22 おしどり夫婦
「…アーロンのおやっさんにも、息子、居たよな?」
ハンスが首を傾げると、ジェニファーは頷いた。
「ええ。私より5つ歳上の、ヒースクリフね。今は魔石鉱山で陣頭指揮を執っていて、村長の仕事まで手が回らないから、代替わり出来ないらしいわ」
流石に12歳も上、しかも隣村の住民となると、ハンスもあまり接点はない。ただ何となく、ひょろ長くて体の弱そうな見た目をしていた記憶はある。
(あれで鉱山の陣頭指揮…)
いや、もやしだったジョンが超絶筋肉に仕上がっていたのだから、ヒースクリフも意外と肉体労働系になっているのかも知れないが──などとハンスが考えていると、玄関のドアが開いてマークが帰って来た。
「ただいま──やあハンス、来てたのか」
「おう、お邪魔してるぜマーク」
2回目の遭遇ともなると、それほど動揺もない。ハンスが片手を挙げると、マークは笑顔を浮かべた。
「おかえりなさい、マーク」
「ああ、ただいま。良かったじゃないかジェニファー、やっとハンスに会えて」
「ええ、本当に」
ものの数秒でマークとジェニファーがおしどり夫婦そのものの空気を垂れ流し始めた。ハンスは思わず苦笑して、過去の自分に呼び掛ける。
(おいハンス少年、このバカップルに割って入ろうなんざ、野暮ってもんだぜ)
先程ハンスは、ジェニファーにとって自分は『弟』にすぎなかったと気付いた。だから、思ったほどショックではない。むしろ『この年になっても仲が良いのか、幸せなことだな』と思う。
ただ独り身としては少々──いやかなり、居心地が悪い。
ちょっと距離を取りたくなって、ハンスは表情を笑顔で固定したまま、静かに一歩、後退った。
「そうだわマーク、ハンスが上エーギル村からいつもの手紙を持って来てくれたの」
が、そうは問屋が卸さない。
ジェニファーが話を振ると、マークはハッとして、済まなさそうな顔をハンスに向けた。
「そうか…。その、手間を取らせて済まないな、ハンス」
「なに、冒険者ギルドを通した正式な依頼だ。依頼料はあっちから貰ってるし、気にするな」
軽い口調で応じながら、ハンスは内心で眉を顰める。
『いつもの手紙』で通じるということは、あの罵詈雑言語録は本当にただの『議事録』なのだろう。ハンスとしては、公衆の面前で大声で読み上げて、『これのどこが議事録だ』と問い質したいところではあるが。
(…この2人はそんなこと望まないだろうな…)
マークは上エーギル村との仲を修復したいらしい。そうなると、この『不幸の手紙』の中身を暴露するのは悪手だ。今のような絶縁状態ではなく、村同士の全面対立に突入しかねない。
とはいえ、あんなものを日常的に送り付けられるのは精神的にキツい。
ならばと、ハンスは腕組みした。
「ついでと言っちゃなんだが、あの手紙、今後は大事なところだけ要約して持って来てやろうか? どうせこれからもギルドに依頼が来るだろうし、オレが運ぶことになるからな」
「えっ…」
「……あんな文面、ジェニファーに見せたくないだろ?」
マークの耳元に顔を近付け、ハンスはこそっと囁いた。
読んだのか、という困ったようなマークの目に、小さく頷く。
基本的に、会合の場には役職持ちの男衆しか入れない。ジェニファーが会合に参加せずにギルドに来ていたということは、今でもそのルールは有効なのだろう。
それならこの議事録もどきさえ読まなければ、ジェニファーが無意味な言葉に傷付くことはなくなる。
マークだって、会合で罵詈雑言が飛び交うのは止められないとしても、書面を読んでわざわざ追体験する必要はない。
「それは…だが、それを頼んだらハンスがあれを一字一句読むことになるんじゃないか?」
マークが気遣わしげな視線をハンスに向ける。
そうそう、こいつはそういうヤツだった──少し懐かしく思いながら、ハンスはにやりと笑った。
「これでもユグドラの街で散々鍛えられたからな。この程度の言葉で動揺するほどヤワじゃないさ。それに、書類のまとめ方もそれなりに自信があるんだぜ?」
新人教育に携わっていた関係上、ハンスはそこそこ書類の作成経験がある。新人たちにどんな内容を教えたのか、ギルドに報告する義務があるからだ。
…それが嫌で新人教育を受注する冒険者が少なかったという面もあるが。
迷う素振りを見せるマークに、ハンスはさらに畳み掛けた。
「ま、無料じゃないけどな。ギルドに『書類の内容の要約』って依頼を長期契約で出してくれれば対応できるって話さ。オレの小遣い稼ぎに貢献してくれても良いんじゃないか、村長さん?」
善意の申し出ではなく、ただの営業だと強調する。マークはぽかんと口を開け、その後ブフッと吹き出した。
「…そう来たか。分かった、ギルドに依頼を出そう」
にこやかに頷き、でも、と声を潜めて続ける。
「──一応、元の書類は俺に直接届けてくれないか。あれでも一応、村長が保管しておくべきものだから」
「…分かった。任せておけ」
ジェニファーには見せずに保管するということだろう。マークの心労が重なりそうな気がするが、ハンスはそれ以上何も言わずに頷いた。
お互い、いい年をした大人だ。思うところはあっても、それを飲み込む術も心得ている。
どこか不安そうなジェニファーの視線を感じ、ハンスは少々大袈裟に肩を竦めた。
「それにしても、アーロンのおやっさんは一体どうしたってんだ? 昔っから頑固おやじだったけどよ、ちょっと度が過ぎてるっつーか…偏屈方面に行き過ぎじゃないか?」
昔の上エーギル村の村長は、頑固ではあったが筋を通す人間だった。『言い方に難アリ、ただし言っていること自体は正しい』というタイプだ。ハンス個人は、父ポールとちょっと似ていると思っていた。
だが議事録を見る限り、今のアーロンはそうではない。ただただ攻撃的で、その矛先をマークに──と言うか下エーギル村に向けている。上エーギル村の他の面々も同調している節があり、とても正気とは思えない。
(…まあ、それに全力で応戦してるこっちもこっちだけどよ…)
その結果が、目が滑る罵詈雑言語録だ。
毎回議事録を作成している書記役の胃に穴は開かないかと心配になるレベルである。
マークはその嫌味と暴言の応酬に参加していないようだが、その場に居合わせると考えるだけで、ハンスは胃がキュッとなる。
マークは何とも言えない苦笑を浮かべた。
「ウチの父の代で、仲違いしまったからね…。それに年を取ると偏屈になるっていうのはよく聞くだろう? 多分、仕方のないことなんだよ」
(…本当にそうか…?)
ハンスは内心で首を傾げる。何かを見落としている気がして、どうにも違和感が拭えない。
「…せめて、昔のように野菜や肉や羊毛を融通し合っていれば、ここまで拗れることもなかったかも知れないが…」
「やっぱりそっちの行き来もなくなってるのか。上エーギル村は、それで大丈夫なのか?」
上エーギル村と下エーギル村は、得意分野が全く違う。
森林限界を超える標高に立地する上エーギル村は、肥沃な土地が少なく、農耕には向かない。
斜面に適応したヤギや羊を放牧する畜産業が盛んで、かつての主な生産物はヤギや羊の肉、ミルク、羊毛や毛皮などの畜産物だった。
一方エーギル山系中腹の少し拓けた土地に立地する下エーギル村の中心産業は、農業。山林を切り開いて作った肥沃な畑で、麦や野菜を栽培する。牛や豚、鶏などの畜産業と、周辺の森での林業も並行して行っている。
昔はお互いの生産物を物々交換のように融通し合い、生活を成り立たせていた。
上エーギル村の羊毛や毛皮はとても高品質で、寒さが厳しく雪深いこの地域では必需品だったし、下エーギル村の農産物は上エーギル村にとって命綱に等しかった。
それが今や、物の行き来すら途絶えている。
下エーギル村で昔は居なかった羊をやたら見掛けるのはそのせいか、とハンスは内心で納得した。上エーギル村の羊毛が手に入らなくなったら、自分たちで生産するしかない。上エーギル村で羊毛を買い付けた商人から購入するという手もあるが、街で売る前提の羊毛を下エーギル村で卸してくれる商人は居ないだろう。
「…上エーギル村は、今は魔石鉱山で潤っているからね…。魔石を買い取りに来る商人たちに頼んで、街から麦や野菜を持って来てもらっているらしい。お金さえあれば、そういう手段も取れるからね」
「…マジか…」
すぐ近くに農村があるというのに、そこから買うのを避けてわざわざ街から仕入れる。
上エーギル村と下エーギル村の仲は、ハンスが思っている以上に拗れていた。




