第10話 変革
いつのまにか寝てしまっていた、いや、気絶していたようだ。廊下の方の窓から朝日が煌々と差し込んでいる。それとは対照的に室内は少女の死体2つと血溜まりでおぞましい様子だった。地面に突っ伏すように寝ていたため、首が痛い。しかしそのことが気にならないほどに三ツ谷の心は荒んでいた。
梨花の方を見上げると、無機質な目がただ床を見つめている。瞬きをすることはもう……ない。何となく見ていられなくなったので、ポケットに入っていたハンカチを顔に被せる。この壊れてしまった世界ではこれぐらいしかできることはない。せめて体をどこかに埋めようと思うが、シャベルなどの道具もなければ感染者にみつからないとも限らない。非現実的な話だ。
どこかで聞いた話だが、たしか人間の死体は疫病の感染の原因ともなるため長時間身近に置いておくのは避けるべきだった気がする。本当ならここにはいられない。まともな医療を受けられない現状では少しの体調不良が死に直結することもあるだろう。薬局の中で使えるものを探してから再び北へ向かうことにする。商品棚には食料はないものの風邪薬やライターがあったのでそれをカバンに入れる。
最後に梨花の近くに寄って、
「ごめん……今までありがとう」
そう告げて薬局の裏側から外に出る。ずっと暗い場所にいたので太陽の光がずいぶん眩しく見えた。
気分とは裏腹に今日も雲ひとつない青空が広がる。いつもだったらスッキリした気分にもなるだろうが、胸に重りが入っているかのように気分は沈んだままだった。
コンパスで方向を確認して、北へと歩き出す。同行人はいないため、話す相手もいない。何か決断をするたびに梨花のことが脳にチラつく。人を信頼していないとは言っても、友情がないわけではない。ましてや幼い頃から長く付け合ってきた相手だ。衝撃は計り知れなかった。
どうすればこんなことがもう起きないだろうか。荒れた道路の脇を通っているとそんなことばかり考えてしまう。
「そうだ。親しくならなければいい」
そうすればこんな思いをしなくて済むし、俺のせいで誰かが死ぬこともない。もう誰かを死なせて自分が傷つくのはこりごりだ。
途中で昨日入ろうとしたコンビニが目に入る。梨花の死によって少し自暴自棄になっていたのかもしれない。周りの確認などせずにまっすぐドアの前に向かっていく。途中で拾った傘で何度もガラス戸に向かって殴りつける。一向にガラスは割れる様子もなく、諦めるしかない。
「クソッ」
そうしているとどこからか咆哮が聞こえる。奴らが聞きつけてきたのだろう。こちらに向かっているようだった。仕方ないのでコンビニを離れて隠れる場所を探す。だがなかなかみつからない。駐車場の車の影に隠れた程度ではすぐに見つかってしまうだろうし、かと言って他に隠れられそうな場所もなかった。
ひとつ、あった。このコンビニは住宅街に隣接しているため、駐車場の隣はすぐに民家がある。そこは塀で仕切られてはいるが、乗り越えられない高さではない。
そう思えば体はすでに塀に駆け出していた。感染者への恐怖が三ツ谷を駆り立てる。塀の前に来てもスピードを落とさずに、勢いよく飛び越える。感染者が到着したらしく、激しい呼吸音と唸り声が聞こえるが塀を一枚隔てた三ツ谷に気づくわけもない。息を殺して待っていると何も聞こえなくなる。ここには何もいないと分かったらしい。
そう思った瞬間、身に染みて分かった。もうここは今までの世界じゃない。ここには法も犯罪も何もない。あるのは生きるか死ぬか、ただそれだけ。
だとすれば昔だったら犯罪だったことも躊躇する必要はない。そうしないときっと生き残れない。それに他人に心を許すのもやめよう。いつ死ぬかわからないこの世界じゃ友情や愛など足枷にしかならない。
「もう、終わったんだ」
三ツ谷はそう呟くと、目の前にある一軒家の裏戸に手をかける。どうやら鍵が開いているようだ。そのことを確認するとなるべく音を立てないように中に入っていく。
どうやらこの家には4人家族が住んでいたらしい。棚の上に並んだ写真立てには両親と小学生くらいの男の子2人が写っていた。
まず食料を手に入れる必要があるので冷蔵庫の中を漁る。最近は気温がずいぶん下がっていたので、電気が来ていなくとも肉などが臭いを発しているということはなかった。しかし、念のために保存のきく食べ物だけを持っていく。電気が来なくなってからすでに丸一日経っている。用心するに越したことはない。
他にも使えるものがないか探していると、物置らしきところでバールを見つけた。長さ40センチほどもあり、武器になりそうだ。
そうしていると日が暮れてきたため、戸締りをしっかり確認して2階のベットで横になる。久々のきちんとした寝床だったためすぐに眠気が襲ってきた。そのまま三ツ谷の意識は薄れていき泥のように眠る。三ツ谷は再び1人になってしまった。
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