14 息抜き?
その後ハンスとスージーは畑に戻り、マンドラゴラの体液でまだら模様になった畑を改めて耕して──と言ってもハンスたちが戻った時には、既に7割方ポールが耕し終わっていたのだが──小麦の種をまいた。
「…本当にマンドラゴラ汁が入ってるところにまいて大丈夫なのか…?」
「大丈夫さ、もう何度もやってるしね。それにそれを言ったら、いつも使ってる堆肥なんてもとをただせば牛と豚と鶏のフ──」
「だー! おふくろ言うな! それ聞いて野菜食えないやつが増えたらどうすんだ!」
「なんだい、細かいね。村の人間はそんなの誰も気にしちゃいないだろ?」
「今、村には街の商人とかも来てるだろ…まあこんな外れの方までは来ないだろうけどよ…」
「…ハンス、話をするのはいいが、同じ場所に2度も3度もまくな」
「あっ」
少々トラブルもありつつ、何とか畑一枚分の種まきを終え──
「次に行くぞ」
「………分かってたけどよ!」
終わらない作業に、ハンスは涙声で叫んだ。
そして、3日後。
ようやく農作業に一区切りつけて、ハンスは上エーギル村の冒険者ギルドに顔を出した。
ハンスとしては、移籍の処理が終わったらすぐにでも依頼を受けようと思っていたのだが、そう簡単に事が運ぶはずがない。
現に今日も、区切りがよかったとはいえ畑でやること自体はあったのだが、ハンスは『そろそろギルドに顔を出して状況を確認しといた方が良いから』と言ってそそくさと家を出て来た。
逃げて来た、とも言う。
(…別に畑仕事が嫌になったわけじゃないぞ。息抜きも必要だからな)
今までメインの仕事だった冒険者稼業がハンスの脳内で『息抜き』扱いになっているあたり、物悲しいものがある。
「あらハンス、おはよう」
ギルドの受付には、今日もエリーが立っていた。おはようと返していると、横で口笛が上がる。
「おおっ、誰かと思ったらユグドラ支部の『安全パイのハンス』さんじゃあございませんかー!」
「街で一旗揚げられなくて田舎にすごすご帰ったっつーのは本当だったんだなあ!」
「なるほど、こんなド田舎ならあんたの故郷ってのも納得だ!」
受付ホールのテーブルに陣取った、いかにもベテラン然とした若い冒険者2人が、ニヤニヤ笑いながらハンスを見ていた。エリーがムッとした顔で彼らを見遣り、ハンスは内心で溜息をつく。
(…なるほど、最近ユグドラ支部で見なくなったと思ったが、こっちに来てたのか)
上級冒険者のグリンデルとヴァルト──ユグドラ支部では色々な意味で有名だった2人組だ。主に悪い意味で。
ハンスは腕組みして平坦な顔になった。
「久しぶりだな、ユグドラ支部の高慢冒険者筆頭ども。相変わらずイキってるようで何よりだ」
「あんだと?」
ハンスの安い挑発に、2人はサッと表情を変える。
「相変わらず口の減らねぇジジイだな…!」
「俺らの方が格上だってこと、もう忘れやがったのか!? 歳は取りたくねぇもんだな!」
腰を浮かせて噛み付いて来る2人に、ハンスはわざとらしく渋面を作った。
「ジジイじゃねぇ。それに、オレも一応上級冒険者だからな? 派手な実績がないからって格下呼ばわりされる筋合いはねぇよ。あとな──」
にやり、口の端を上げる。
「お前らの新人指導をしたのはオレだってことを忘れたか? 若い脳みそは都合よく出来てるもんだなあ。なんだったら、新人時代の恥ずかしいエピソードをこの村の連中に吹聴したっていいんだぜ? お前らの言う『田舎』はいつでも娯楽に飢えてるからな。面白おかしく、あっという間に広まるだろうよ」
「なっ…!」
10年ほど前、ユグドラ支部で冒険者登録したばかりだったこの2人の指導を担当したのは、誰あろうハンスである。
当時はそれはそれは素直な少年たちだったのに、実績を積んで上級冒険者になったらこの有り様。
特に、半年ほど王都の支部に行って帰って来てからは、ハンスだけでなくユグドラ支部所属の冒険者全員を『田舎者』と嘲笑うようになり、周囲の顰蹙を買っていた。
おそらくエーギル支部に来たのも、ユグドラ支部に居難くなったか、体よく厄介払いされたかのどちらかだろう──ハンスは内心で溜息をつく。
(まさかまたこいつらと顔突き合わせることになるとはな…)
ハンスからしてみれば『田舎を馬鹿にするなら都会に行け』という一言に尽きるが…実際一度王都の支部からユグドラ支部へ出戻った実績のあるこの2人には難しかった。
結果、ユグドラ支部よりさらに田舎──と言うか僻地のエーギル支部へとやって来たわけだ。何とも皮肉な話である。
「手前ェ…!」
気色ばむグリンデルとヴァルトに、ハンスは面倒臭そうに手を振った。
「ほれ、オレみたいなのに構ってる暇があるなら依頼の一つでもこなしとけ。冒険者同士のいざこざじゃ、カネは入って来ねぇぞ」
「…っ…、言われるまでもねぇよ!」
バン!とテーブルを叩いて立ち上がった2人は、掲示板から乱暴に依頼書を剝がし、受付カウンターに放り投げた。
眉を顰めながらもその依頼書に目を通したエリーが、軽く目を見張る。
「…え、これ大丈夫?」
「あんだよ。いいからさっさと処理しろよオバサン」
「おばっ……──分かったわ」
エリーが絶句した後、スン…と平坦な顔になった。ハンスの背中がゾワッとする。
(うわ、あれはヤバい)
今、グリンデルとヴァルトはエリーの逆鱗に触れた。
エリーは真顔で書類を処理して、いいわよ、と呟く。
「受注手続き完了したわ。坑道の定期清掃──アクアバットとデスイーターの掃討依頼。目標最低ラインは、各魔物50体ずつ」
『…はあ!?』
目を剥く2人に、エリーはごりっとした笑みを向ける。
「アクアバットの討伐証明部位は右耳、デスイーターは左の触覚よ。当然ベテラン上級冒険者なら知ってるでしょうけど、討伐証明部位がなければ実績としてカウントされないから注意してね?」
「ちょっ…なんだよその依頼!?」
「数多すぎるだろ!」
どうやら、依頼内容をろくに確認していなかったらしい。文句を並べる2人に、エリーは依頼書を突き付けた。
「あなたたちが、自分で選んだ依頼よ? もちろん、出来るからこそ受けたのよね?」
「うっ…」
「受注取り消しでも良いけど、経歴には傷がつくわよ」
「それは…」
『いいからさっさと処理しろよ』と言ってしまったのが運の尽き。何より、ギルドの受付担当であるエリーを怒らせたのは致命傷だ。
(やっちまったな)
普通なら絶対に2人では受けない──職員が止めるはずの依頼を請け負ってしまったグリンデルとヴァルトは、依頼書の写しを受け取り、すごすごとギルドを出て行った。
「…ふう」
「お見事。流石はベテラン職員だな」
一仕事終えた表情のエリーに、ハンスは称賛の拍手を贈った。
半ばあの2人の自業自得とはいえ、ガタイの良い冒険者の怒鳴り声に欠片も動揺しないエリーの胆力は『流石』としか言いようがない。
エリーは腰に手を当てて苦笑し、あんたもねハンス、と応じた。
「あんなのの新人教育もやってたのね。相当苦労したんじゃないの?」
「新人時代は目ェキラッキラさせた素直な少年たちだったんだぜ、あれ」
「うっそマジ? 時の流れって残酷ねえ…」
いかにも年長者っぽい会話を繰り広げた後、ハンスとエリーは同時に真顔になった。
「…ダメね。会話が老けてるわ」
「このままだとそれこそ口うるさいオッサンオバサンまっしぐらだな」
「オバサン言うな。私まだ30代よ」
「そりゃオレもだ」
例えば甥っ子や姪っ子、子どもに『おじさん』『おばさん』と呼ばれるのは受け入れられるが、それほど歳が離れていない赤の他人にそう呼ばれたくはない。
30代のココロは複雑である。




