106 原因と対策
え? とハンスが視線を向けると、アルビレオは肩を竦めて付け足した。
「ドラゴンのウロコは、よほど相性が良くなければ定着しないはずだ。普通、個々の持つ魔力が反発するからな」
「あー、そういや下手したら途中で身体が爆裂四散するとか言われたな」
「え!? そんなに危険なんですか!?」
途端にリンが青くなった。
「落ち着け、リン。一度定着してしまえば、そんなことは起こるまいよ。ハンスが平然としているのが何よりの証拠だ」
「ちなみにモクレンもウロコをつけてるが」
「…まあモクレンはケットシーだからなあ…」
アルビレオはよく分からない納得の仕方をする。
皆の視線を受けたモクレンが、得意気に胸を張った。
《まあ俺は生まれも育ちもエーギル山のケットシーだからな! エーギルのおっちゃんと相性が良くて当然ってやつだ!》
「ああなるほど、その理屈でいくとハンスも」
「待てアルビレオ。モクレンは適当抜かしてるだけだ」
実はモクレンの推測は的を射ているのだが、それは彼らの与り知らぬことである。
「とにかく──このウロコのお陰で、オレとモクレンは助かったってわけだ」
《オレサマの魔法のお陰でもあるぞ!》
「はいはい分かってる分かってる」
ハンスはぞんざいにモクレンの頭を撫で、で、と話を変えた。
「ドラゴンのエーギルと話した結果、この山に水の魔素が溢れている原因が分かった」
「えっ」
「なに?」
エーギル山地下の地底湖は魔素が『相転移』する場所で、無属性の魔素の一部が水の魔素に変化していること。
そこに水のドラゴンが棲んでいるため、水の魔素の発生量がさらに多くなっていること。
加えて、毎年春には若い水のドラゴンが集まる社交場と化し、水の魔素への相転移がさらに増えること──ハンスが説明すると、その場の全員が遠い目になった。
「……話が壮大過ぎてついて行けないわ」
「エーギル山の地下って、とんでもない場所だったんですね…」
「ううむ…これはやはり本部への報告案件じゃのう…。そもそもドラゴンの棲み処であること自体、ギルドでは把握しておらんはずじゃ」
思い切り眉を寄せるエセルバートに、アルビレオが緩く首を横に振る。
「いや、報告して良い内容かどうか微妙ではないか? 聞かなかったことにするのが一番安全だと思うが」
どの組織にも、私利私欲に染まった人間は居る。
まして、本部とはつまり『冒険者ギルドの』本部である。
人の居住地のすぐ近くにドラゴンの棲み処があると知られたら、それが発表でもされたら、このエーギル山にドラゴンの討伐を目論む冒険者が殺到するかも知れない。
ハンスは戦いを避けたが、一般的にドラゴンは『魔物』と認識されている。その素材は希少で、河原で拾ったドラゴンのウロコ1枚でも相当な高値がつく。
しかも冒険者ギルドにおいて、ドラゴンは『最高ランクの魔物』の一角だ。名を上げたい冒険者にとって、生息地の判明しているドラゴンは恰好の標的になり得る。
永世中立国アイラーニアではドラゴンは基本的に神聖な生き物であり、崇拝の対象でもあるが、そんなことは他国の人間には関係ない。
実際、この国の王家の盟友であるリンドブルム山の風のドラゴンも定期的に他国の冒険者の挑戦を受け、それを毎回返り討ちにしている。
重傷で済めば御の字、死者が出ることもざら。ギルドでは有名な話だ。
そんなことがこのエーギル山系でも行われたら、エーギルにとってもこの界隈の住民たちにとっても迷惑極まりない。ハンスは思わず眉をひそめた。
「オレも賛成は出来ねぇな。エーギルは命の恩人だし、こんな辺鄙な田舎に血の気の多い冒険者に大挙して来られても困る。大体、エーギルの棲む地底湖は水の魔素が濃すぎて、人間には危険すぎるだろ」
リンドブルム山の風のドラゴンに冒険者が挑戦できるのは、かの地の魔素濃度が周期的に変化するからだ。
そもそもあちらは青空の下なので魔素が高濃度のまま滞留することはあまりないし、特に魔素濃度が下がる初夏ならば、風のドラゴンの棲み処に近付くことも不可能ではない。
ただし、それはリンドブルム山だけの特徴である。
水のドラゴン、エーギルの棲み処は地底湖。空気の流れもほぼなく、水の魔素は滞留し放題──ゆっくりと溢れて地表に出てはいるが。
人間が何の対策もなくあの地底湖に踏み込んだら、それだけで命を落とすだろう。
水のドラゴンと戦う前に、無謀な冒険者の屍が地底湖のほとりに積み上がることになる。
それなあ…とギルド関係者が顔を見合わせたところで、モクレンがグッと伸びをした。
《賑やかなのは嫌いじゃないけど、うるさいのは勘弁だぜー》
若干耳を伏せ、鼻の頭にしわを寄せる。
ユグドラの街の喧騒の中でも平気で爆睡していたケットシーの台詞とは思えないが、
《血の気の多い冒険者ってアレだろ? グリンデルとかヴァルトとか、そーいうタイプだろ? 俺ああいうの嫌い。丸洗いしてそのまま崖から放り出したくなる》
「あー…」
陽気なケットシーにも、苦手なタイプは居るのだ。ハンスは思わず呻く。
リンが深刻な顔になった。
「そっか、そうよね…ドラゴンに挑む無謀な馬鹿って、大抵そういう奴らよね」
「…うるさそう」
「下エーギル村と上エーギル村には、似合わんな」
ゲルダがぼそりと呟き、アルビレオも苦笑する。エセルバートがううむと呻いて腕組みした。
「──ならば、ギルドマスターとサブマスターにだけ伝えるとするか。公表はしないで欲しいと願い出れば、叶えてくれるはずじゃ」
冒険者ギルドにおいて、幹部クラスだけで秘匿されている情報は、それなりにある。全世界規模の巨大組織だからこその情報統制だ。
エセルバートの提案に皆が頷いたところで、話は具体的な対策に移る。
「本部への報告はエセじいがイイ感じに処理してくれるとして…実際、ドラゴンが居るから水の魔素が溢れてるのよね? しかも、ドラゴンの数が増えると水の魔素も増える…」
「そうだ」
確認するようなエリーの質問にハンスは頷き、で、と言葉を続ける。
「──そこで、エーギルから提案されたんだが…」
ハンスはテーブルの上に薄水色のひし形の結晶──エーギルのウロコを置いた。
「これを使って魔素濃度が上がるタイミングを知らせるから、それに合わせて採掘を休んだりしたらどうか、ってな」
「………………ハンス、これはなんじゃ?」
たっぷりの沈黙を挟み、エセルバートが訊く。予想は出来ているのだろう。若干頬が引き攣っている。
ハンスは敢えて軽い口調で答えた。
「エーギルの『生きた』ウロコだ」
《そういうわけだ》
ハンスの声に応じる形で、重々しい念話が響いた。
「!」
「えっ!?」
「い、今、しゃべっ…」
エセルバートとゲルダが同時に腰を浮かせ、エリーが目を見開き、リンが青くなって呟く。
いやはや、と呻くアルビレオの額にも、冷や汗が浮いていた。
「これは、流石に予想外だな…」
『生きた』ウロコ──つまり、エーギル自身と魔力的な繋がりが切れておらず、ある種の端末として使用可能なウロコである。
この永世中立国アイラーニアの王城の中枢には、王家と友誼を結んだリンドブルム山の風のドラゴンの『生きた』ウロコが安置されている。
非常時にはそのウロコを介して風のドラゴンたちに危急の知らせが届けられる──この国だけではなく、世界的にも有名な話である。
その『風のドラゴンのウロコ』と同じものが、目の前にある。
エセルバートたちの動揺も、無理からぬことだった。




