20 アルビレオとゲルダ
「──というわけなのよ。あーもう、ムカつくー!!」
「大荒れですねえ、リン」
所変わって、ユグドラの街の片隅にある小さな食堂。
カウンターで叫ぶリンの前に、店主のマルコスがレモンシャーベットを置く。
ここはハンスが贔屓にしていた店で、ハンスを慕う冒険者たちの溜まり場でもある。
朝食には遅く、昼食には早い今のような中途半端な時間に店を開けているのは、この時間帯に食事を摂りたいと言う冒険者が存外多いからだ。
その証拠に、
「おお、リン! 帰って来ていたのか」
カランカランとドアベルが鳴り、男女ペアの冒険者が入って来た。
リンとほぼ同時期に冒険者になり一緒にハンスの指導を受けた、言わばリンの同期かつ同志である。
「今回は北の宿場町までの往復だったか。お疲れさんだったな」
マルコスにサンドイッチと紅茶を頼んだ2人は、当たり前の顔でリンの両隣に座る。
「そっちもねー、アルビレオ、ゲルダ。どう? 面白い新人は居た?」
「今回はみんな良くも悪くも素直だったな。ゲルダの冗談を真に受けていた」
飄々と肩を竦める小柄な男性が、アルビレオ。
ゆるくウェーブの掛かったハニーブロンドにピンク色の瞳の、どこに出しても恥ずかしくない紅顔の美少年──に見える年齢不詳の人物である。
10代半ばにしか見えないその見た目は、8年前、リンと一緒に新人教育を受けた時から全く変わっていない。
それもそのはず。
「ああでも、ハーフエルフは1人居たぞ。里が嫌になって、はるばる海を越えてやって来たらしい」
私と同じだな!と笑うアルビレオの耳は、ほんのり尖っている。
彼はハーフエルフ──より正確に言うと、ヒューマンとエルフのハーフである。
長命なエルフの特性を持つため、『ヒューマンの外見年齢』とは実年齢が一致しない。本人の申告では『おおよそ200歳』とのことで、子ども扱いされても笑って受け流す度量の持ち主だ。
ちなみに『里が嫌になって』などと言っているが、別にハーフエルフが差別されているわけではない。
西大陸にあるエルフの里は、長命なエルフたちの感覚を優先するため時間感覚が大変おおらかで、例えば『近いうちに遊びに行く』の『近いうち』が数年後、あるいは十数年後になるのもざら。
時間感覚がヒューマンに近いハーフエルフとは行き違いも多く、ハーフエルフにとっては住みにくい。
『ちょっと遊びに行ってくる』で十数年不在になっても許されるため、里の外に出るハードルが極めて低い、という面もある。
「海を越えてって…相変わらずぶっ飛んでるわねえ。あんたといい」
「はっはっは、まあな」
アルビレオは故郷のエルフの里で薬師として活躍していたらしいのだが、どういうわけか8年前にこのユグドラ支部にやって来て、冒険者になった。
曰く『素材を採りに行くのも面白そうだと思った』らしいのだが、ハンスの指導を受けた後、珍しい薬草を探しに行くでもなく、この街を拠点とするごく一般的な冒険者として活動している。
リンとしては話の合う仲間が居るのは嬉しいが、それで良いのか、と思わなくもない。
そして、その相棒たるゲルダも、負けず劣らず変わっている。
「ゲルダはどう? 有望そうな新人は居た?」
リンが改めて話を振ると、ゲルダはおっとりと──と言うより物理的にゆっくりと、首を傾げた。
艶やかな黒髪に白磁の肌の、すらりとした美人だ。
女性としては背が高く、アルビレオより頭一つ分、大きい。切れ長の紅色の目はいつもどこか茫洋としていて、黙って立っていても周囲の視線を集める、不思議な存在感がある。
ただし──
「……アルより美味しそうな子は、居なかった」
ぼそり、零れた呟きは、少々、いやかなり、独特だった。
リンはすかさず突っ込む。
「いや魔力の質の話じゃなくて。冒険者として活躍できそうな子は居たか、って話」
ゲルダはヒューマンではなく、魔族である。
見た目はヒューマンとそれほど変わらないが、魔素濃度が非常に高い土地に適応し、普通の食べ物のほか、魔素や魔力も糧にして生きる。
魔素さえあれば飲まず食わずでも生きていける──というのは眉唾だが、ヒューマンよりかなり頑丈な種族だ。
本来なら東大陸の東の果て、魔素の濃集する特殊な地域でひっそりと暮らしているはずの魔族が、何故こんな島国に居るのか。
以前リンが訊いた時は『…暇だったから』という、なんとも気の抜ける答えが返って来た。
そんなゲルダは、アルビレオの魔力が『美味しいから』という理由で彼とパーティを組んでいる。理由はアレだが、魔法に長けたアルビレオと身体能力が高いゲルダ、なかなかにバランスの取れた組み合わせだ。
──ちなみにこの2人が新人教育を受けた際、ハンスは『こいつら特殊すぎるだろ…!』と頭を抱えて悩みに悩み、一周回って結局他の新人と全く同じように指導した。
結果、むしろアルビレオとゲルダからは信頼されるようになったのは何とも皮肉な話である。
なお、リンもこの2人にはハンスと同じくらい信頼されている。ハーフエルフと魔族という特殊な立ち位置を認識したうえで、友人として対等に接するからだ。
そのリンの問いに、ゲルダはゆっくりじっくり首を傾げ──
「──はい、サンドイッチと紅茶、お待たせしました」
目の前に食べ物が置かれた途端、先程までのスローモーな動きが嘘だったように機敏な動作でサンドイッチを掴んだ。
「いただきます」
表情は真顔のままだが、目が輝いている。
質問をスルーされたリンは溜息をついて苦笑し、レモンシャーベットをスプーンですくった。
「…まあいいけど」
「すまんな、リン。ゲルダは昨日の夕飯以降、何も食べていなくてな」
「それじゃ仕方な──ん? それって普通じゃない?」
朝食の時間としては少々遅いのは確かだが、夕食から朝食の間に何も食べていないのは別におかしなことではない。
リンが指摘すると、アルビレオは『バレたか』と肩を竦め、ゲルダは真面目な顔で首を横に振った。
「普通じゃない。いつもだったら寝る前に何か食べてる」
「太るわよ、ゲルダ」
「………魔族は太らないから大丈夫」
大丈夫と主張しつつも、目が泳いでいる。
実際のところ、魔族は魔素や魔力も糧にするので、食べ物を経口摂取する量はヒューマンの半分くらいで十分だ。それを考えると、ゲルダの食べる量は魔族として異常な部類に入る。
それでも太らないのは、種族の特性ではなく本人の体質の問題である。
「──それで、何を荒ぶっていたのだ?」
アルビレオとゲルダはサンドイッチを、リンはレモンシャーベットを堪能した後、アルビレオがリンに話を振った。
ここの店主のマルコスはごく弱い氷魔法の使い手だ。その彼がリンにお手製のシャーベットを出す時は、リンが荒れている時と相場が決まっている。
「そうそれ!」
リンがクワっと目を見開いた。
再燃した怒りをそのままに、リンが一通り事情を説明すると、アルビレオは呆れ顔になり、ゲルダは眉間にしわを寄せる。
「ハンスの後釜か…なかなかの無茶振りだな」
「むり」
「でしょ!?」
リンは大きく頷いた。
「いくらハンスさんのことを尊敬してるからって、そんな負担喜んで背負うわけないじゃない! ハンスさんが一緒にやってくれるならともかく!」
「あー…うむ、そうだな…?」
「うん…?」
ハンスが居なくなったからこそその仕事を押し付けられそうになったわけで、リンの主張は少々矛盾しているのだが、本人は大真面目だった。なかなか難儀な思考である。
首を傾げつつ曖昧に頷くアルビレオたちに、だからね、とリンは胸を張って続けた。
「私、エーギル支部に移籍することにしたわ」
「なるほど、ハンスを追いかけるわけだな?」
「押し掛け妻」
「ちがーう!!」
ゲルダの呟きに、リンの顔が一瞬で真っ赤になった。
立ち上がってカウンターに手をつき、あからさまに動揺している顔で主張する。
「上級冒険者は他の支部での仕事も経験しといた方が良いって話だし、このままここに居たらなし崩しに仕事振られそうだから避難するの! それだけ!!」
「ああはいはい、落ち着け」
アルビレオが耳を手で塞ぎ、半眼でゲルダを見遣った。
「ゲルダ、余計なことを言うな。これ以上リンが変に拗らせたらどうする」
「ゴメン」
「アルビレオ、あんたも大概だからね!?」
「分かった分かった。スマン」
キイっと叫ぶリンに、アルビレオが苦笑混じりに謝罪する。そして、
「──ところでリン。移籍するのは良いが、お前もう、5日後の新人教育の依頼を受けていたのではないか?」
「……………あっ」
受注した依頼を冒険者側の都合で破棄するのは、かなりのマイナスポイントになる。
リンがエーギル支部に向かうのは、まだ先の話のようだ。




