105 帰還
ハンスたちが下エーギル村に到着すると、村は大変な騒ぎになった。
夜の闇が迫る時間帯にもかかわらず、入口の広場には煌々と明かりが灯り、人々が続々と集まってくる。
「あんたはもう…っ! みんなに心配かけて!!」
メリーさんから降りたハンスは、即刻スージーに捕まった。
「す、スマン、悪かった! 謝る、から…首絞めるのやめでぐれ゛…!」
スージーに胸倉を掴まれたハンスが潰れたカエルのような声を上げる。心配をかけた自覚がある手前、無理に振り解けないのだ。
せっかく死地から生還したというのに、思わぬところで命の危機である。
《おーい。ハンスの足、浮いてんぞ》
メリーさんの頭の上に陣取ったまま、モクレンが突っ込みを入れる。
スージーはハッと我に返ってハンスを解放した。
「ああ、ごめんよ! 大丈夫かいハンス?」
「…………おう」
息子の声は聞こえなくてケットシーの念話は聞こえるのか──理不尽を感じつつも、ハンスは言いたいことを吞み込んで頷く。
「ところで、山狩りをするとかリンに聞いたんだが」
ハンスが周囲を見渡すと、宿屋の店主のテッドがあっと声を上げて身を翻した。
「必要なくなったって知らせてくる!」
「じゃあ俺はあっちに!」
「下方面は任せな!」
さらに数人、バラバラの方向に駆け出す。
まるで日頃から訓練されているような的確な役割分担に、ハンスの目が点になった。
(すげぇな…)
「ハンス、怪我はないのかい?」
スージーが気遣わし気な顔でハンスを見上げる。一瞬『今首絞められたの以外はな』と軽口で応じようとしたハンスは、スージーの目に本気の心配の色を認め、表情を改めた。
「ああ。落ちた先が地底湖でな。びしょ濡れにはなったが、モクレンが乾かしてくれたから問題ない。──なあ?」
《おう! 何せ俺はデキるケットシーだからな!》
モクレンがすかさず胸を張る。態度がアレだが、一応ちゃんと空気を読むタイプである。
ニコニコとその様子を見守っていたリンが、じゃあ、と足を村の外の方へ向けた。
「私はアルビレオとゲルダを呼び戻して、そのまま上エーギル村に帰りますね」
上エーギル村のみんなとギルド長たちには私から報告しておきます、と告げるリンに、ハンスは軽く手を挙げる。
「オレも一緒に行って報告──」
瞬間、リンはズビシ! とハンスの胸元に人差し指を突き付けた。
「ハンスさんはこのまま家に帰って休んでください。絶対疲れてますよね?」
「うっ…いや、それはお前も一緒だろ?」
「私はどーせ帰るついでだから良いんです」
リンは据わった目で、ずいっとハンスに迫る。
「目の前で先輩が穴に落ちるのを見た後輩の気持ちも少しは考えてください。今日はこれ以上仕事するのは禁止です! 良いですね!?」
「……お、おう……」
気圧されて頷くハンスの背後では──
「なるほど、ハンスは尻に敷かれるタイプだな」
「じれったいねえ」
「ん? なんだ、デキてるわけじゃないのか?」
「なんじゃ、つまらん」
「いやーこれからこれから。…だよな?」
下エーギル村の人々が好き勝手言っていたが、ハンスには聞こえていなかった。
──なお。
「何で私、あんな言い方しか…!!」
アルビレオとゲルダと合流して上エーギル村のギルドに戻った後、リンは盛大に嘆いていたが。
「はっはっはっ。まあ仕方あるまい」
「ん。いつも通り」
2人には笑って受け流されたという。
翌日、ハンスはモクレンと共に改めて冒険者ギルドエーギル支部に出向いた。
道中、下エーギル村でも上エーギル村でも村人たちにもみくちゃにされたのは言うまでもない。
2つの村の関係を修復したハンスは、人々にとって大恩人かつ英雄で、そのハンスが洞窟の中の底が見えない穴に落ちて無傷で生還したことは、彼らにとって一大ニュースだったのだ。
ちなみにハンスの父ポールは昨夜、山狩り組の先頭になっており、ハンス発見の報を受けた時は『そうか』の一言だけ、自宅でハンスと再会した時も『無事で何よりだ』と冷静そのものだったが、今朝は気絶するように寝ていて、ハンスが家を出るまで全く起きる気配がなかった。
スージーは『安心しすぎて気が抜けたんだよ。心配性だからねぇ』と笑っていたが。
大変に分かりにくい親父殿である。
──ともあれ。
「心配かけてすまなかった…!」
エーギル支部の会議室で、ハンスは深く深く頭を下げる。
いくら初めて行く場所とはいえ──いや、初めての場所だからこそ、冒険者歴の一番長い自分はもっと慎重に行動すべきだった。
ハンスの反省の言を、ギルドメンバーは概ね和やかに聞いていた。
「無事で良かったです!」
「うむ、話を聞いた時は肝が冷えたわい」
「ホント、人騒がせよねぇ」
笑顔のリンに苦笑するエセルバート、肩を竦めるエリー。
なお『ハンスが穴に落ちた』と知らされた際、エリーは気絶しかねないレベルで真っ青になっていたのだが、ハンスには秘密である。
「なかなか貴重な体験をしたようだな」
一方、訳知り顔で笑っているのはアルビレオだ。その隣で、ゲルダも深々と頷く。
「ん。激レアの気配」
「あー、お前らには分かるか」
ハーフエルフのアルビレオと魔族のゲルダには、独特の知覚がある。ハンスがガシガシと頭を掻くと、リンが首を傾げた。
「激レアの気配?」
「それも含めて説明する」
ハンスは姿勢を正し、落ちた後のことをざっと語って聞かせる。
モクレンが水球の魔法で落下速度を落としてくれたこと、落ちた先が地底湖だったこと、そこで出会ったドラゴンにウロコを与えられたため、高濃度の水の魔素を浴びても生き延びられたこと──ハンスの話が進むと、リンとエリーはぽかんと口を開けた。
「ハンスさん、ドラゴンに会ったんですか」
「っていうか、この山の地下ってドラゴンが棲んでたの? 初めて知ったわ」
「わりと昔から棲んでるらしいぞ。この山の──『エーギル山』って名前も、ドラゴン由来じゃないか? 多分だが」
「うむ、おそらくそうじゃな」
エセルバートが感慨深げに髭を撫でる。
「この国には、各地にドラゴンに関する伝承が残っておるし、北のリンドブルム山の山頂に棲む風のドラゴンは王家の盟友じゃ。地下に他のドラゴンがおっても、何らおかしくはない」
言うと、キラリと目を輝かせて身を乗り出す。
「──で、ハンス。そのウロコとやらを見せてくれんか?」
「そりゃ構わんが…」
ハンスは素直に上着のボタンを外し、シャツの襟ぐりを少し引き下げる。
全員の視線が、薄水色の結晶体に集中した。
「ほほう、これは…」
「意外と色薄いわね」
「思ったより小さいですね」
唸るエセルバートと、率直な感想を述べるエリーとリン。
そして、
「…そわってする」
「こんなものと一体化してよく生きているな、ハンス」
視線を逸らして身じろぎするゲルダと、苦笑するアルビレオ。




