24 瞬殺
結局──
ハンスの刈ったところから飛び出した二尾ネズミは、僅か数匹だった。合計で100匹近いネズミが始末されたのを考えると、かなり少ない。
《あーあ》
《まだまだだな》
「くっ…!」
ケットシーに辛口評価されたハンスが歯軋りしていると、近くの茂みががさりと揺れた。
「!」
ぬっと現れた巨大な影に、ハンスは瞬時に身構える。
ここ数日、ハンスは冒険者の仕事をする時と同じように革鎧を着け、長剣を背負って農作業をしていた。
ポールもスージーもただの野良着だったので場違いかとも思ったのだが、ワイルドベアが出ると聞いたので念には念を入れた。
見た目を気にして魔物の襲撃に対処出来なかったなど、冒険者として言い訳にもならないからだ。
その警戒が、僅か数日で役に立った。
「ワイルドベア…!」
ケットシーの魔法に気付いたか、次々討ち取られる二尾ネズミの気配を感知したのか──茂みから現れたのは、クマによく似た巨大な魔物だった。
『巨大』というのは比喩ではなく、ハンスが戦ったことのあるワイルドベアより、さらに一回り以上大きい。
ハンスが即座に長剣を引き抜いて身構えると、その紅色の目がギラリとハンスを見遣った。
(これは、まずい…)
周囲には、二尾ネズミを始末して堪能しているケットシーたち。背後にはポールとスージー。
ポールは素手でワイルドベアを倒せるというが、どこまで本当か分からないし、たとえ本当だとしてもぎっくり腰が治ったばかりの父親に無理はさせられない。
ハンスは瞬時に判断して、自分からワイルドベアに踏み込んだ。
「──おらぁ!」
──轟──!
ワイルドベアが後ろ脚で立ち上がった。
でかい。ただでさえ上級冒険者がパーティを組んで対処するレベルの相手だが、恐らく体長2メートルを優に超えている。
(だからって退けるかよ…!)
横殴りの前脚の一撃を膝を落として避け、勢いのまま間合いを詰めて脇の下の柔らかい部分を狙う。
伸び切った毛皮がザクッと裂かれ、赤い液体が散った。が、浅い。
「ちっ…!」
さらに腰を落とし、殆どしゃがんだ体勢で左前脚の追撃を避ける。そのまま右横に転がって間合いを開け──
──ズドン!
こちらを追って飛び掛かろうとしたワイルドベアの横っ面に、分厚い金属の板が突き刺さった。
「…………は?」
よく見ると、金属板には馴染みのある柄がついていて、金属部分の造形にも見覚えがある。
が、如何せん、ハンスの思考がついて行かなかった。
ワイルドベアの頭を切断しそうな勢いでめり込んでいるのは、どう見ても──
「…………鋤?」
──だった。
ぽたり、飛び出た舌から血が滴り落ち、それが合図だったように巨体が傾く。
鋤が突き刺さった側を上に、ワイルドベアがゆっくりと横倒しになった。
ズン、と重い振動がハンスの足に伝わる。
《ヒュウ、さっすがポール!》
《一撃必殺!》
《いやー良いモンが見れた!》
ケットシーたちが囃し立てる中、ポールが平然とした態度でハンスに歩み寄って来る。
「無事か、ハンス」
「あ、ああ……」
ハンスは呆然と頷いた。直後、自分が剣を構えたままであることに気付き、慌てて剣を下ろす。
刀身にはごくわずかにワイルドベアの血がついていた。
ああまた手入れしないとな…と頭の隅で考えつつ、ハンスはざっと血糊を拭いて剣を鞘に収める。
改めて見遣ると、ワイルドベアはやはりかなりの大型個体だった。
鋤のめり込む頭部、額部分に生えているごく短い角は黒に近い暗い赤色で、わずかに透明感がある。生存競争で勝ち残ってきた証だ。
ワイルドベアは魔素から発生する魔物で、生物学的な交配では増えない。
魔素から生じた直後のワイルドベアの角は透明感のある明るい赤色。ワイルドベア同士で潰し合ったり他の魔物を捕食したりすると角の色が次第に濃くなり、最終的にはほぼ黒色になる。この個体は、その一歩手前といったところか。
ちなみに『角の黒いワイルドベア』は冒険者の間では『黒角』と呼ばれ、『一人で遭遇したらまず助からない』と死神扱いされている。
毛皮は高額で取引されるし角も爪牙も売り物になるが、出来れば出くわしたくない相手だ。
「…こんなのが畑に出て来るのかよ…」
ハンスは心底ぞっとして呻いた。
だがもっと恐ろしいのは、戦い慣れした上級冒険者すら恐れるこの魔物を、農夫であるはずのポールが一撃で倒した、という事実である。
鋤は丁度あごの関節あたり、横っ面から斜め上に突き刺さり、非常に的確に急所を貫いている。
そもそも農具である鋤を投擲用の武器を上回る速度で投げるだけでも驚きだが、ワイルドベアを認識してから攻撃に移るまでのタイムラグの短さ、ハンスを狙って動き回るワイルドベアの急所に的確に鋤をぶん投げる思い切りの良さと判断力、そしてコントロールの精度、どれをとっても驚異的だ。
端的に言うなら、上級冒険者も形無し。
つまり。
(…大仰に剣背負ってたオレの立場が無ぇ…)
「ハンス、大丈夫かい?」
ワイルドベアの死体を見下ろして内心打ちひしがれているハンスに、スージーが駆け寄る。かなりスプラッターな魔物の死体を前にしても動揺はない。
その事実に何となく理不尽を感じつつも、ハンスは頷いた。
「ああ、大丈夫だ。おふくろは?」
「私は平気さ、離れてたからね。いきなりハンスがこいつに向かって行って、驚いたよ」
ハンスとしては当たり前の行動だったが、スージーには意外だったらしい。
スージーは笑って続けた。
「ワイルドベアなら、遠くから目に鎌を突き刺すか、鋤で頭を粉砕するのが定石だろう?」
「いや待て、それ絶対定石じゃないぞ!?」
ハンスは力一杯突っ込んだ。
鋤は当然として、スージーの言う『鎌』も武器の鎌ではなく農具の『草刈り鎌』のことだ。
確かに切れ味は良いが、どう考えてもワイルドベアにぶん投げる道具ではない。
(そもそも鎌は飛び道具じゃねぇし…いや、実は農家にとってはこれがフツーなのか? ワイルドベアに襲われたら返り討ちにするのが日常なのか!?)
ハンスは大混乱だった。
ただでさえ、今まで何となくイメージしていた『農家の仕事』と現実の作業の間にギャップがありすぎるし、もはや何が常識なのか分からないのだ。
《まー戸惑うよな。分かるぜ》
クリーム色のケットシーがしたり顔で頷いた。
《俺たちも最初見た時は一体何の冗談だと思ったけど、これが今の下エーギル村の『普通』なんだよ》
「普通」
《ちなみに、鋤とか持ってれば村の男衆は大体対処可能なんだぜ。スージーとか、腕っぷしに自信があるオバさ……ンンっ、マダムたちもやろうと思えば出来るんじゃないか?》
「!?」
衝撃発言にハンスが目を剥いてスージーを見遣ると、ヤダよこの子は、とスージーが腰に手を当ててケットシーを見下ろした。
「適当なこと言わないどくれ」
《だってこの前腕相撲で宿屋のオッサンに勝ってただろ? イケるって》
「あれはアイツが酔っぱらってたからさ」
《スージーだって酔ってただろー?》
クリーム色のケットシーがスージーの足に身体を擦り付けながら反論する。
その様子を眺めながら、ハンスは内心、呆然と呻いた。
(……この村の『普通』……)




