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兼業農家冒険者のスローライフ(?)な日々~農業滅茶苦茶キツいんだけど、誰にクレーム入れたらいい?~  作者: 晩夏ノ空


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127 移住のススメ


「ハンスさん!」


 扉の向こうから、リンがひょこっと顔を出す。


「こちらはお仕事完了しました! 何か手伝うことはありますか?」

「お、早かったな。こっちも終わったところだ」


 応じながら、ハンスは手際よくヒューレックの手に縄をかけ、後ろ手に縛り上げて立ち上がらせる。

 ヒューレックの手に繋がる縄をリンが持ち、ハンスたちは連れ立って部屋を出た。


 廊下を進むと、研究所とは思えない厳つい集団が通路を塞いでいた。


「…研究者じゃないやつらが多いみたいだが」

「あ、はい。やっぱり、護衛名目で雇ってたみたいで」


 ハンスが若干顔を引き攣らせると、リンがけろりと答えた。

 魔素研究部門基礎研究室に踏み込んだリンたちは、研究者ではなく、筋骨隆々の男たちの出迎えを受けた。

 が、最初から武力制圧する気満々だった冒険者たちの敵ではなかった。

 飛んで火にいる夏の虫、こいつら自身も証拠になる、と喜んだ冒険者一同の手によって男たちはものの数分で制圧され、その奥に隠れていた基礎研究室長と応用研究室長もあっさり捕縛された。


「思ったより弱かったです」

「…あんまり言ってやるな」


 とてもイイ笑顔のリンの背後で、縛り上げられた男たちが涙を呑んでいる。


 ハンスは少々男たちに同情した。見た目は華奢で小柄だが、リンはれっきとした上級冒険者。一緒に来た他の冒険者たちも、野盗の制圧など対人戦が得意な者ばかりだ。相手が悪かったと言うほかない。


 ともあれ、これで用事は済んだ。捕縛した者たちを中心に、それを冒険者が囲む形で、ハンスたちは出口で向かう。

 回廊に出て中庭に差し掛かったところで、ハンスはふと眉をひそめた。


(うん…?)


 ユグドラ研究所の中庭は、研究員たちの休憩スペースを兼ねている。程よく手入れされた庭木は青々と葉を広げ、レンガに囲まれた花壇には晩夏から初秋にかけての花々が品よく咲き乱れて、中央には小さな噴水まである。いかにも高級感のある庭園なのだが──

 その片隅に、妙にわっさりと生い茂る木があった。


 他の木はきちんと整えられ、すっきりとまとまっているのに対して、その木だけは見るからに茂り放題の伸び放題。一部の枝は伸びすぎて、ハンスたちの行く手、回廊を半ば塞いでいる。

 管理された庭の中で、あまりに異質だった。


「通りにくそうですね…」


 リンが眉間にしわを寄せている。

 しかし一応通れないほどではないし、出口へはこのルートが最短だ。ハンスたちはそのまま進み、その木の枝を避け──



「今だ! やれ!」


「!」



 ハンスが枝の真横に並んだ瞬間、ヒューレックが叫び、通路にはみ出していた枝がブワッと動いた。

 跳ね上がって伸長し、ハンスに向けて勢いよく振り下ろされ──


「ハンスさんっ!」


 ──ぱしっ。


 ハンスはその枝を、素手で掴んだ。


「……」

「……は?」


 短剣を抜きかけたリンが中途半端なポーズで固まり、ヒューレックや他の者たちがぽかんと口を開ける中、ハンスは枝を真顔で見詰める。

 捕まえられたことが予想外だったのか、枝はハンスの手の中でビチビチと悶えていた。水揚げされた魚のようだ。


「…やっぱ、()()()()か」


 ハンスの呟きに、リンがあっと声を上げる。


 ベトゥラ──植物に近い魔物の一種である。

 見た目は普通の樹木とそれほど変わらないが、枝を自在に動かせるなどの特徴があり、生育には水と地中の栄養と日の光のほかに、魔力を必要とする。

 ある程度の知性を有し、魔力の提供者の指示に従う性質があることから、貴族の邸宅などに防犯目的で植えられていることもある。

 なおその枝の一撃は強力で、普通は()()()()()()()()()()()()()()()()()()である。


「……」


 ビタンビタンと手の中で暴れる枝を見詰めること暫し。


「…日照不足と栄養過多」


 ぼそりと放たれたハンスのコメントに、枝がぴたりと動きを止めた。

 何の話だと呆然としている周囲には構わず、ハンスは手を放し、枝に生い茂る濃い緑色の葉を摘まむ。


「葉色が濃すぎる。まあ中庭だしな、建物に囲まれてるし、直射日光が当たる時間が短すぎるんだろ。あと、枝葉の密度が高すぎる。肥料をやりすぎたな。風通しが悪くてカビる原因になるし、虫に食われやすくなるぞ」


 そこまで一気に並べ立てて、ハンスは呆れ顔でヒューレックを見遣った。


「仮にも魔法植物室長だろ。もうちょっと考えてやれよ」

「なっ…!」


 ヒューレックは顔を赤くして絶句した。


 このベトゥラを栽培していたのは、誰あろうヒューレックである。カロッツァ商会から「お近付きの印に」と贈られたもので、上手く育てると自分の指示に従う番犬ならぬ番樹になると聞き、せっせと世話を焼いてきた。


 だが悲しいかな、ヒューレックは魔法植物室長でありながら、植物の栽培経験がほとんどなかった。研究対象の世話を下働きや助手、ハンスたちのような外部の人間に丸投げしてきた弊害である。

 きちんと調べればいいものを、室長という肩書に(おご)ってそれを(おこた)り、「水と肥料と魔力を与えればいい」という『なんとなく』の知識で給水と施肥と魔力提供をそれはそれは熱心に行った結果、ベトゥラはヒューレックの指示に従う番樹になったものの、見事メタボと化していた。


 枯れなかったのは、ひとえにベトゥラが魔物だったからである。


 ハンスの指摘が図星だったからか、枝はすっかり大人しくなっている。ユークレースがとても気まずそうに目を逸らした。


「中庭は共用区画なのですが…そちらの木の周辺だけは、室長が立ち入り禁止扱いにしていましたもので…」

「あー、だから他の人間は手を出せなかったのか」


 よく見ると、ベトゥラの根元の周囲に赤いロープが張ってある。一部区画を私物化していたということだ。

 しかしヒューレックが捕まり、ユークレースも同行する以上、今後ベトゥラを世話してくれる人間は研究所には居ないだろう。ハンスは少し考え、よし、と枝に目を向けた。


「お前、下エーギル村に移住しないか?」

「えっ」

「は?」


 唖然とする周囲に構わず、ハンスはベトゥラに向かって語り掛ける。


「ここはお前にとって良い環境じゃないだろ? 今までお前の世話をしてたやつも、もうここには戻って来られないだろうしな。ウチの村なら土地は余ってるし、農家が多いからちゃんと世話してやれる。少なくとも、ここよりずっと日当たりはいい。まあちっとばかし寒いが──確か耐寒性はあったよな?」


 問いに、枝の先がゆっくり上下に振れた。肯定である。

 ハンスは頷き、どうだ?と再度問い掛けた。


「できれば村の入口で門番的なことをしてほしいんだが」


 すると数秒の間を置いて、ベトゥラは幹全体をゆっくり前傾させた。


「おっ、来てくれるか!」


 ──コクリ。


「よしよし。じゃあ後で移植の準備をして迎えに来るからな。お前結構デカいから、乗せられる馬車を確保すんのにちっとばかし時間がかかるかも知れねぇが──お?」


 ハンスの説明の途中でベトゥラの地上部全体が小刻みに震え──盛大に葉を落とし、シュルシュルと衣擦れのような音を立てて縮んだ。


「ち、小さくなった?」


 リンの呟きが零れる中、腰くらいまでの高さの若木に姿を変えたベトゥラの根元の土がボコッと盛り上がる。


「自分で抜いた!?」


 リンが叫ぶ。

 その言葉通り、自ら根っこを引き抜いたベトゥラは、完全に地表に出ると──へちょ、とその場に倒れた。

 ハンスが目を見開く。


「ばっ…! 無茶すんな! ──ユークレース、すまねぇ、土入れられるような丈夫な袋あるか!?」

「と、取って来ます!」

「ハンスさん、とりあえず水…!」

「おう、頼むリン!」


 捕らえられた一同と他の冒険者たちを完全に置き去りにして、ユークレースとリンとハンスが慌ただしく動き出す。


「……なんなんだ…」


 誰かの声が虚しく響いた。





 ──ちなみに。


 ベトゥラが移住を決めたのは、現状の生育環境があまりにも不適だったこともあるが。


 ハンスが枝を素手で受け止めた瞬間、手を介してハンスの胸元のウロコからベトゥラにドラゴンの魔力が流れ込み、ヒューレックが与えていた魔力の総量をあっさり上回ってしまったのが決め手だった。

 移住しないかと誘われた時、ベトゥラは既にヒューレックではなく、ハンスの指示に従うようになっていたのである。


 なおエーギルから授けられたウロコの効果は、それだけではない。


 ウロコに宿った膨大な魔力は、人の身には過ぎたもの。故に、普段は表に出て来ることはない。

 だが、ハンスが何らかの困難に立ち向かう時、戦う意思を見せた時、ウロコから自然と魔力が漏れ出し、ハンスに力を貸す。魔法としてではなく、ハンス自身と、ハンスが持つ武器を強化する形で。


 つまり、魔物寄せに狂ったワイルドベアの頭を半ば両断した時も、プルートホーンの腕を斬り飛ばした時も、エーギルのウロコが力を貸していたのだ。


 無論これは、ウロコを得れば誰もが受けられる恩恵、というわけではない。


 水のドラゴンが好む、本質的な部分で真っ直ぐな性根。エーギル山の魔素に馴染んだ身体と、生来持つ絶妙なバランスの水属性と土属性に対する適性。

 それら全てが奇跡的な確率で噛み合い、ハンスをドラゴンの魔力を扱う人間、すなわち伝説の『龍人種(ドラグーン)』と同様の存在へと昇華させた。


 もっとも──ハンスにその自覚はない。

 そして、それが発覚することもない。

 ハンスはあくまで片田舎の農家、兼、一介の冒険者であり、その立ち位置が変わることはないからだ。

 唯一、魔力の大元であるエーギルだけは気付いているが──見かけによらずお茶目なドラゴンは、敢えて黙っているのだった。




「それにしてもハンスさん、よくベトゥラを説得できましたね」


 研究所から冒険者ギルドユグドラ支部へ容疑者たちを護送する道すがら、リンがハンスを見上げて呟く。

 革袋に仮植えしたベトゥラを抱え、ハンスは器用に肩を竦めた。



「そりゃあ、オレは兼業農家だからな」









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