10 マンドラゴラ
マンドラゴラ。別名、『絶叫草』。
葉は大根似、地中に埋まった部位はニンジン似の、植物系魔物の一種である。
普段、土に埋まっている分には特に害はないのだが、引っこ抜くと大音声で叫び始める。
一般的には『至近距離でその声を聞くと、良くて気絶、最悪即死』などと言われているが、その声──厳密には発声器官は存在しないので、『大音量の『声』に似た音を放つ魔法』が正確な表現か──には個体差があり、中にはオペラ歌手ばりのビブラートを利かせたハイトーンで絶叫…というか熱唱する個体も居る。
どんな声で『叫ぶ』のかは、引っこ抜くまで分からない。リアルロシアンルーレットな魔物である。
錬金術師が作る薬の材料になるため、冒険者にとっては『よく捕獲・回収を依頼される魔物のうちの一つ』なのだが…本来は魔素の豊富な森林地帯に生息し、人里で目にすることはまずない。
少なくともハンスは、『昨日耕した畑に雑草くらいのノリでマンドラゴラが群れを成して生える』という話は、見たことも聞いたこともない。
…なかった。今までは。
「…『それがどうした』って…」
ポールに平然と返されたハンスが、心底困惑して視線を泳がせる。
広い畑にぽつぽつと見える、膝丈くらいのギザギザの葉。シルエットや葉の生え方は大根そっくりだが、葉脈が黒っぽい紫色をしているため、判別は比較的容易だ。
それから、じっと見ていると時々風向きに関係なくもぞりと動くので、その点でも分かりやすい。
そんなマンドラゴラの地上部が、ざっと数えただけでも100個以上、畑に生えている。
密度はそれほどでもないが、広い畑に満遍なく散らばっているため、合計するとかなりの数になるだろう。
「…何で一晩でこんなに」
ハンスが思わず呻くと、同じように畑を眺めていたポールがぼそりと答えた。
「枯れ草や肥料を鋤き込むと、森から出て来る」
「森? 森って…」
確かにマンドラゴラは森に棲んでいるが──ハンスは周囲を見渡し、そこでようやく理解した。
「……森、だなあ……」
山間の丘陵地にある下エーギル村。今でこそ畑や牧草地が広がるのどかな村だが、その昔は森林地帯の一部だった。
ハンスの家は村の端の方にあり、この畑の向こうはどう見ても森である。マンドラゴラはその森からやって来るのだ。
だが、ハンスにはどうしても解せないことがあった。
「出て来るったって…どうやってだ? 足生えてないよな?」
ハンスの知るマンドラゴラは、ニンジンのようなボディを持っている。
たまに二股三股に分かれていることもあるが、明確に『足』と分かるパーツを持った個体は見たことがない。
その疑問に対するポールの答えは単純明快だった。
「ヤツらは、葉の部分を使って歩く」
「…………は?」
「葉の部分だ」
いやオヤジギャグを飛ばしてどうする──ハンスは突っ込み掛けたが、ポールは至って真面目だった。
ポール曰く、マンドラゴラは葉を手のように使い、地面からボディを引き抜いて蜘蛛のように移動する。意外と素早い。
(マジかよ)
ハンスは顔を引き攣らせた。
マンドラゴラの捕獲依頼を受けたことはあるし、ギルドで資料を漁ったこともある。
だがハンスの知る限り、そんな情報どこにも書かれていなかった。図鑑には逆に『いつの間にか現れたり居なくなったりすることもある。生育が非常に速く、短命であると考えられている』と、移動しないことを前提に書かれているのだ。
それが実は、蜘蛛のように素早く移動する。想像して、ハンスの背中に鳥肌が立った。
目の前の畑に埋まっているのが一斉にそうやって移動したら、間違いなく気持ち悪い。
「…もしかして、見たことあるのか? マンドラゴラが歩いてるところ…」
ポールは確証を持った目で言っていた。もしやとハンスが訊いてみると、ポールはわずかに目を逸らす。
「…………若い頃、真夜中に一度だけな」
声が低い。それを見てポールはどう思ったのか、ハンスにはとても訊けなかった。
(…歩けるなら、一晩で畑に何百本と生えててもおかしくはないな、うん)
などと内心呟き、無理矢理自分を納得させる。
自力移動可能な魔物に対して『生えている』という表現が適切なのか、という点に関しては、ハンスは考えないことにした。
そこを否定したら、『マンドラゴラは植物系魔物である』という前提すら崩れかねない。
(オレは魔物の研究者じゃないし、誰も困ってないし、必要な情報が手元にあればそれでいい)
ハンスは自分に言い聞かせる。
この情報を上手く使えば一攫千金も夢ではないのだが、『面倒だ』という思いの方が先に立った。変なところで保守的な男である。
「…で、オヤジ。殲滅するって、どうやるんだ?」
「この『フォーク』を使う」
ポールはフォークもどきを掲げ、鋭利な先端を地面──と言うかそこに生えるマンドラゴラに向けた。
そして。
──ドスッ!
ヒキュッ…!
「!?」
勢いよくフォークもどきの爪がマンドラゴラに突き刺さり、空気の漏れるような、何かの悲鳴のような変な音がした。
そのまましばらく待っていると…じわり、マンドラゴラから紫色の液体が滲み出して来る。
「……うっわ……」
液体はゆっくり地面に広がって、土をドス黒く染めて行く。
フォークもどきが突き刺さったままのマンドラゴラはプルプル震えながらひとしきり紫の液体を放出し、やがて動かなくなった。
ポールがゆっくりとフォークもどきを引き抜く。
「こうやって1本ずつ息の根を止める」
土を染めた体液が、鮮やかな赤色でなくて良かったと思うべきか。
どう見ても『植物を駆除した』とは思えない光景に、ハンスは顔を引き攣らせる。
一応ハンスも魔物の討伐は何十回、何百回とこなしているし、武器も長剣だから流血沙汰にはそれなりに耐性がある──はずなのだが、何と言うか、この対処方法は毛色が違った。色々と。
「…これ、そのまま置いておくのか?」
「いや、後で回収する」
回収…?と首を傾げるハンスに、ポールは畑を目線で示した。
「まずは、ここに生えている全てのマンドラゴラを、同じように処理する。次の作業は後で教える」
「…分かった」
まずは仕事をしろということである。
色々と疑問はあるが、ハンスはとりあえず頷いて畑に入り、フォークもどきを両手で構えた。
「──ふんっ!」
ザクッ!
ピキャッ……!
先端がマンドラゴラに突き刺さると、やっぱり変な声…のような音がする。
さらに、柄を通して小刻みな震えも伝わって来て、ハンスの背中に鳥肌が立った。
(うげぇ…っ)
釣りで魚が掛かった時の感覚に似ているが、こっちはもっと生々しい。思わずフォークもどきを抜くと、
ピギャアアアアア──!!
「っ!?」
「早い!」
ドスッ!
大音声が鼓膜を直撃したと同時に、ポールがフォークもどきをぶん投げた。
その先端が恐ろしく正確にハンスが倒し損ねたマンドラゴラに突き刺さり、一瞬で音が途切れる。
「…きちんと息の根を止めてから抜かないと、反撃が来る。気を付けろ」
「…………おう……」
不幸中の幸い、音量が大きいだけで危険なタイプの『声』ではなかった。
よろけて片足を引いた態勢のまま、ハンスは呆然と頷く。
(──雑草駆除が命懸けって、一体何の冗談だよ…………!?)




