13 副次効果
父ポールのぎっくり腰の原因を知りハンスが呆然としていると、後ろから小柄な男がやって来た。
「ようスージー! またマンドラゴラが採れ──……お?」
振り返ったハンスと目が合い、男はぽかんと口を開ける。
背が低いわりに肩幅は広く、全体的にがっしりした体つきの、壮年の男。
ハンスの記憶にある姿とそれほど変わっていないように思えるのは、昔と同じスキンヘッドで、全身浅黒く日焼けしているからだろう。
シワは増えたが色合い的にあまり目立たないし、そもそも動きが若々しい。
「ガイのおやっさん、久しぶりだな」
ハンスが声を掛けると、男──ガイは一瞬目を見張った後、大きく破顔した。
「ハンスか! すっかり見違えたな!」
「おやっさんは変わらねぇな」
「まあな!」
カラリと笑う、その表情が若い。
これでもポールと同い年なのだが、見方によってはハンスと同年代に見える。雰囲気の問題で。
(…オレが老けてるわけじゃないぞ)
ハンスは誰にともなく内心で言い訳する。
ガイはハンスを上から下まで楽しそうに眺め、
「しっかし、ずいぶん落ち着いた大人の男になったじゃねぇか。よく帰って来たな。街でも相当モテてたんじゃないか?」
一歩間違うと枯れ木のようなハンスの雰囲気も、ものは言いようというやつだ。
ハンスはがしがしと頭を掻いた。
「ンなこたねぇって。それなりに話をする相手は居ても、良い仲になったりはしねぇさ。ガイのおやっさんと違ってな」
朴念仁の認識は、残念ながらこの程度である。
ちなみにガイは、若い頃は大変モテた。
何しろいつもポジティブで、大抵のことを大らかに受け止めて笑い飛ばす気概がある。
つまりこういうことだ。
「ははは! 褒めても何も出ねぇぞ!」
ハンスの皮肉交じりの言葉に、ガイは笑って胸を張った。
で、と、台車の上に山と積まれたマンドラゴラを見遣る。
「ハンスはポールとスージーの手伝いか。ポールのやつも喜んでただろ?」
「…喜んでたか…?」
ハンスが首を傾げると、ガイはその背中をバシッと叩く。
「喜んでるだろ間違いなく! ここ10年でかなり状況が変わったからな。ヤツも大概だけどよ、やっぱ大変なモンは大変なんだよ。若いのが帰って来て喜ばねぇ親は居ないぜ。賑やかになるしな!」
(…そういや、おやっさんとこは…)
ガイは28年前、一人娘を病で亡くした。
小さな墓石の前で泣き崩れていたガイの背中は、当時まだ6歳だったハンスもよく憶えている。忘れるはずがない──2歳下の少女は、ハンスのことを『おにいちゃん』と慕ってくれていたのだ。
ガイはその後妻も亡くし、それ以来ずっと一人暮らしだ。
豚も鶏も居るから毎日忙しいぜ!と、20年前は明らかに空元気と分かる笑顔を浮かべていた。
今のガイに、その頃あった翳りは見えない。
ハンスが内心ホッとしていると、ガイはツバキに目を向けた。
「ウチもツバキたちのお陰で、ずいぶん助かってるぜ」
《ふふ、当然よ》
ツバキが嬉しそうに応じた。
《いつも美味しい食事と暖かくて安全な寝床を用意してくれるガイには、感謝してるんだから》
「おう、こちらこそありがとよ!」
台詞だけなら、爽やかなお礼合戦だが──
(…な、なんか、雰囲気変わったな…)
ガイの表情が明らかにデレッデレだった。
翳りがなくなった代わりに、何か直視してはいけないような空気になっている。オッサンのデレ顔である。
誰得だよ、と内心突っ込みながら、ハンスはそっと目を逸らした。
すると、何とも微妙な苦笑いを浮かべたスージーと目が合う。
「…おふくろ、ガイのおやっさんって前からこんなだったか…?」
「…言いたいことは分かるよ、ハンス」
スージーは重々しく頷いた。
「でも、迂闊なことは言わないことだ。ケットシーたちは、ウチの村の貴重な『担い手』だからね」
「担い手?」
「…あんたもそのうち分かるよ」
その後ハンスとスージーはマンドラゴラの死体を8割方ガイに渡し、代わりにガイ謹製のベーコンを貰った。
マンドラゴラは森に隣接していて土質の良い畑にしか現れないため、家畜のエサとしてはかなり貴重な部類に入るらしい。
ガイは『ポールんとこは、耕したら翌日いくらでも回収出来るから良いよなあ』と笑っていたが、ハンスはそれを聞いて絶望的な気分になった。
(つまり今後も日常的にマンドラゴラの殲滅作業が入るってことじゃねぇか…)
少なくともハンスの子どもの頃は、畑にマンドラゴラがホイホイ生えているなんてことはなかった気がするのだが、一体どういうことなのか。
一旦家に帰り、ベーコンを保冷庫に仕舞い込みながらハンスが訊くと、スージーはあっさりと答えた。
「マンドラゴラが増えたのは、あんたが街に出てからだね。昔はたまーに生えてても、1本か2本くらいだったんだが」
それくらいなら、刺して沈黙させた後にその辺に埋めることも出来た。
ハンスが知らなかったのは、流石に子どもがうっかり抜いてしまったら危険だからと、毎日大人たちが朝早くに確認して処理していたからだ。
今では処理し切れなくなったので、子どもたちには学舎で『絶対抜いてはいけない草』として教えている。
「家畜のエサになるって分かったのは偶然でね。引っこ抜いたマンドラゴラを山積みにしてさてどうしようかって時に、ウチの鶏が寄って来て、ものすごい勢いで食べ始めたのさ」
下エーギル村では、ガイのように畜産業として鶏を飼っている家もあるが、自家消費用の鶏を飼っている家も多い。
冬の間は雪に閉ざされるので、小屋で飼える鶏やその卵がたんぱく源として重宝されているのだ。
ハンスの家にも、常時10羽ほどの鶏が居る。
冬期には家に隣接した鶏小屋に籠っているが、春から秋に掛けてはわりと自由に村の中を闊歩している。
その鶏が、畑に生えているマンドラゴラには見向きもしなかったのに、駆除したマンドラゴラには大変な勢いで喰い付いたのだ、とスージーは言った。
「最初はびっくりしたけどねぇ。特に調子が悪くなるわけでもなく、むしろ産む卵が一回り大きくなって親鶏も活発になったんで、もしかしたらってことで豚とか牛にもあげてみたんだよ」
もしかしたらで食べさせる度胸よ。
ハンスはドン引きしているが──結果、マンドラゴラの死体は家畜全般のエサとして使えることが分かった。
「そういうわけだからハンス、これをウチの鶏小屋に持ってっとくれ。エサ箱に入れれば、ウチの鶏はすぐ気が付くからね」
「分かった」
「気を付けるんだよ」
「お、おう…?」
ハンスは首を傾げながらしなびたマンドラゴラを受け取り、階段わきの納戸を経由して直接鶏小屋に出た。
そういえば、ウチの鶏をまともに見るのは帰って来てから初めてだ──そう思いつつドアを閉め、小屋の中を振り返ると、
──グォゲッ
「…………は?」
鶏が居た。居たが──
──気を付けるんだよ。
スージーが妙に深刻な顔をしていた意味を、ハンスは一瞬で理解する。何故なら、
──グエエエエエエエ──!!
「なああああっ!?」
野太い声。鮮やかな紅色の鶏冠。茶褐色のまだら模様のボディ。細いように見えて力強い脚。
そこまではハンスの覚えているままの姿だが、
「ぐえっ!?」
みぞおちに強烈な体当たりを喰らい、ハンスはマンドラゴラを取り落とした。
藁を敷いた地面にマンドラゴラが散らばり、そこに鶏たちが殺到する。
ドスッ!と鋭いくちばしがマンドラゴラの本体を貫き、次の瞬間、本体部分は口の中に消えた。
くちばしからはみ出た葉の部分を別の鶏が咥えて引っ張り、ブチブチと音を立てて解体していく。
つまり、マンドラゴラ本体を丸呑みに出来る程度に──鶏がデカい。
「………マジかよ…」
大型犬サイズの鶏を前に、ハンスは呆然と呟いた。
──ちなみに。
鶏に限らず、マンドラゴラを食べて世代を重ねた家畜は軒並み巨大化する傾向があり、放牧場に居た豚も牛も、本来の1.5倍ほどのサイズになっていたのだが──あまりにも遠すぎたため、ハンスは気付いていなかった。




