101 胸元の結晶
やや丸みのあるひし形の結晶──のようなものは、明らかに皮膚にめり込んでいた。
結晶の周囲にはわずかに血管のような盛り上がりがあり、確かにモクレンの言う通り、『生えている』ようにも見える。
「いやいやいや、人間にこんなモン生えるわけねぇだろ!」
盛大に突っ込み、ハンスはモクレンを睨み付けて──気付いた。
その『ひし形の結晶のようなもの』が生えているのは、自分だけではないということに。
「…おい、お前にも生えてんぞ」
《なにっ!?》
「そのハゲてるところに」
《えっ……にゃあああ!?》
器用に前脚で胸毛をかき分けたモクレンが、鳴き声だか悲鳴だかよく分からない念話を飛ばす。
被毛にほとんど埋もれているし、先ほどまでは分からなかったが、確かに白い毛の奥に薄水色の結晶があった。ハンスの胸元にある物よりかなり小さいが、同系統のものだというのはハンスにも分かる。
《なんで!? 俺はハンスと違ってお笑い枠じゃねぇのに!》
「おい今なんつった?」
さらりと暴言を吐くモクレンに、ハンスが半眼になった。
「お前こそお笑い枠だろ、常にボケてるくせに何言ってやがる」
《それはお前のことだろ。なんだよ色々とことん無自覚なくせに》
お互い、自覚がないというのは物悲しいものである。
ハンスはがしがしと頭を掻き、眉間にしわを寄せた。
「つーかだな、お前と掛け合いしてる場合じゃねぇんだよ。さっき、何か変な声が──し………」
ぐるりと視線を巡らせたハンスは、背後を振り返った状態で固まった。
モクレンも釣られてそちらを見遣り、
《何だよ突ぜ……………》
かなり高い位置を見上げて、ビタリと動きを止める。
それを待っていたように、重々しい念話が響いた。
《…落ち着いたか?》
(……!)
瞬間、モクレンの尻尾がブワッと膨れ上がり、ハンスの全身が総毛立つ。
魔法の明かりの光が届くか届かないかという位置に、一対の金色の光が浮かんでいる。
縦に裂けた瞳孔を持つそれは、どう見ても──巨大な生き物の目だった。
ざばり、地底湖が波立ち、その巨体が近付いて来る。
明かりの中に浮かび上がったのは、ウロコが並ぶ深い青色の体と水色のヒレ、長い首に、巨大な体躯に比して小さめの頭部、額に光る藍色の石と鋭い爪牙。
水面から頭の先までで2階建て家屋をゆうに超える巨体は、ハンスも今まで見たことがない──いや、知ってはいる。
ただし、書物の中で、という注釈付きだが。
《ど、ドラゴン……!?》
モクレンが目を見開いて呻いた。
ハンスはハッと我に返り、咄嗟に武器に手を掛けようとして、ギリギリのところで踏み留まる。
ドラゴンがうっそりと目を細めた。
《良い判断だ、人間よ》
笑みを含んだ念話に、ハンスの背中を冷たいものが滑り落ちる。
もし今、武器を掴んでいたら、モクレン諸共この地底湖の藻屑と消えていた。そう直感する。
「……ふー……」
ハンスは大きく息を吐き、意識して身体の力を抜いた。
この巨大な相手を前に、戦おうとする方が愚かだ。
それに、恐らく──
「……スマン。命の恩人に対して無礼だった」
《へ?》
ハンスが頭を下げると、全身の毛を逆立てたままのモクレンがぽかんと口を開ける。
ドラゴンが面白そうに口の端を上げた。
《ほう? 気付いたか》
その口から見える大変鋭い牙をなるべく視界に入れないようにしながら、ハンスは頷いた。
「地底湖に落ちたオレたちを岸まで運んでくれたのはあんただろ? それにさっきまで、息ができなかったんだ。多分濃い水の魔素の影響だろうが…今は、こうして普通に話ができる」
先ほどまでと今の違いは、胸元にめり込んだこの水色の物体だけ。ハンスの指摘に、モクレンが改めて自分の胸元を見詰める。
《…これ、何なんだ?》
《私のウロコだ》
《……へ》
「…は?」
さらり、ドラゴンが告げた単語に、ハンスとモクレンは揃ってぽかんと口を開けた。
そして、
「ウロコ!?」
《なんで!?》
同時に放たれた叫びに、ドラゴンがくくくと低く笑う。
《人間とケットシーにしては魔素耐性が高いようだが、それでもこの場に耐えられるほどではなかったのでな。私の特質の一部を分け与えた》
ドラゴンは、魔素を糧として生きる。
それゆえ、魔素耐性が極めて高い──いや、正確には『魔素による悪影響を無効化する』。
ゆえに魔法もほぼ効かないのだが、それは今この場では関係ないので置いておく。
このドラゴンは、ハンスとモクレンに自身のウロコを取り込ませることによって、ドラゴン並みの魔素耐性を獲得させたのだ。
「そんなことができるのか…」
感心、いや感動したように胸元のウロコを見下ろすハンスに、ドラゴンはボソリと付け足す。
《…ウロコとの相性が悪ければ、一体化する途中で身体が爆裂四散するのだがな》
「サラッと怖いこと言うな!」
真顔のようで、その実ドラゴンの目は笑っていた。
冗談にしても性質が悪い──そう思って、ハンスはすぐに考え直す。
性質が悪いもなにも、恐らく全て事実だ。
ウロコとの相性が悪かったら爆裂四散。しかしウロコがなければ間違いなく水の魔素で死んでいた。
ハンスとモクレンは、かなり勝率の低い博打に勝っていたのだ。
「あーくそ、賭けに勝たなきゃどっちみち詰んでたってことかよ。ありがとよ!」
お礼というにはあまりにも乱雑な言葉だが、ドラゴンはなおも面白そうに目を細める。
《随分と投げ遣りだな》
「投げ遣りにもなるわ」
ハンスは半眼で呻く。
もはや巨大な魔物に対する畏怖も恐怖もない──いや、あるにはあるが、そんな感情は抱くだけ無駄。
ハンスはものの数分でそんな境地に達していた。
(無駄に絡んでくる世界樹の枝だのワイルドベアより強いハイランドシープだの、変な生き物には事欠かないからな、この辺は)
《…そなた、失礼なことを考えているだろう》
「気のせいだ」
鋭い突っ込みにも、即座に返す。
そんなやり取りをしている間に、モクレンが全身をぶるぶると震わせ、ボワッと膨らんだ尻尾を無理矢理元に戻した。
《あーびっくりした。なんだ、つまり、ドラゴンのおっちゃんは俺サマの可愛さに心打たれて是非とも助けなければって思ったんだな? いやー可愛いって罪、いやお得だな!》
「その自信はどっから出てくるんだ」
《自己肯定感はいくらあっても良いんだぞ?》
「あーまあ、否定はしないけどよ…」
なお自己肯定感と根拠のない自信は別物だし、自己肯定感ゆえに他者を傷付けてよいという理屈はない。そこは注意が必要である。
──閑話休題。
ハンスとモクレンのやり取りを見て、ドラゴンはクククと喉の奥で笑った。
《おっちゃんと呼ばれるのは初めてだな。──私はエーギル。このエーギル山を本拠とする、水のドラゴンの一柱だ》
ハンスは目を見開き、すぐに姿勢を正した。
「オレは下エーギル村の住民で冒険者、兼、農家のハンス。こっちは同じく下エーギル村のケットシー、モクレンだ。名乗りを感謝する」
ドラゴンにとって名前は命に等しく、名乗りを非常に重視する。ドラゴンが自ら名乗るのは、相手を認めた証拠だ。
以前書物で読んだ内容を思い出し、自然と真面目な声が出た。




