124 田舎を舐めるな。
地面にへたり込んだまま、目を見開いたバオホが口元を引き攣らせている。
「なぜ、ワイルドベアが」
「エーギル山にワイルドベアがいるのは常識だろ」
下エーギル村で討伐されたワイルドベアの素材は、以前はカロッツァ商会の傘下、ブラウン商会の商会長の息子が独占的に買い取っていた。上位商会の支店長が知らないはずがない。
ハンスが指摘すると、バオホは大きく首を横に振った。
「こんなにいるわけがないでしょう! こ、このような、異常な…!」
「異常?」
村人たちは心底不思議そうに顔を見合わせている。
「……」
ハンスは深々と溜息をつき、ずいっとバオホに顔を近付けた。
「──なあアンタ、田舎舐めてるだろ」
「っ!?」
ドスの利いた声で、淡々と、
「1年で10匹くらいワイルドベアが討伐されてんだぞ? しかも積極的に狩りに行ったんじゃなくて、村に入り込んできたのを返り討ちにするだけでその数だ。森ん中にはもっといて当然だろうが」
「で、ですが、ユグドラの街では年に1頭出るか出ないかの魔物ですよ!?」
「街の常識を山に持ち込むんじゃねえ」
ぴしゃりと言い返し、さらに一段階、視線を鋭くする。
「そもそも、ヤベェ薬を撒いたのは手前ェだろうが。それで寄って来たモンを見て「異常だ」とか、どの口が言いやがる。頭ん中にウジでも湧いてんのか?」
「な…!」
バオホの顔に朱が昇った。
「無礼ですよ! 我々が取引してやならなければ生活もままならない田舎者の分際で、何様のつもりですか!? 黙って我々に従っていればいいものを!」
「あ゛あ゛?」
瞬間、村人たちがザワッとざわめき──ハンスの頭の中でブツンと何かが切れた。
「ナニサマだ? ──農家サマに決まってんだろうが!!」
大上段から放たれた怒声に、バオホが一瞬怯む。ハンスはさらに畳みかけた。
「大体、どういう認識だ? 農産物に畜産物に木材に鉱産資源、オレらが売らなくなったら困るのは誰だ? オレらじゃねぇよな? こっちは自分らで作ったモンを自分らで使っちまえば良いんだからよ」
実際、上エーギル村と下エーギル村は、協力し合えば2つの村だけで生活を完結させることも不可能ではない。
生活に本当に『必須のもの』──食料や衣料品は、その気になれば自ら作ったり調達したりできるからだ。
それ以外のものが必要になっても、取引をする相手がカロッツァ商会である必要は無い。ナターシャたちラキス商会など、他の商会を頼ればいい。
一方、カロッツァ商会ユグドラ支店は、売り上げのかなりの割合を上エーギル村から仕入れた水の魔石や高級羊毛に依存している。
さらに、ユグドラの街の高級飲食店で評判になっている野菜や食肉加工品は、8割がた下エーギル村で生産したものだ。ユグドラの街でも屈指の規模を誇るカロッツァ商会ユグドラ支店の支店長なら、それを口にしたのは一度や二度ではないだろう。
2つの村が取引から手を引けば、大打撃を受けるのはこの商人である。
「農業も畜産業も林業も鉱業も、手前ェみてえなクソ野郎に見下される謂われはねぇし、買い叩きを黙って受け入れる義理はねぇし、不要だなんだ言われる筋合いはねぇんだよ! 不当な扱いには抗議して危機が迫ったら抵抗する、当たり前のことだろうが! 勝手にヒトに優劣つけて犯罪を正当化してんじゃねえ!!」
ハンスは一気にまくし立てた。
絶句するバオホにマークが歩み寄り、厳しい表情で告げる。
「──ハンスの言う通りです。それに、こうして襲撃が失敗した今、貴方には優位性も正当性もありません。大人しく捕まってください」
「…っ」
マークの指示で、ジョンが縄を持ってバオホに歩み寄る。
怒りに顔を真っ赤にしたバオホには、抵抗する術などありはしなかった。
その後暫くして、上エーギル村の警備を担当していたアルビレオたちが下エーギル村にやって来た。
「いやあ、恐ろしいものを見た」
言葉の内容とは裏腹に、アルビレオはとてもイイ笑顔を浮かべている。
その背後には、上エーギル村の羊──ハイランドシープの群れ。
ただし、
「……うう……」
「くそ……」
ハイランドシープたちの胴体には、体毛に雁字搦めにされた人間が埋まっている。
あまりにもシュールな光景に、ハンスは顔を引き攣らせた。
「何だこれ」
「見ての通りだ」
人間を胴体に埋めたハイランドシープは、全部で5頭。心なしか、その赤い瞳が得意気に輝いている。
「アーロン村長の助言であたりをつけたルートに、こやつらがノコノコやって来てな。出会い頭にヤギたちに吹っ飛ばされた後、羊たちに滅茶苦茶に踏まれて、こうして格納された」
「人間の出番ナシかよ」
「実に効率的だったな」
アルビレオが楽しそうに頷き、ああいや、と付け足す。
「勿論、人間の出番もあったぞ? 何人かは肋骨が折れていたのでな、申し訳程度に回復薬を飲ませた」
もっともそれは慈悲ではなく、そのままだと羊毛に締め付けられて折れた骨が内臓に突き刺さり、うっかりすると死にかねなかったからだ。
「羊たちを殺人犯にするわけにはいかないのでな」
「あーうん、ありがとよ…」
もはやどっちが危険なのか分かったものではない。
ともあれ、
「それじゃ、上エーギル村のみんなは無事なんだな?」
ハンスが訊くと、アルビレオは笑顔で肯定を返した。
「ああ、全員ピンピンしているぞ。鉱夫たちは活躍の場がなかったからやる気を持て余して、ちょっと採掘してくるとか言っていたな」
実に元気な連中である。
下エーギル村の村人たちが、上エーギル村のハイランドシープたちからならず者を引き受け、手際よく縄で縛り上げていく。農業でも畜産業でも縄は日常的に使っているから慣れたものだ。活用方法が少々おかしいが。
「それにしても──壮観だな」
改めて周囲を見渡し、アルビレオが呆れ混じりの呟きを漏らす。
ずらりと並ぶ、麻縄で縛られたならず者たち。トレドの魔法でミノムシのようになっているグリンデルとヴァルト。高級そうな身なりのバオホと御者も一緒くたに捕縛されているのがかなりシュールだ。
人間用トリモチにくっついて落とし穴に嵌っていた者たちも引き上げられて一人ずつ剥がされ、改めて拘束されている。
トリモチは低温に晒すことで固くなり、粘着力が落ちるため、ケットシーの魔法で冷却して剥がし取った。髪の毛や体毛も一緒にブチブチと抜けて盛大に悲鳴を上げた者も相当数居たが、自業自得というものである。
シチテンの実の粘液の洗礼を受けた者に関しては、反応が収まり完全に乾き切るのを待ってから、皮膜状になった粘液をペリペリと剥がし、同様に拘束した。
髪の毛の間や爪の隙間などに多少皮膜が残ってはいるが、一度乾いてしまえば安全なので問題ない。
街道ではなく森の中を通って下エーギル村を狙っていた者たちも、ハイランドシープとケットシーのペアが片っ端から発見し、突進や魔法で散々いたぶってからここに連行して来た。
上エーギル村で捕らえられた者たちと並び、見た目上、一番ズタボロになっているのはこの連中である。
いまだ敵意剝き出しの視線をハンスたちに向ける者も何人か居る。が、周囲をハイランドシープとケットシーの連合軍が囲み、大変厳しい目を向けているので、今この場で抵抗しようという気はないようだ。




