113 デートにはならない。
二尾ネズミ退治をしたのはデニスをはじめとする鉱夫3人。死体は坑道の硬い岩盤に無理矢理穴を掘って埋めるより、ゴミ捨て場まで持って行った方が早いという話になったらしい。後始末も完璧である。
「…仕事、なくなっちゃいましたね…」
リンが呆然と呟いた。
滞在を延長して依頼を片付けてくれていたアルビレオとゲルダは、『流石にそろそろ帰らないと新人教育が心配だ』と言って少し前にユグドラの街に帰って行った。
結果、とうとう、本当に、冒険者ギルドエーギル支部に常駐する冒険者はハンスとリンの2人だけになった。
二尾ネズミの群れの殲滅依頼が冒険者ギルドエーギル支部に届いたのは一昨日。他の依頼もあったので後回しになり、ようやく今日、着手した。
が、現場に来てみたら依頼人たちの手で対応済み。冒険者の立つ瀬がない。
デニスがはははと笑った。
「いやスマン、ヤツらを見てたら『これ自分らで何とかなるんじゃねぇか』って思っちまってな。よかったら、お前さんたちが始末したってことにしてくれ」
「え? ダメですよ!」
リンが目を見開いてデニスを見上げる。
「冒険者の討伐実績は、本人が倒した分だけにしなきゃいけないんですから!」
冒険者たるもの、自らの成果のみを実績とすべし。他人の功績を掠め取るなどもってのほか。ハンスの教えである。
…実のところ、ギルドのルール上は、他人から実績を譲られるのは違反ではない。
複数の冒険者パーティが合同で依頼を受けた場合、魔物の討伐実績は『誰が倒したかにかかわらず、全員の実績とする』というルールさえある。
が、それを本人が良しとするか否かは別の話である。そのルールを悪用して見かけ上の実績を作り、実力以上のランクになっている冒険者もいるが、必要以上に見栄を張るのは自らの命を危険にさらす行為だとハンスは新人たちを教育していた。
なお今回の場合はそんな御大層な話ではなく、『デニスたちが倒したのに何も苦労していない自分たちが討伐したなんて言えない』という至極単純な理屈である。
「この尻尾は、自分でギルドに持って行くといい。冒険者じゃなくても討伐実績が証明出来りゃそれなりに報酬は貰えるから、いい小遣い稼ぎになるぜ。ついでに、二尾ネズミ討伐依頼も取り下げといてくれ」
「おお、分かった」
ハンスから革袋を受け取り、デニスが楽しそうに笑う。
「そんじゃお二人さん、空いた時間で街歩き、いや村歩きでもしていけよ。最近、甘味処も増えたからよ!」
新しくできたのは、上エーギル村特産のヤギのミルクやチーズを売りにしている甘味処だ。
元々は宿の食堂で提供されていたのだが、好評だったので独立店舗として開業した。なお監修・出資・後援はナターシャ率いるラキス商会である。
店内でしか食べられないスフレタイプのチーズケーキや期間限定で提供される新鮮なヤギミルク、食べ歩きに適したバータイプのハード系チーズケーキ、お土産品として人気の日持ちするクッキーなど、様々な品を日替わりで提供していて、特に若者に人気がある。
──主に、デートスポットとして。
「へえ、そうなのか」
そんなこととはつゆ知らず、ハンスは素直に感心する。当然ながら、隣でリンが挙動不審になっていることなど欠片も気付いていない。
デニスはそれはそれは気の毒そうな視線を一瞬リンに投げた後、ハンスに向けて頷いた。
「ちなみに俺のおすすめは食べ歩きもできるチーズケーキだ。他の甘味もだけどな、下エーギル村のハチミツを使ってて、ヤギミルクの独特の匂いを上手いこと万人受けする風味に変えてる。ヤギミルクが苦手なお前でも食えるんじゃないか?」
「えっ」
「昔の話をほじくり返すな!」
ハンスは思わず赤面して突っ込んだ。デニスはケラケラと笑い、片手を挙げて去って行く。
「…ヤギミルク、苦手だったんですか?」
心底意外そうに首を傾げるリンに、ハンスはガシガシと頭を掻く。
「あー…まあな。今は美味いと感じるんだが、子どもの頃はこう、あの独特の獣臭さが、ちょいとな…」
ヤギは傾斜地に強く、上エーギル村では羊と共に主役を張る畜産動物だ。そのミルクは栄養価が高いと言われているのだが──子どもの頃のハンスのように、独特の風味が受け入れがたいという者も多い。
視線を外してごにょごにょと呟くハンスに、リンが破顔した。
「実は私もです。美味しいって思えるようになったのは、実は最近で」
「リンもか。大人になると味覚が変わるって言うが、それかもな」
「ですね」
頷き合った後、よし、とハンスは来た道を振り返った。
「せっかくだ。その新しい店ってやつに行ってみるか。今日はオレのおごりだ」
「え!?」
リンが再度、動揺する。
くどいようだが、ヤギミルクの甘味処は今上エーギル村で一番ホットなデートスポットである。
「ん? 嫌か?」
「い、いえそんな! えっと、おごりって、良いんですか?」
「おう。こっちに移籍してから色々大変だっただろ? 先輩からの労いっつーか、まあそんなんだ」
ハンスが言った瞬間、リンの目が一瞬スン…と静かになった。
センパイからのネギライ…と、ハンスに聞こえない声量で空虚な呟きが漏れる。
が、リンはすぐに復活し、少々大袈裟に目を輝かせた。
「ありがとうございます! じゃあ、お言葉に甘えますね」
「おう」
そのまま坑道方面に背を向け、連れ立って歩き出す。
その様子を見守っていた上エーギル村の人々は大変生温かい視線を2人に注いでいるのだが、当然ハンスはそれに気付いていない。
普段は異常に目敏いくせに、『そっち』方面に限っては致命的なレベルで鈍感な男である。
「お店はこっちですよ」
そんなハンスに慣れているリンは──考えるに、彼女の方もハンスに気付いてほしいのかほしくないのか、何とも難儀な性格だが──、軽い足取りで道案内する。
上エーギル村に移住して半年と少し。もはやリンの方が土地勘があるのだ。
村のメイン通りを北側に折れ、さらに細い通りへ入った先に、例の甘味処はあった。
「こんなところに…」
周囲と同じ石造りの古びた建物。ドアの横にヤギのシルエットと穴あきチーズが描かれた小さな看板が掲げられ、ドア本体には『商い中』の札がかかっている。それ以外は、ごく普通の民家に見えた。
「ちょっと隠れ家っぽくて可愛いですよね」
「あー確かに隠れ家っぽくはあるな」
正直、ハンスには可愛いかどうかの判断はつかない。
そうか、今時の若い連中はこういうのを『可愛い』と認識するのか──などと感心した後、自身のオッサンくさい思考に地味にショックを受けるハンスをよそに、リンは躊躇なくドアを開けた。
カランカラン、とドアベルが鳴る。
魔石ランプの光で照らされた明るい店内は、白い塗り壁と白木の腰壁、そして板張りの床と、清潔感のある雰囲気で統一されていた。
いくつかあるテーブルはどれも小さく、基本的には2人用。白木の一枚板の天板に可愛らしい刺繍が施されたテーブルセンター、小さな木の板に書かれたメニュー表と、若い女性客を見込んだカフェらしい雰囲気だ。
奥には注文カウンターがあり、若い女性が立っていた。リンとハンスに目を向けると、明るい笑顔を浮かべる。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは──あれ、トムさん?」
カウンターの前には先客がいた。ハンスの幼馴染で、上エーギル村で雑貨店を営むトムだ。
振り返ってリンに目をやり、そしてハンスに気付くと、軽く片眉を上げる。
「お? なんだリン──に、ハンスか。なんだ? デートか?」
「えっ!? ち、違いますよ!」
リンが大慌てて首を横に振る。その横をすり抜けて店内に入り、ハンスはトムをジト目で見遣った。
「あんまりウチの後輩をからかうな。いい歳こいたオッサンが」
「お前に言われたかねぇよ、ご同輩」
さっさと結婚しろ、とトムは遠慮なく軽口を叩く。リンは目を白黒させているが、今更この程度で動揺するハンスではない。ジト目のまま腕組みして、
「よし、なら言い方を変えてやる。お前、自分の娘が同じように仕事上の先輩と一緒に歩いてる時に同じようにからかわれたらどう思う?」
瞬間、トムはビタッと動きを止めた。数秒後、神妙に頭を下げる。
「スマンカッタ」
「おう」
気の置けない友人だけならまだしも、そこに自分の娘が巻き込まれるのは話が別。自他共に認める親バカの変わり身は速かった。
「──にしても、どうしたんだハンス? リンはともかく、お前がこういう店に来るのは意外なんだが」
「仕事が早々に片付いたっつーか、なくなっちまってな。新しい店ができたって聞いたんで、せっかくだから来てみたんだ」
ハンスはざっと事のあらましを説明し、
「そういうお前は何してんだ? 自分の店はいいのか?」
訊くと、トムは肩を竦めた。
「キャルが店番してくれてるからな。俺はヤギミルクの納品だ」
「ああ、ここで使ってんのはお前んとこのやつだったのか」
「おう」
トムの実家は、今の上エーギル村では数少ない畜産農家で、主に羊とヤギを飼っている。ヤギミルクを売りにしている甘味処に一枚噛んでいるのも当然といえば当然だ。
子どもの頃はよく羊とヤギの群れを追って遊んでたっけなあ──懐かしく過去の光景を思い出し、ハンスはふと気付く。
(…そういや上エーギル村の羊は、『羊』じゃなくてハイランドシープだったよな……?)
ならば、そのハイランドシープと同程度の体格と身体能力を持っていたヤギは、果たして普通の『ヤギ』なのか。
不意に背中がヒヤリとして、ハンスはその思考を振り払った。世の中には、深く考えない方がいいこともある。
「ま、好きなだけ味わっていけよ!」
商いをする人間らしく、トムが明るく言って店を出て行く。
それを見送って改めて店内に視線を転じると、店員が愛想よく笑顔を浮かべた。
「では、ご注文をどうぞ!」
その後、店員のすすめで食べたスフレチーズケーキは大変美味しく──『そのヤギは魔物か否か』という疑問は、ハンスの中であっという間に『美味ければなんでもいい』という結論に昇華したのであった。




