段で買い叩いてんのはどっちだよ)
ハンスはそれはそれは冷たい目でアーネストを見遣り、腕組みして告げた。
「──名乗るのが遅れたな。オレは冒険者ギルドエーギル支部所属、冒険者のハンスだ。一応、冒険者歴20年で上級冒険者をやらせてもらってる」
「…!!」
アーネストの顔から血の気が引いた。
単なる村人だと思っていた男が冒険者だったのだ、そういう反応にもなる。
商人にとって冒険者は良い商売相手だが、同時に最も気を付けなければならない相手でもあるのだ。
冒険者と商人との間でトラブルが発生した場合、拗れると冒険者ギルドそのものが出張って来て商人との交渉にあたる。
恐ろしいのは、冒険者に非があろうと商人に非があろうと、その事の顛末が『冒険者ギルドから書面で詳細に発表される』ということだ。
よほど冒険者側が悪質なら話は別だが、大抵の場合は商人の方が『冒険者ギルドに喧嘩を売って目を付けられた粗忽者』と後ろ指さされ、商売人としての信用問題に発展する。
まして、ハンスは曲がりなりにも上級冒険者である。それを相手にワイルドベアの素材を阿呆のような安値で買い取ろうとした──これが公表されたら、果たしてどうなるか。
顔面蒼白になるアーネストに、ハンスはさらに畳み掛ける。
「偶然にもオレは、ついこの間までユグドラ支部で『冒険者の新人教育』なんてもんをやっててな。ここ最近のワイルドベアの素材の相場も把握してるんだよ。これだけの品質でこれだけの量、少なくとも合計で金貨3枚以上にはなるはずだ。なんだったら、これから上エーギル村に行ってエーギル支部で見積もりを出してもらっても良いんだぜ?」
既に日は落ちている。夜の山道は危険すぎるのでそんなことをする気はさらさらないが、ハンスは敢えて余裕のある態度で言い放った。ハッタリも大事なのだ。
アーネストはハンスから目を逸らし、ワイルドベアの素材が入った布包みを見詰め、忙しなく周囲を見渡す。
残念ながらこの小部屋を選んだのは本人なので、助けなど望むべくもない。
「……何が望みだ」
最終的にアーネストはハンスに視線を戻し、羞恥と憤怒と苛立ちと絶望感が入り混じった表情で呻いた。
ハンスは肩を竦めて応じる。
「別に、どうもしないさ。今更今までの取引の差額を補填しろなんて言えねぇしな」
不平等な取引だったとしても、双方が納得していたら正規のものとして成立する。後から『騙された』と訴えたところで、よほどの事情がない限り『きちんと確認しなかった本人が悪い』と一蹴されるのがオチ──それがこの国の文化だ。
だから、過去の取引についてはどうにもならない。
が。
「──けど、これからの取引については話が別だ。オレは下エーギル村のみんなに今まで売ってた物の相場を教える。今までのようにはいかないぜ。あんたがこれからどこで何を商おうとあんたの勝手だが、これから先もこの村の物を買い付けたいなら、相応の金額と相応の態度で臨むことだ」
少なくとも、自分の目があるうちは買い叩きなどさせない。
ハンスが言外に込めたその決意を感じ取ったのか、アーネストはぐっと言葉に詰まった。
アーネストにとって、ワイルドベアなどの素材やこの村の野菜はかなり魅力的な商品だろう。
商品の価値と、今まで自分がやってきたこと、これから信頼を取り戻すのに掛かる労力──全てを天秤にかけて判断しなければならない。
「……私がこの村に来なくなったら、物流が滞るぞ」
(あ、全っ然懲りてねぇなコイツ)
アーネストが絞り出した言葉に、スン…とハンスは平坦な顔になる。
アーネストは随分自信があるようだが、生憎ハンスはその程度で動揺するほど世間知らずではなかった。
交渉に臨む商人の話は『真実1割、割り増し4割、残りの5割は嘘っぱち』。
その昔ハンスがユグドラの街で世話になった商人の言葉である。
商人自身がそんなことを言ってどうする、と当時のハンスは盛大に突っ込んだが、つまりそれくらいのつもりで相手の話を聞いておけという教えだ。
どれが真実でどれが嘘かは、自分自身で裏付けを取らなければならない。
なお商人が語るのは大抵未来の話なので、『未来』を『未確定のこと』、つまり『現時点では真実ではないこと=嘘』と解釈すれば、『5割が嘘っぱち』というのもあながち間違いではない。
「別にあんた一人がウチの村から手を引いたところで、誰も困らないと思うぞ」
ハンスは冷静に指摘した。
「魔物素材の買取りならギルドに持ち込みゃ済む話だし、野菜を売りたきゃ自分で街に行けばいい。それに、商人は他にいくらでも居るしな。村から出たくないにしても、『あんたに』仲介を頼む必要はないんだよ」
「…」
下エーギル村と上エーギル村の仲が悪いと言っても、下エーギル村の住民が上エーギル村に出入り出来ないわけではない。
実際ハンスは下エーギル村の住民だが、上エーギル村にある冒険者ギルドの支部に顔を出しても咎められることはない。本人が行きたくないというなら、最悪、ハンスが代わりに持ち込めば良い。
野菜を売る方はもっと簡単だ。
ユグドラの街では、月に一度、大通りに市が立つ。少し出店料は掛かるが、消費者と直接取引が出来るので、商人に売るより利益が見込めるはずだ。
ハンスが子どもの頃は、そうして村人が街に野菜を売りに行くことがそこそこあった。今はみんなアーネストを頼っているが、今でも販売のノウハウがある者は居る。
加えて、ハンスにはユグドラの街での20年で培った人脈がある。
伝手を辿れば、この村の品を買いに来てくれる商人の一人や二人、見付かるはずだ。
「──というわけだ。これ以上脅しを掛けて来るようなら、こっちにも考えがあるぜ」
「…っ…」
アーネストが目元を歪める。わずかな変化だが、ハンスにはそれで十分だった。
(こちらの言い分は理解したが納得はしていない、ってか)
どこまでも利己的な商人だ。そういう面も職業柄必要なのは確かだが。
アーネストはガタンと音を立てて立ち上がり、ハンスを真正面から睨み付けた。
「──後悔するなよ」
ハンスは負けず劣らず鋭い目で応じる。
「あんたこそ、何を敵に回すことになるのか、よく考えるこったな」
「……っ失礼する」
アーネストは歯噛みして部屋を出て行った。
乱暴に扉が閉まり、ハンスは深く溜息をつく。
「…ドラゴンの威を借るワイバーン、だな」
ハンスの名前と交渉力だけではどうにもならないので、サクッと冒険者ギルドの名前を出した。
格好悪いことこの上ないが、村ごとカモにされるよりマシ。ハンスはそう割り切った。
ひとまず、これ以上同じように買い叩かれるのは回避できた。ハンスはガシガシと頭を掻き、今後について考え始める。
「まずはマークと、村のオッサンたちと話をして…出来れば上エーギル村の状況も確認したいところだが…難しいか」
ぶつぶつ呟いているとドアが開き、不可解そうな顔をしたテッドが顔を出した。
「おいハンス、お前何をしたんだ? アーネスト様が『もうこの宿には泊まらん』と、えらいお怒りなんだが」
 




