128 エピローグ そして還る日常
上エーギル村と下エーギル村の騒動は、こうして幕を閉じた。
襲撃を画策した人間と実行犯は根こそぎ捕らえられ、冒険者ギルドを通じて国の司法機関に引き渡された。
冒険者ギルドが関わったことで今回の事態は他国にも広く知られることとなり、揉み消すことはもはや不可能。
調査の結果、罪状は2つの村に対する襲撃企図及び襲撃未遂、国際禁止薬物の製造・流通・所持・使用、闇市場での違法取引、取引相手に対する脅迫・詐欺、書類偽造、脱税など多岐にわたった。
王立研究院の室長は複数人失職、捕縛され、カロッツァ商会は商会長及び各支店長、幹部たちが軒並み捕縛されたことで事実上消滅。禁止薬物や各種違法取引の処罰対象は、傘下の商会や、カロッツァ商会と癒着していた政府関係者にまで広がった。
これにより国内の商取引の勢力図は一変し、一連の騒動は、後の世に『カロッツァ事変』として語り継がれることになる。
一方、上エーギル村と下エーギル村の人々は、襲撃事件の後すぐに日常に戻っていった。農作業も家畜の世話も、待ってはくれないからだ。
カロッツァ商会が瓦解したことで上エーギル村の水の魔石の買取契約は宙に浮くことになったが、ナターシャの計らいで、取り急ぎユグドラの街の商業連合が契約を引き継いだ。勿論、魔石の買取価格は最新の動向を見て決める方向で。
そうしてようやく落ち着きを取り戻した秋、おおよそ10年ぶりに、上エーギル村と下エーギル村合同で収穫祭が行われた。
下エーギル村の牧草地に複数の大鍋が並び、それぞれ味わいの異なる野菜スープと持ち寄りの料理を好きなだけ食べ、歌い、踊り、お互いの努力と苦労を称え合い、いたわり合う。
上エーギル村も下エーギル村も関係なく笑い合う光景は、かつてと同じ──いや、それ以上に温かく、昔を知る年嵩の者たちの中には、こっそりと涙を流す者もいた。
上級冒険者のアルビレオとゲルダは、そんな村の様子を見届けてからユグドラの街へ戻った。
が、ゲルダが下エーギル村の食堂と上エーギル村のヤギミルク専門店をいたく気に入ったため、その後も依頼にかこつけて度々村を訪れるようになる。
そして──
冬も間近に迫るよく晴れた日。
下エーギル村の入口で、ハンスはリンと向かい合っていた。
「それじゃあハンスさん、留守中はよろしくお願いしますね」
明るい表情で告げるリンは、いつもと同じ格好にフード付きのコートを羽織っている。ポーチ型の圧縮バッグは膨れていて、中身をぎっしり詰め込まれているのが分かる。パッと見には分かりにくいが、れっきとした旅装である。
「おう、任せとけ。リンも気を付けてな」
そんな姿のリンを前に、ハンスも明るい声で応じた。
──リンが「故郷に戻る」と言い出したのは、数日前のこと。
上エーギル村と下エーギル村の一連の騒動に、思うところがあったらしい。時折難しい顔をして何かを考えているリンを、エーギル支部の仲間だけではなく、上エーギル村と下エーギル村の村人たちも心配していた。
エーギル支部の受付ホールで「故郷に戻ります」と宣言したリンはそれはそれは深刻そうな顔で、もう戻って来ないのではないかとハンスたちは思った。
が、
「春には帰って来ますからね!」
リンが言う「故郷に戻る」は、あくまで一時的なもの。
今回の騒動に関連して、上エーギル村の魔石鉱山で起きていた魔素中毒も表沙汰になった。それにより、各地にある魔石鉱山に国からの調査が入ることになった。
リンの故郷にも火と土の魔石鉱山がある。そして昔、魔素中毒と思しき症状で村人たちが何人も犠牲になっている。
故郷を離れても、今もその症状に苦しんでいる者は多い。リンは昔の伝手を辿り、そんな元村人たちの現状を調べる手伝いをすることにしたのだ。
これは冒険者ギルドからの正式な依頼。リンの過去を知るエセルバートが、密かにリンに打診していた。
そのことを後から知ったハンスとエリーは、「それならそうと最初から言え!」とエセルバートに詰め寄ることになったが。
「あんまり張り切りすぎるなよ」
現時点で気合いが入りまくっているリンの様子に、ハンスは苦笑する。
初回の調査はこの冬、長くても半年程度だ。状況によっては来冬にも調査依頼が来る可能性があるが、あくまで冬のみ。エーギル山の特性を鑑みて、魔物が活性化する春には帰って来れるよう配慮されている。
「自分の活動拠点はあくまでもエーギル支部だ」と、リンが主張した結果である。
ハンスの忠告に嬉しそうに頷いたリンは、ハンスの右側に視線を向けた。
「モクレンも、私が不在の間はよろしくね」
ハンスの肩の上に陣取るモクレンが、キラリと目を輝かせて胸を張る。
《任せとけ! 上エーギル村の魔物退治はあっちのおっちゃんたちがやるって言ってるしな!》
それはつまり、リンが請け負っていた冬期の魔物退治を鉱夫が担い、モクレンが『任される』要素は欠片もないということだが。
「お前、冬場はろくに働いてないだろ」
《何っ!? この俺の豊満ボディを自分が暖を取るために使ってるオッサンが何を言う!》
「オッサン言うな!」
ハンスは即座に言い返した。
実際ハンスのコートの内側にはモクレン用のポケットが装備されていて、洞窟探索や冬期の井戸のメンテナンスの時には色々と大活躍だったのだが、それはそれ。
いつもの調子でやり取りするモクレンとハンスに、リンはふふっと笑みを零す。
そして不意に、真剣な表情になった。
「──ちゃんと帰ってきますから。だから、その、帰ってきたら…」
言葉を並べるにつれ、ほんのりと目が潤み、どんどん頬が赤くなっていく。
第三者にとっては、何を言いたいのかはっきりと分かる表情だが──悲しいかな、目の前に居るのは朴念仁と名高いハンスだった。
「リン、大丈夫か?」
本気で心配する顔で、ハンスが訊く。
モクレンがその肩の上で天を仰いだ。
《……これだよ》
落胆まじりの念話は、ハンスの耳には届かないよう調整されている。
リンは一瞬動揺した後、スン…と平静に戻った。深く息を吐くと、あっという間に頬の赤みが引く。
「──大丈夫です!」
改めてハンスを見上げる表情は、キリッと引き締められていた。
「それじゃ、そろそろ出発しますね」
リンが足を向ける先、街道の入口には、ラキス商会の装甲馬車が待っている。護衛依頼をこなしつつユグドラの街まで運んでもらい、そこから乗合馬車で北へ向かう、長い旅だ。
ハンスは手を挙げて笑顔を作った。
「おう、行ってこい。無理はするなよ!」
「はい! 行ってきます!」
リンも笑顔で応じ、くるりと背を向けて、軽い足取りで馬車へ駆け寄る。
リンが乗り込むと、すっかり顔馴染みになった御者──ラキス商会の年嵩の商会員が、ハンスたちににこやかに一礼して馬に軽くムチを入れる。
ゆっくりと動き出す馬車を、ハンスは見えなくなるまで見送っていた。
そうして──
「──さて」
ハンスは街道から視線をずらし、村の中をぐるりと見遣る。
入口の広場の中央には、ハンスが王立研究院ユグドラ研究所から連れ帰ったベトゥラが植えられている。ハンスから話を聞いた村の住民たちが、ベトゥラのために専用の石組みと土を用意してくれたのだ。
そこに定植されたベトゥラは、樹木に詳しいジョン一家の手厚い世話を受け、ケットシーたちから魔力を貰い、あっという間に成長した。
今ではハンスの身長の倍を超える高さになり、枝葉も充実して、村のシンボルツリーのような扱いを受けている。
「今日も警備をよろしく頼むぜ」
ハンスがその幹に触れると、ベトゥラは嬉しそうにさわさわと枝を動かした。
このベトゥラ、後々野菜泥棒を大量捕獲して、村の守護者として大層感謝されるようになるのだが──それはまだ先の話である。
《ハンス、今日は何の仕事だ?》
モクレンが肩の上で首を傾げる。
ハンスは即座に答えた。
「今日はライ麦の種まきと牧草の収穫手伝い、あと冬に向けた井戸の状況確認だな。お前も手伝えよ?」
《それは報酬次第だなー》
「…ったく…。──鶏ハムで良いか?」
そんな話をしながら、ハンスとモクレンは村の奥へと向かう。
その背中を追うように、ひんやりとした晩秋の風が吹いた。
下エーギル村の日常は、何はどうあれ、これからも続いていくのだ。
…というわけで、兼業農家やってるオッサン冒険者の話、これにて終幕です。
お読みくださったみなさま、お付き合いいただきありがとうございました!
えー、オチを一言で表現しますと、オッサンと後輩がくっつくんじゃないのかよ!?…という感じですね。でも仕方ない。何せオッサンなので(オイ)
それでは以下、毎回恒例、読まなくても良い蛇足です。
この作品の隠れた(?)テーマは、『冒険者を名乗るオッサンが兼業農家を名乗るようになるまで』だったりします。
よーく発言を追っていくと分かるんですが、ハンス氏、最初は自分のことを『冒険者』って名乗ってるんですね。それが、名乗りの中でも段々農家成分が多くなっていく。
つまり思考の中心、自分の軸が段々農家になっていくんです。
その辺を上手く表現できていたらいいな、と思います。
農家とか田舎暮らしって、スローライフなイメージがありますが…現実はちょっと、いやかなり違う。
肉体労働ドンと来い。天候害虫病気に害獣、対処しなきゃいけないことも満載。思い通りにいかないことの方が多い。
本気でやるなら生物学とか経理とか流通とか、現代日本なら機械系の知識だってあった方が良い。
オフィスワークとはまた違った苦労が満載の職業、それが農業。
日本全国の農家のみなさま、いつも本当にありがとうございます…!!
…という思いを詰め込んだ本作。
実は一つ、執筆中に困ったことがありまして。
連載を始めた頃から、ラスボス的な存在を『ワイルドベア』にしようっていうのは決めてたんですよ。
そしたらこの夏から秋にかけて、すっごい増えたじゃないですか…クマ被害…。
痛ましい事件が増える中、この状況でファンタジーとはいえほいほいクマ出して良いのか!?と、ものすごく悩みました…いや結局そのまま書いたんですが…。
クマの被害に遭われたみなさまには、心からお見舞い申し上げます…。
ともあれ、ここまで読んでくださったみなさま、改めてありがとうございます。
ハンス氏の物語はひとまずこれでおしまいですが、いいねとかブックマークとか評価の☆とかレビューとかいただけると、調子に乗って続きやこぼれ話を書き始めるかも知れません(笑)
それではまた、どこかでお会いできることを祈って。




