19 二の轍は踏まない。
リンが思考を切り替えたところで、受付カウンターから声が掛けられた。
「リンさん」
「はい?」
リンが振り返ると、目のクマの濃いギルド職員のウィリアムが、妙に平坦な表情で佇んでいた。
「ギルド長がお呼びです」
「へ? 私を?」
「はい。お時間、よろしいですか?」
「…分かりました」
一体何の用件だろうか。内心首を傾げつつも、ウィリアムの案内でリンはギルドの2階に上がり、通常はギルド職員しか入らないエリアを進んでギルド長室に入った。
「来たか」
出迎えたのは、前髪が後退気味の厳つい男──ギルド長のジークヴァルド。
リンがこの部屋に入るのは、上級冒険者へ昇格した時以来、2度目である。そういえばハンスはよく呼び出されていたが──と周囲を見回しても、当然ながらハンスの姿はない。
落胆するリンに、ジークヴァルドが苦笑した。
「ギルド長室に入ってこっちを見ないヤツは珍しいな」
「…すみません」
口では謝りつつも、リンの顔はぶすくれたままだ。
理由は簡単。冒険者の移籍にはギルド長の許可が要るわけで、つまりハンスがユグドラ支部から居なくなったのは半分はこの男のせいである、とリンは認識しているのである。なかなかに理不尽だ。
とはいえ、声を掛けられてなお無視するほど礼儀知らずではない。
姿勢を正すリンに向かって、ジークヴァルドが改まった表情で言う。
「上級冒険者のリンに、頼みがある」
「なんでしょうか」
「暫くの間でいい。ハンスの抜けた穴を埋める形で、新人教育を請け負って欲しい」
「え、イヤです」
即答だった。
すっぱりきっぱり、一瞬の躊躇もない。
ジークヴァルドは数秒固まり、その後眉間に深いしわを寄せ、辛うじて言葉を紡いだ。
「……あー、スマン。なんだって?」
「イヤです」
先程と全く同じトーン、全く同じ表情でリンが繰り返す。
その背後で、ウィリアムがそっと天を仰いだ。
ジークヴァルドが口元を引き攣らせる。
「……お前はハンスの教えを受けた上級冒険者、だろう? もう少し前向きに検討してくれても良いんじゃないか?」
「ハンスさんの教えを受けたからこそ、お断りします」
リンは腕組みして、ジト目でジークヴァルドを見遣った。
「ハンスさん曰く、『依頼内容の精査は冒険者の責任。一度請け負ったら断るのは難しいから、受注の前によくよく考えろ』だそうで──新人教育の依頼を『私が可能な範囲で』請け負う、だったらまだ分かりますよ? でも『ハンスの穴を埋める』ってことは、ほぼほぼ新人教育に掛かりっきりになりますよね? しかもあわよくば、みんながやりたがらない依頼も処理してくんないかなー、とか思ってますよね?」
「…」
ジークヴァルドがサッと目を逸らした。図星である。
「…と、取り急ぎ、だ。体制が整うまででいい」
「それっていつですか?」
リンはひたすら冷ややかだった。親子ほど年の差があるジークヴァルドがぎくりと肩を強張らせるのを見て、すうっと目を細める。
「大体、どういう感じに体制整えようとしてるんですか? 今度は『リンを中心とした教育体制』ですか? ハンスさんが抜けた途端、他の人間を『取り急ぎ』で生贄にしようとするのやめてくれません?」
「い、生贄って」
「私から見たらそうなんですよ。一人居なくなったら立ち行かなくなるやり方を、頭だけ挿げ替えて続けて、一体何になるって言うんです?」
「それは…」
リンが大変的確にジークヴァルドを追い詰める。
リンはハンスのことを心から尊敬していて、ずっとその姿や仕事ぶりを見てきた。ここ半年ほどは、時間を作って新人教育にも協力している。
だからこそ、その危うさが分かる。ハンスの果たす役割が大きすぎて、彼が居なくなったらこの支部はまともに機能しなくなるのではないかと、リンは以前から思っていた。
そして今まさに、その予感が現実のものとなろうとしている。
一応、ジークヴァルドたちは真面目に体制の変更を検討しようとしているのだが──先程行き着いた結論が『とりあえず当面は一番信頼できるリンに任せよう』だった。
どこかの世界の人材不足に喘ぐ企業のようだ。忙しいのは分かるが、大変に浅はかである。
だが生憎、リンはハンスの二の轍を踏むつもりはなかった。
何故なら、
「それに私、エーギル支部に移籍するので。『ハンスさんの後釜』になるのは無理です」
「な」
「えっ!?」
「上級冒険者に昇格したら、最低でも1年くらいは他の支部で経験を積んだ方が良いんですよね? 前々から考えてたんですけど、丁度良いのでエーギル支部に行きます」
確かに、上級冒険者は『他支部での活動』を経験することが推奨されている。
気候や文化、経済状況の違う街で経験を積むことで見識を深めろという意図があるのだが──まさかリンがこの局面でそれを持ち出して来るとは思っていなかったのだろう。ジークヴァルドはぽかんと口を開け、ウィリアムは目を見開く。
先に我に返ったのはウィリアムだった。
「ちょ、ちょっと待ってください! リンさんまで抜けたら、この支部は」
「この支部、私くらいの上級冒険者なんて掃いて捨てるほど居るじゃないですか」
「新人の指導が出来る人は、それほど居ません!」
ウィリアムの悲鳴を、リンはじろりと睨んで切り捨てる。
「今までハンスさんと『冒険者の自主性』とやらに任せて指導できる人材をちゃんと育成しなかった、そっちの怠慢ですよね? 人数が少なくなっても居なくなるわけじゃないし、足りなくなった分はそっちでなんとかしてください」
「なんとかって」
「私、知ってるんですよ」
リンは意地の悪い笑みを浮かべた。
「その気になれば、ギルド長の権限で冒険者に『拒否できない必須依頼』を発行出来ますよね? 自分に都合のいい仕事しかしてないやつらにでも命じてください。『少しはハンスさんの苦労を味わえ』って」
「……」
「それに、ギルド長だって元冒険者でしょう? その気になれば新人教育も出来るんじゃないですか?」
「いや、俺が持ってる知識は古すぎて」
「そんなのみんな一緒です。現役の冒険者だからって、全員が全員、最新の情報を持ってるわけじゃないです。ハンスさんだって、自分が知らないことは周囲に聞いて、情報を補ってたんですよ」
ずっと燻っていた思いを、リンはここぞとばかりに吐き出す。
「何もかも一人に押し付けて解決した気になってる組織なんてクソ喰らえです。そういう体制でいる限り、私はこの支部には戻って来ませんから」
どうせ移籍するのだと割り切った人間は強い。色々な意味で。
「──じゃあそういうことで。後で書類提出するんで、手続き、お願いしますね」
絶句するジークヴァルドたちを尻目に、リンは鼻息荒くギルド長室を出た。




