26 下エーギル村の宿
その後ハンスはワイルドベアを解体し、毛皮と角と爪牙を回収した。
残った部位はケットシーに頼んで茂みの中に大きめの穴を掘ってもらい、丸ごと埋める。残念ながらワイルドベアの肉は硬くて臭く、食用には向かない。
なお、山菜収穫用の小型ナイフの方が下手な解体用ナイフより切れ味が良く扱いやすかった点に関しては、ハンスは記憶の隅に封印することに決めた。
深く考えてはいけないのだ。
ハンスがワイルドベアを解体している間に、さつまいもの収穫はほぼ終わっていた。
ポールとスージーの手際のよさもさることながら、遊び半分で手伝ったケットシーたちの力も大きい。
さつまいもを掘り出すところから軽く土を払って荷車に載せるところまで、ケットシーの魔法が大活躍である。
なお、無償というわけではなく、
《今日はネズミでお腹いっぱいだから、明日! 鶏ハムな!》
「ああ、任せておきな」
スージーが大きく頷いて請け負うと、ケットシーたちは残った二尾ネズミの死骸を魔法で浮かべ、歓声を上げながら解散して行った。
残りのネズミは牧場の仲間たちと山分けするのだ。
(……今日も、濃かったな…)
ケットシーたちの背中を見送りながら、ハンスは内心で呟く。
その背中が妙に黄昏ているのは気のせいではない。
さつまいもの収穫作業に二尾ネズミ、ケットシーの狩り、『殺気が足りない』というダメ出しにワイルドベア瞬殺からの解体、農具の素材の話と、盛り沢山だったのは確かだ。
冒険者としてはベテランのハンスだが、下エーギル村の農家としてはまだまだ駆け出し──にすらなっていない。
むしろ大変なのはこれからである。
(…なんか、寒気が)
ブルっと上半身を震わせて、ハンスは周囲を見渡した。
山積みになったさつまいものツルは、明日改めて堆肥場──刈った草と家畜のフンを集めて肥料にする場所に持って行く。今日はもう日が沈むので、さつまいもを持ち帰って農作業はおしまいだ。
問題は、
「…このワイルドベアの素材、どうすんだ?」
馬鹿でかい毛皮と角と爪牙を見下ろし、ハンスは呻く。
ケットシーたちが洗って乾かしてくれたので、つい先程まで血みどろだったとは思えないくらい綺麗だが、村にはこれを買い取ってくれるような店はない。…少なくとも、ハンスの知る限りでは。
ギルドに持って行くか…とハンスが考えていると、ポールがぼそりと呟いた。
「宿に居る商人に買い取ってもらう」
「あ、その手があったか」
「…他に何か方法があるのかい?」
ハンスの反応に、ポールとスージーは不思議そうな顔をする。
「冒険者ギルドに持って行きゃいい。まあここの最寄りだと上エーギル村になるし、ちっと遠いが──」
冒険者の新人教育のノリで説明して、ハンスは首を傾げた。
「…って、知ってる、よな?」
「…冒険者ギルドってのは、冒険者からしか買い取ってくれないだろう?」
「いや? ちょっとばかし買取価格は下がるが、冒険者じゃなくても買い取ってもらえるぞ」
「へえ、そうなのかい」
スージーは純粋に感心したように頷いている。若干の違和感を覚えつつ、それに、とハンスは付け足した。
「オレが持ち込めば、冒険者価格で買い取ってもらえると思うぜ。一応、冒険者だからな」
倒したのオレじゃねぇけど…という呟きは心の中に留めておく。
拾ったドラゴンのウロコなどでも買い取り対象にはなるので、『一般人が倒したワイルドベアの素材』も買い取ってもらえるのは確かだ。ギルド側の心証が良いかどうかは別として。
「──まあ、他に買い取ってもらえる伝手があるならそっちの方が良いかもな。ギルドの買取価格より高く買ってもらえることが多いし」
断じて、ギルドに持ち込むのが後ろめたいから、ではない。
そう自分に言い訳しつつ、ハンスは肩を竦めた。スージーが笑って頷く。
「その辺はハンスに任せるよ。いつもの商人さんは確かあと2日はウチの村の宿に泊まってるはずだから、後で一緒に行くかい?」
「ガキじゃあるまいし、オレ一人で行くさ」
ハンスは苦笑して応じた。
一旦家に帰って軽く身なりを整えた後、ハンスはワイルドベアの素材を手に宿を訪れた。
「いらっしゃい」
ドアを開けると、カランコロン、と牛の首につけるベルのような音が鳴る。落ち着いた声でハンスに告げたのは、宿の主人のテッドだ。
「よっす。邪魔するぜ、テッドのおやっさん」
「なんだ、ハンスか」
ハンスが片手を挙げて挨拶すると、テッドは拍子抜けしたように呟いた。あっという間に『宿の主人』から『近所のおっさん』の顔になる。
「帰って来たとは聞いてたが、挨拶にも来ないで…全く、不義理なやつだな」
「悪かったな。こんな真新しくてキレイな宿屋、入りにくかったんだよ」
これはハンスの本心から出た言葉である。
新しく出来た街道にほど近いこのあたりは、下エーギル村には珍しく建物がそれなりに集まっていて、しかもどの建物も比較的新しい。
宿に食堂に雑貨屋と、規模こそ街の大店には遠く及ばないものの、全体的に洒落っ気がある。ちょっと観光地っぽい、とも言う。
ハンスにとっては、『お洒落すぎて正直居心地が悪い』。
スレた大人の悲哀である。
ハンスの言い訳に、テッドは破顔した。
「そうだろう!? 開業からもう8年経つが、大事に大事に手入れしているからな。ユグドラの街の宿にも負けない自信はある」
「そりゃすごいな」
テッドはスージーと同年代で、昔はポールと同じ、農家だった。今では畑を牛や羊のための牧草地に転用して息子家族に任せ、自身は宿屋を経営している。
元々『何かお店をやりたい』と言っていたのはテッドの妻だが、いざ店を持つとなったらテッドの方がノリノリになってしまった。
今では、テッドが宿の掃除や接客、料理、修繕などを担い、妻が買い出しや経理を担当するという役割分担が出来上がっている。
ちなみに、妻を宿のカウンターに立たせないのは、酒癖の悪い客に絡まれるのをテッドが心配したためである。買い出しにも同行し、荷物持ちがてら周囲に目を光らせている。
愛妻家なのは良いが、ここまでだと若干引く──と周囲には呆れられている。妻本人が苦笑いしながらもその状況を受け入れているのが救いか。
「で、今日はどうしたんだ? 酒盛りにはまだ早いが」
この宿は酒場も兼ねていて、よくご近所さんも利用している。
上エーギル村へ向かう来訪者を見込んだ『宿』だけだと間違いなく下エーギル村の中で浮いてしまうが、そうやってバランスを取っているのだ。
ちなみに、ご近所の食堂は朝食と昼食がメインで、基本、夜は営業していない。
一方こちらの宿は、夜は酒場兼食堂として機能するが朝食と昼食は出さない。時間帯ですみ分けている。
──閑話休題。
テッドに問われ、ハンスは肩を竦めた。
「ここに泊まってる商人に、買取を頼みたいもんがあってな」
「また『クマ』でも出たか?」
『クマ』という単語に含みがあった。
なるほど、ワイルドベアが出て退治されるのは、確かに下エーギル村の日常らしい──ハンスは改めてそれを実感し、背中がひやりとする。
(どういう環境だよ)
本来、ベア系統の魔物はそれほど個体数が多くない。同種同士で潰し合う習性があるからだ。
ユグドラの街近郊なら、年に1頭か2頭、出るかどうか。3頭出たら『多い』と判定されるレベルである。
それが、ポールがぎっくり腰になった時の個体と今日の個体で、既に2頭。1ヶ月足らずでこのペースだ。
ハンスとしては『異常』と訴えたい状況である。
「一応主張させてもらうが、『クマ』じゃなくて『ワイルドベア』だからな。動物じゃなくて、魔物の方」
まさか混同してはいないかと思って念を押してみると、テッドはからりと笑った。
「分かってる分かってる。いちいち『ワイルドベア』なんて呼ぶのが面倒だから『クマ』と呼んでいるだけだ。──逆にここ最近、普通の『クマ』は見掛けないしな」
「えっ」
 




