25 農家の道具は普通じゃない。
ハンスがスージーとケットシーのやり取りを呆然と見守る中、ポールがワイルドベアに歩み寄る。
完全に動かなくなったワイルドベアから鋤を引き抜くと、土に広がる血だまりが一気に拡大した。一歩下がってそれを見下ろし、ポールが若干憂鬱そうに呟く。
「…仕事が増えた」
スージーが苦笑する。
「仕方ないさ。──ああ、また面倒臭がって丸ごと持ち帰ろうとしないどくれよ。あの時は大変だったんだから」
「…む」
ポールが視線を逸らしながら頷いた。
『あの時』とは、ハンスが村に帰って来るきっかけになった『ポールぎっくり腰事件』のことである。
ポールは素手でワイルドベアを倒した後、解体が得意なガイのところに死体を運ぼうとしてぎっくり腰になった。
ポール曰く、『手元に刃物がなかったし解体するのも面倒だから、直接ガイのところに持って行った方が早いと思った』とのことだが、残念ながらハンスにもスージーにもその理屈は理解出来なかった。
まずワイルドベアの巨体を一人で持ち上げて運ぼうという発想が出て来ない。普通は。
「…ハンス、解体は出来るか?」
「あ、ああ」
ハンスが頷くと、ポールが渡してきたのは使い込まれた小型のナイフだった。
刃の部分と柄の部分が同じくらいの長さで、刀身が分厚く、いかにも頑丈そうな造りだが──形状に見覚えがある。
「……これ山菜の収穫用だよな?」
「そうだ」
「良いのか、ワイルドベアの解体に使って」
「問題ない」
ワイルドベアの外皮はかなり硬い。流石に壊れるのでは──突っ込み掛けて、ハンスは思い留まった。
昔は気付かなかったが、よく見ると刀身がわずかに青み掛かっている。
独特の色合いに、ハンスは覚えがあった。
「………なんでウチにミスリル混の刃物があるんだ…?」
ミスリル、あるいはミスリル銀。別名、魔導銀。
魔力の伝導率が非常に高く、またそれ自体も魔力を帯びた、いわゆる『魔法金属』の一種である。
加工には専用の設備と相応の腕が必要だが、加工の仕方次第で硬さや粘り、魔力に対する親和性などを自在に変えることができ、用途はかなり幅広い。
ただし、そのミスリルの地金を製造する技術を持っているのは、『鍛冶の種族』と呼ばれるドワーフだけ。それゆえミスリルの流通量はそれほど多くなく──有り体に言えば、単価が恐ろしく高い。
例えば魔法剣士向けの総ミスリル製の長剣は、鋼の長剣の300倍以上の値がつく。
ミスリルは他の金属と混ぜることも出来るので、ほんの少しミスリルを混ぜた『ミスリル混』の金属製品も出回っているのだが、それすら普通の金属の10倍の値段が最低ラインだ。
相応に性能も高いが、冒険者にとっては、上級冒険者に昇格した頃にやっとミスリル混の武器に手が出せる、くらいの感覚である。
今ハンスが持っている『山菜収穫用のナイフ』は、どう見てもミスリル混。しかも、ミスリル独特の青み掛かった色味と反射光が分かる程度にはミスリルの比率が高い。
小ぶりのナイフとはいえ、一般人がホイホイ買えるような値段ではないなずだ──ハンスがそう指摘すると、ポールは不思議そうに首を傾げた。
「ウチの農具は、全部ミスリル混だが?」
「…………………は?」
ハンスは一瞬、ぽかんと口を開けて固まった。何を言われたか分からなかったのだ。
(…ミスリル混……ぜんぶ? ──全部!?)
数秒掛かってようやく脳が単語の意味を認識し、ハンスは、
「──はあああ!?」
叫んだ。
咄嗟に、近くに放り出していた草刈り鎌を拾い上げる。
一見普通の鋼に見えるが、確かによくよく見ると反射光が青み掛かっていた。
僅かながら、ミスリルが入っている証拠だ。
「……マジかよ…」
この村に帰って来てから、この台詞を口にするのは果たして何度目か。
農具がミスリル混である事実と、それに今まで気付かなかった自分。二重の意味でショックを受けるハンスを、クリーム色のケットシーが少々呆れた目で見上げる。
《やたら切れ味良いなーとか、疑問に思わなかったのかよ》
「…いや、農具はそういうもんだとばかり…」
《観察力がたりないぜー、冒険者》
「うぐ」
返す言葉もないとはこのことである。
地味にダメージを受けているハンスを、クリーム色のケットシーは尻尾の先をぴくぴくさせながら暫し観察し、
《…よっし、決めた!》
パタンと尻尾で地面を叩いて立ち上がり、ポールに向き直った。
《ポール、この冬は俺、ポールんトコで世話になるぜ! 良いよな?》
「は?」
「ああ、構わん」
「即答!?」
目を見開くハンスとは対照的に、ポールは平然と頷く。
スージーが笑って説明した。
曰く、ケットシーたちは基本、ガイのところを拠点として気ままに暮らしているが、雪に閉ざされる冬期はほぼ家の中に籠ることになるので、各家がケットシーたちを招き入れる。ケットシーはそれぞれ気に入った家に──と言ってもなるべく分散して滞在する。
なお、どの家に滞在するかは人間ではなくケットシー側に選択権がある。
「…理屈は分かった」
一通り説明を聞いたハンスは重々しく頷き、ジト目でクリーム色のケットシーを見遣った。
「で、なんで今この流れで、ウチに来ることを決めたんだ?」
《んー?》
ケットシーはヒゲを思い切り広げ、瞳孔の開いた目でハンスを見上げた。
《そりゃ勿論──冬の間、退屈しなさそうだからに決まってるだろ?》
まん丸の目は、一見大変可愛らしい。
だがハンスは知っていた。
それは可愛さをアピールするためではなく──獲物を見付けた時の、本能全開のハンターの目だと。
「お前、冬の間中オレに絡んで遊ぶ気だな!?」
《えーどーせヒマだろ? ちょっとくらい良いじゃんか。農作業とかちょっとくらいなら手伝ってやるし》
「オレは冒険者もやってるし暇じゃねえ! あとまず『遊ぶ』って単語を否定しろ! せめて!」
ハンスが叫ぶと、クリーム色のケットシーは楽しそうに目を輝かせた。
《おっ、冬の間も冒険者やんのか! 良いなそれ! ますます気に入ったぜ!》
「話を聞けー!!」
絶叫するハンスを遠巻きに眺め、他のケットシーたちは肩を竦める。
《あーあ。目ェ付けられちゃったか》
《アイツ、面白そうなモンに目がないからなあ》
《まあ良いコンビだと思うよ、多分》
《俺も今年はポールんトコ行こうかなー》
《僕も》
この後、クリーム色のケットシーこと『モクレン』はハンスに事ある毎に絡み続け、ハンスは『お調子者のケットシーを連れたオッサン冒険者』として有名になるのだが──ハンスがそれを喜んだかどうかは、本人のみぞ知る。




