1 プロローグ 知らせ
ハンスが『農家になどなりたくない』と叫んで家を飛び出したのは、14歳の秋だった。
いわゆる反抗期というやつである。
その頃のハンスはエネルギーが有り余っていて、それでいてそれを費やす場所を見付けられず、一方で根拠のない自信に満ち溢れ──どうしようもなく世間知らずだった。
学舎──子どもに読み書き計算を教える村営の施設を卒業した日、ハンスは父親と将来の話をして、当たり前のように喧嘩になり、その日のうちに家を飛び出した。
若気の至りと言ってしまえばそれまで。
とにかくそうして家を出たハンスは、何とか徒歩で隣の──隣と言ってもかなり遠い──ユグドラの街へと辿り着き、冒険者ギルドの扉を叩いた。
最低限の読み書き計算くらいしか知らない田舎者を雇ってくれる店があるとも思えなかったし、冒険者なら実績次第でいくらでも稼げると思ったからだ。一応ハンスにも、それくらいの分別はあった。
冒険者ギルドの規定では冒険者登録可能なのは15歳からだったが、幸いそこのギルド長は色々と理解がある人で、ギルド長自身が推薦人となってハンスを『冒険者見習い』にしてくれた。三ヶ月後の誕生日には正式に冒険者にしてやるという約束付きで。
もっとも──それが正解だったかは、ハンスには今もって分からない。
冒険者となったハンスを待っていたのは、年齢も性別も体格も経験も全く考慮してくれない、容赦のない現実だった。
勿論、初心者に指導してくれる先達は居たし、初心者向けの依頼や狩場もあった。だが冒険者は基本、全てが自己責任だ。
例えば優しく指導してくれた先輩に財布を盗まれても、安全だと思った場所が実は上位の魔物の巣であっても、それは自分の判断力のせいで、その結果どんな危険に見舞われようと、自分で何とかするしかない。
ハンスも正直、『こんな仕事辞めてやる』と何度も思った。
だが冒険者を辞めたところで故郷に帰る度胸はなく、どう考えても身を持ち崩す未来しか見えなかったため、結局ずるずると続けてきた。
──そうして20年。輝かしい実績はなくとも、続けることで見えてきたこともある。
10年目あたりからギルドに頼まれて始めた新人指導も、それなりに板についてきた。
同じ支部に所属する上位冒険者たちからは『ろくに実績にも収入にもならない安全パイの仕事しか請け負わない負け犬中年』などと後ろ指さされたりもするが、『心配ありがとよ、あと10年もすりゃ、お前も立派な中年だぜ』と毒舌を返せる程度には成長した。
我武者羅に前に進める歳はとうに過ぎた。今更一旗揚げたいとも思わない。最近はハンス自身、体力の衰えを感じることも増えたし、冒険者としては折り返し地点だと思っている。
辞める──とまではいかなくても、冒険者としての活動は縮小して、それ以外の収入源を模索するのも良いかも知れない。
そんなことを考えていた、ある日。
「あっ、ハンスさん!」
いつものようにハンスが冒険者ギルドユグドラ支部に顔を出すと、受付担当のシエナが駆け寄って来た。
その表情は真剣で、いつもの笑顔はない。人当たりの良いシエナには珍しい態度に、ハンスは思わず身構える。
経験上、こういう時は大抵、ろくなことがない。
(…前は腐肉喰らいの大量発生だったな…)
2年前、このユグドラの街の下水管の中で魔物が大量発生し、支部総出で殲滅作戦が展開された。
『デスイーター』──名前はそれなりに格好良いが、有り体に言えば馬鹿でかいゴキブリ型の魔物だ。
スモールシールドくらいの大きさで風魔法を使うので、スピードも飛距離もそれなりにある。だが最も特筆すべきは、その繁殖力だろう。
家の中に1匹居たら30匹は居ると思え、というのが普通のゴキブリだが、デスイーターは『洞窟の中で1匹見かけたら1000匹は居ると思え』と言われている。
基本臆病であまり人前に姿を見せない一方、群れで行動する魔物だからだ。
それが下水道で、しかも偶然排水路付近を通り掛かった一般人に複数匹目撃されたのだから、状況は推して知るべし。
正直その殲滅戦は、ハンスの冒険者人生の中でも一、二を争うきつさだった。
デスイーターそのものの強さはそれほどでもないが、場所が場所だったのと、倒しても倒しても文字通り『湧いて』来る魔物の数に、何度も心が折れ掛けた。
普段はお互い悪態を吐きまくっている仲の悪い上級冒険者たちでさえ、殲滅が完了した時に肩を抱き合ってお互いの健闘を称えたくらいだ。
──話を現在に戻そう。
今、目の前の受付担当は、その時と似たような顔をしている。
今度は一体、何が起きたのだろうか──
「どうした。また下水道にゴキブリでも出たか?」
「違いますよ」
ハンスが冗談交じりに問い掛けると、シエナは頬を膨らませて応じた。
「ハンスさんに伝言です」
「伝言?」
「ハンスさんのお母様から、ハンスさんへ。お父様が怪我をされて、寝たきりになってしまわれたそうです。出来れば家に戻って来て欲しい、と」
「へ──」
完全に予想外の言葉に、ハンスの思考が停止した。
ハンスの中には、厳ついが口数が少なく、毎日淡々と畑に向かう父親のイメージしかない。
(怪我で寝たきりって…一体何の冗談だ?)
冒険者じゃあるまいし、と自分の手を見下ろして、ハンスは不意に気付いた。
ハンスの中の父親のイメージは、20年前で止まっている。ハンスが体力の衰えを感じているのだから、父親も老いているのは当然だ。──正直、全く想像できないが。
「ハンスさん? あの、大丈夫ですか?」
「あ、ああ。スマン」
気遣わし気な声に、ハンスははっと我に返る。
シエナ曰く、この知らせはハンスの故郷の隣村にあるギルド支部から届けられた。
そういえば何年か前に支部が出来たんだったな…と、ハンスは今更ながら思い出す。
一応ハンスは、冒険者になった後すぐ一度だけ、母親に状況を伝える手紙を出していた。具体的な住所は教えなかったから、母親は『冒険者ならギルドに伝言を頼めば繋がるはずだ』と、ある種の賭けに出たのだろう──ハンスはそう思った。
(それにしても、今更『帰って来い』…か)
ハンスは眉間にしわを寄せて考える。
父の容態はそれほど悪いのだろうか。そもそもあの村には医者が居なかったはずだし、あの大男の看病をしている母は大丈夫なのだろうか。
引っ掛かるところがないわけではないが、歳が歳だ。心配の方が先に立つ。
「ハンスさんのお母様曰く、せめて今畑で育てている作物の収穫だけでも手伝って欲しい、とのことです」
「は? そっち?」
ハンスは思わず目を見開いた。
手伝って欲しいのは父の介護ではなく農作業──収穫できなければ収入にならず、収入がなければ父親の治療費も賄えないので、必要なのは当然といえば当然だが。
シエナははっきりと頷いた。
「はい、そう伺っています。エーギル支部では個人ではなく一般の冒険者に『収穫手伝い』という依頼を出してはどうかと提案したそうですが、『どうしてもハンスに頼みたい』と言っておられたそうで…」
ちらりとハンスを見上げ、
「…つまり、『家業を継いで欲しい』ということではないでしょうか?」
「あー…やっぱそう思うよなあ…?」
ハンスは微妙な顔をする。
ハンスの家は先祖代々続く農家で、持っている畑も相当広い、というか多い──具体的な規模をハンスは知らないが。
何故ならハンスは、子どもの頃ろくに農作業の手伝いをしなかったからだ。
幼い頃は畑について回っていたが記憶は朧気だし、8歳で学舎に通いだしてからは、毎日友人と遊び回っていた。
そこを14歳で卒業し、その日のうちに家を飛び出していたわけで──ハンスは正直、自分の家がどんな作物を育てていたのかすら、きちんと覚えていない。
麦と…あとなんか緑色の菜っ葉っぽいやつとか、ニンジンとか、カブとかは育ててた気がする、多分。そんなレベルである。
しかし──
(農業か…)
10年前だったら『冗談じゃない』と吐き捨てていたであろう、その誘い。
だがハンスは今、存外心惹かれていた。
ここ最近心の片隅にあった、『冒険者以外の収入源』。
自営業だったら時間の融通も利くだろうし、悪くない選択肢ではないだろうか。
丁度隣村にギルド支部があることだし、そっちに転属して、冒険者稼業を続けながら農作業の手伝いもする。
例えば、冒険者として3日働いて、2日農作業して、2日休む…とか。
そんな皮算用を頭の中で展開し、ハンスは内心で呟く。
(……イケる気がするな)
──なお、後にハンスはこう語っている。
あの時の自分を、助走をつけて、思いっ切りブン殴りたい──と。
全国の兼業農家のみなさま、お待たせしました!
農業系(?)おっさん主人公、始動です(誰も待ってないとか言ってはいけない)
まあ見ての通り色々と拗らせてそうと言うか、子どもっぽいところのありそうな主人公ですが…ええ、実際に色々拗らせてます。その辺は後々出て来ますのでお楽しみに。
簡単に言いますと、『30代半ばってそんなに『オトナ』ってわけでもないんだよね…』という極めて個人的な感想のもと、このお話は成り立っております。ハイ。
とりあえず、本日中にイントロっぽい部分は一通りアップして参ります。
メインテーマである『農業』が出て来るのはもう少し先になるかと…。
例によって『書けた分だけ週末に更新する』スタイルで行きますので、気長にお付き合いいただけますと幸いです。
…あ、別作品になりますが、コミカライズされた拙作『修羅場丸ごと異世界召喚(以下略)』の方も、応援よろしくお願いいたします…!
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